N.T.ライト『クリスチャンであるとは』を読む(1)

このブログではこれまでの投稿の中でさまざまな本やウェブサイトを参照してきましたが、特定の著作についての感想やレビューを書いたことはありませんでした。これからはそういった「書籍紹介」の記事も書いていきたいと思います。

最初に取り上げるのは、最近邦訳が出版されたばかりのN.T.ライト著『クリスチャンであるとは(上沼昌雄訳・あめんどう)です。

NTWrightSimplyChristian

N.T.ライト(Nicholas Thomas Wright, 1948-)については本ブログでもしばしば取り上げてきましたので、読者はご存じの方も多いのではないかと思います。英国の世界的に著名な新約聖書学者で、現在はスコットランドのセント・アンドルーズ大学で教鞭を執っています。日本語で読める簡単な紹介としては、こちらのウィキペディアの記事をご覧ください。

ライトは専門的な聖書学の著作だけでなく、一般向けの著作も数多く世に問うていますが、日本ではこれまでその業績がなかなか知られていませんでした。いのちのことば社から出版されているコロサイ書・ピレモン書の注解書を除けば、今回の『クリスチャンであるとは』が邦訳された初めての著作になります。日本語版の副題が「N・T・ライトによるキリスト教入門」となっていますが、日本人にとっての「N・T・ライト入門」でもあるともいってよいでしょう。

とはいえ、日本でも数年前からライトに対する関心は高まっており、フェイスブック上には「N.T.ライトFB読書会」のグループがありますし(私もほとんど貢献できていませんが、メンバーに加えていただいています)、一般に公開されているものとしては「N.T.ライト読書会ブログ」もあります。そういった中で満を持して登場した本書ですので、おそらく他にもいろいろなところで書評が書かれていくのではないかと思います。(この原稿を用意している間にも、ミーちゃんはーちゃんさんのブログで本書の連載書評がスタートしました。かなり詳細に論じておられるので、長期連載になりそうです。)また上記のFB読書会では邦訳が出る前から原書を用いて本書についてのディスカッションが始まっています。

このような状況ですので、このブログでは本書の包括的で詳細な書評を試みるというよりは、本の内容を紹介しつつ、あくまで私の個人的な関心に沿ってつまみ食い的に感想を述べていきたいと思っています。最終的にはこれを読まれた方々が実際に本書を手にとってお読みになるためのアペタイザー的な役割を果たせればと願っています。

さて、「はじめに」の部分でライトは本書の執筆目的を簡潔に述べています。

私の目的は、キリスト教とは要するにどういうものなのかを記述し、信仰を持たない人にはそれを勧め、信仰を持っている人にはそれを解説することにある。(1-2頁)

本書の原書は2006年に出版されたSimply Christian: Why Christianity Makes Senseです。Simply Christian(日本語に直訳すると「ただ単にクリスチャンであること」とでもなるでしょうか)というタイトルは、C・S・ルイスの古典的名著Mere Christianity(邦題は『キリスト教の精髄』)を意識していると思われます。ライトは英国国教会の聖職者でもありますが、特定の教派の立場からではなく、プロテスタントですらなく、カトリックや正教会も含めたキリスト教信仰の最大公約数的な核心部分を提示したいという意欲を伺わせます。

さらに副題に注意したいと思います。Why Christianity Is True(なぜキリスト教が真理なのか)ではありません。Why Christianity Makes Sense(なぜキリスト教が意味をなすのか)です。もちろん、著者であるライトを含め、キリスト者は皆、キリスト教が真理であると信じています。しかし、ポストモダンの時代と言われる今日、多くの人々は客観的・普遍的な「真理」の存在をもはや信じられなくなっています。そのような人々に対して、キリスト教が真理であることを「証明」することはきわめて困難です。しかし、一度キリスト教という前提を受け入れるならば、私たちがこの世界で共通に体験している様々な現実を非常にうまく説明することができる。これがライトの言う、キリスト教が「意味をなす」ということなのだと思われます。

C・S・ルイスに次のような有名なことばあります。

私がキリスト教を信じるのは、太陽が昇ったのを信じるのと同じです。それを見ることができるからというだけでなく、それによって他のすべてのものを見ることができるからです。(I believe in Christianity as I believe that the Sun has risen: not only because I see it but because by it I see everything else.)

ライトもまさに、このような、世界をよりよく理解するためのレンズ、すなわち一つの有効な世界観としてキリスト教を提示しようとしていることが分かります。これはキリスト教の信仰内容を共有しない一般の読者に対して対話を呼びかけるには、とても良い方法であると思います。

けれども、ライト自身も言うように、本書は非キリスト教徒だけにむけて書かれているわけではありません。クリスチャンであっても、自分の信仰内容がどこか「意味をなさない」ということはままあるものです。聖書は神のことばであると信じているけれども、それが全体として何を教えているのかはっきりしなかったり、キリスト者としての自分の信仰と自分の生きている世界の現実とをどのように関係づけていったらよいのか分からなくて途方に暮れるということはよくあります。

本書はそのようなクリスチャンにとっても、たいへん有益な本であると言えます。ただし、次回以降に具体的に見ていくように、ライトの提示する「キリスト教の全体像」は、多くのクリスチャンが慣れ親しんできた「キリスト教」理解とはことなる可能性が(大いに)あります。ですから、本書は学術書ではありませんが、必ずしも「読みやすい」本ではありません。ライトが新鮮な視点から描き出してみせる「キリスト教」について、ある人々は拒絶反応をひきおこすかもしれません。けれども、彼の語る内容に注意深く耳を傾け、その主張を理解しようとする努力を惜しまなければ、たとえ最終的に彼の見解に賛成できなくても、本書を読む体験は決して無駄にはならないでしょう。

今回の邦訳出版にあたり、依頼されて本書の推薦文を書かせていただきました。あめんどうさんの了解を得て、最後にそれを引用します。

N.T.ライトはbig pictureの人である。本書は聖書を貫く神の物語(ドラマ)の全体像を強靱な神学的想像力でまとめ上げ、世界観のレベルにまで踏み込んで説得力を持って描き出すことに成功しているばかりでなく、その物語に読者も参加するようにと招いている。著者の提示する「キリスト教」は歴史的正統キリスト教信仰の伝統に根ざしながらも新鮮であり、ポストモダンの社会に生きる今日の人々にもアピールする力を持っている。クリスチャンのための「再入門」としても比類ないものがある。

(続く)

<付記>
個人的なことですが、私は2010年の米国福音主義神学会でライト教授にお会いしたことがあります。その時の様子をのらくら者さんのブログでご紹介いただいたことがありますので、興味のある方はお読みください。