信仰、理性、疑い、そして聖書

神学校で教えていると、多くの学生が知的な学びと信仰や霊性との間に葛藤を覚えるという現実に毎年直面します。神学や聖書学などの学びを通して自らの信仰を理性的に反省していくうちに、それまでの人生で育んできた信仰理解との間に齟齬や違和感を感じることがあります。また、これまで何の疑問も感じていなかったテーマについて、同じキリスト者の間でも多様な考えがあることに混乱を覚えることもあります。学べば学ぶほど聖書や神が分からなくなるということも起こってきます。

実はこれは珍しい現象ではありません。神学校とは少し環境が異なりますが、アメリカの福音主義キリスト教系大学における、同じような問題について、次のような記事があります。

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福音主義神学会全国研究会議2017

11月6日(月)から8日(水)まで、東京で行われた第15回日本福音主義神学会全国研究会議に参加してきました。今回は「3つの『のみ』の再発見~宗教改革500年によせて~」というテーマで行われました。160人ほどの参加があり、初めてお会いする方も含め、多くの人との交わりも与えられました。3日間にわたって、楽しく有意義な研鑽の時を持たせていただきました。

今回は宗教改革のスローガンである「聖書のみ」「恵みのみ」「信仰のみ」に沿って発題が行われました。最初に内田和彦先生による基調講演と藤原淳賀先生による応答講演があり、その後鎌野直人先生が「聖書のみ」について、稲垣久和先生と河正子先生が「恵みのみ」について講演をなさいました。この他2日目の午後には青木保憲先生、藤本満先生、吉田隆先生によるパネルディスカッションも行われ、開会礼拝と閉会礼拝は大坂太郎先生と正木牧人先生がそれぞれ導いてくださいました。この中で私は最終日の朝に「信仰のみ」について発表をさせていただきました。

(ちなみに3年前に奈良で行われた研究会議では、使徒的聖書解釈について発表をさせていただきましたが、その時の発表の内容に手を入れて投稿したのがこちらのシリーズです。) 続きを読む

新改訳2017 最初の印象

先ごろ出版された、新改訳聖書の改訂版「新改訳2017」を入手しました。予約注文の機会を逸してしまいましたので、もう少し後になるかと思っていましたが、ある方のご厚意で手に入れることができました。心から感謝します。

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もちろん、まだ全巻をじっくりと通読したわけではありませんが、特に新約聖書を中心にざっと目を通して受けた印象(厳密な学問的コメントではなく)を記したいと思います。ちなみに、私は今回の改訂事業には一切関わっていませんので、あくまでも一読者としての感想であることをお断りしておきます。 続きを読む

科学と聖書(2)

その1

第1回の投稿からずいぶん時間が経ってしまいましたが、気長に少しずつ書いていきたいと思います。今回は、クリスチャン新聞に寄稿したバイオロゴス・カンファレンスについてのレポートの補足です。

レポートの中で私は、聖書と科学をめぐるアメリカの現状について、次のように書きました:

創造論においては、世界は今から6千年から1万年ほど前に文字通り6日間で創造されたと主張する「若い地球説」が、福音派クリスチャンの間では強い支持を得ています。ギャラップ社が2014年に行なった調査によると、成年アメリカ人の42%が、「神は人間を現在とほぼ同じ形で過去1万年以内に創造した」と信じています。またこの立場の代表的団体である「アンサーズ・イン・ジェネシス」(ケン・ハム代表)が、ノアの方舟を聖書の記述どおりの寸法で再現したテーマパーク「アーク・エンカウンター」を2016年にオープンし、話題になりました。

ここで私は2014年のギャラップ社の調査結果を引用しましたが、今月22日に最新の調査結果が発表されたことを、バイオロゴスのサイトを通して知りました。 続きを読む

バイオロゴス・カンファレンス・レポート(クリスチャン新聞)

3月末に参加したバイオロゴス・カンファレンスについて、クリスチャン新聞の依頼で執筆したレポートが、5月21日号に掲載されました。同紙の許可を得て、その内容をブログでも掲載します。先に投稿した記事とも部分的に重なりますが、興味のある方はお読みください。

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バイオロゴスのデボラ・ハースマ代表による講演

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藤本満師による公開講演会

このところ多忙によりブログの更新ができていませんが、来週5月16日(火)に名古屋で行われるイベントについてお知らせします。

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福音主義神学会中部部会では、毎年5月に部会外から講師をお招きして、公開講演会を開催しています。昨年は鎌野直人先生をお迎えして、旧約聖書における「福音」の概念について語っていただきました(こちら)。そして今年は藤本満先生を講師としてお迎えできることになりました。 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(3)

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前回に引き続き、『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の第1章を見ていきます。前回見たような信仰の危機が生じる背景には、ある特定の信仰理解があると思われます。エンズ自身がその中で育った、この種のメンタリティにおいては、「真の信仰と正しい思想とは同じコインの裏表であった」と言います(13ページ)。そこでは、自分が何を信じているかということについて確信が持てている限り、人は安定した信仰生活を送ることができます。何が信じるべき「正しい教え」であるかは明確に定義されており、その境界線の中にとどまっている限り、自分は正しい道を歩んでいるという安心感があります。

しかし、エンズは最終的にそのような「安住の地」を出て、「自分が確信を感じているかどうかにかかわりなく、幼子のような信頼をもって神に依り頼むことを選ぶ」境地に導かれていったと言います(15ページ)。なぜでしょうか? 続きを読む

オープン神論とは何か(2)

その1

前回の記事で、オープン神論の中心的な考えは、神は被造物に真の意味での自由意志を与えられ、被造物とダイナミックな人格的相互関係を持たれるということ、そして未来は部分的に開かれているということだと述べました。今回は、このような主張が聖書の記述によってどのように裏付けられるのかを概観したいと思います。 続きを読む

オープン神論とは何か(1)

昨年、グレゴリー・ボイドの著書Benefit of the Doubt(『疑うことの益』)を取り上げて、「確かさという名の偶像」という25回シリーズで紹介させていただいたことがあります(最終回の記事に、過去記事へのリンクが貼ってあります)。これによって、恐らく日本で初めて、ボイドの神学的主張をある程度まとまった形で紹介することができたのではないかと思います。

これから何回かにわたって、ボイドが支持するある神学的潮流に光を当てていきたいと思います。それはopen theismと呼ばれるものです。これは日本ではまだ定着した訳語がなく、「開かれた神論」などと呼ばれることがありますが、このブログでは「オープン神論」と呼んでいきたいと思います。 続きを読む