『聖書信仰とその諸問題』への応答1(藤本満師)

以前当ブログで藤本満先生の著書『聖書信仰 その歴史と可能性』(いのちのことば社)の紹介をさせていただき、それに関連して先生にゲスト投稿をいただいたこともありました。

『聖書信仰』は現代日本の福音派プロテスタント教会の聖書観のルーツを歴史的に検証し、その意義を問い直す意欲作でしたが、福音派内で活発な論議を呼び起こしました。そんな中、同じいのちのことば社から『聖書信仰とその諸問題』が出版されました。同書は藤本先生の『聖書信仰』だけをとりあげて論じた本ではありませんが、藤本先生の名前は随所に登場してその主張にたいする反論がなされています。表題からしても『聖書信仰』が中心的な批判対象であることはほぼ間違いないと言ってよいでしょう。

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私はこのような問題に関してオープンな議論ができる雰囲気を作ることこそが、キリスト教会の健全化につながると考えていますので、こうした動きは歓迎したいと思いますし、異なる立場の方々の間でさらなる対話が進んでいくことを願っていました。

そんな中、嬉しいニュースが飛び込んできました。藤本先生ご本人より、この本に対して応答を計画しておられるので、それを当ブログ上で寄稿できないかというお問い合わせをいただいたのです。願ってもないお申し出に、二つ返事でお引き受けさせていただきました。これを機に聖書信仰に関する議論がさらに深まっていくことを願っています。貴重な投稿をいただいた藤本先生には心から感謝いたします。

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寄稿

『聖書信仰とその諸問題』(聖書神学舎教師会編)への応答

私が『聖書信仰――その歴史と可能性』を上梓したのは2015年11月のことです。2014年の福音主義神学会における発題、また2016年に同学会の学会誌に掲載した論文は、拙著の要約版のようなものでした。

2017年1月に聖書神学舎教師会から『聖書信仰とその諸問題』(以降、『諸問題』と表記)と題された書物が出版されました。これに対して、「藤本はどう答えるのか?」と応答を励ましてくださった方が多くおられました。

当時、私は宗教改革500年を記念して『わたしたちと宗教改革』のシリーズ(日本キリスト教団出版局)の第一巻である歴史編の執筆が山場を迎え、その後も講演等の責任があり、十分に読むことさえできませんでした。

時が経過してしまいましたが、読後感と、質問への回答、その後の思い巡らしなどを、数回にわけて、山﨑ランサム和彦氏のブログに掲載させていただくことにしました。先生のご好意に心から感謝します。

『諸問題』の執筆陣の中には、私の親しい友人もおられ、それぞれが優れた牧師・教育者でもあります。よって、反論の反論は避けるべきだと思いましたが、素通りすることもまた学的に礼を失することになると思い、記すことにしました。

予定していますのは、以下の6稿ですが、途中で変更があるかもしれません。

1 ゆらぎ?
2 1970~80年代日本の福音派の論争
3 無謬/無誤――聖書信仰の変遷
4 聖書信仰と聖書観――「解釈」の問題
5 言語の限界と可能性(1)――言語と物語
6 言語の限界と可能性(2)――言語と発話行為論

1.ゆらぎ?

『聖書信仰と諸問題』は、その序文で、「日本の福音派が以前から内包していた聖書信仰をめぐる『ゆらぎ』が次第に顕在化してきている現状を踏まえ……」と始まります。「ゆらぎ」という言葉を用い、さらに以前から内包されたものを「顕在化」させた一大要因が拙著であるとあり、それ故、私の個人名もずいぶん登場します。

そこで第一回目は、この「ゆらぎ」という表現に注目します。この理解の幅を、一致をゆるがす福音派の乱れと理解するのか、多様性による「ゆたかさ」と捉えるのか……私は後者であるべきだと考えています。

  • 日本の「聖書信仰」に型を与えたウォーフィールド

拙著はその「歴史」編において、リベラルな聖書理解と対抗して生まれた「聖書信仰」には大きく分けて「二つのタイプ」があると指摘しました(拙著、89~頁)。すでに20世紀初頭で、聖書信仰の流れは二つに分かれていました。一つは、聖書のあらゆる記述・言葉を神の託宣として捉え、聖書の言葉は救いに関わることだけでなく、歴史や文化の記述に至るまで情報的・知的に無誤であると考える方向です。この流れの源泉は米国で17世紀プロテスタント正統主義が確立した逐語霊感説を受け継いだベンジャミン・ウォーフィールドにあると言っても過言ではないでしょう(その要約は、宇田進のそれが簡潔、拙著69~70頁)。もう一つは、同時代の英国ジェームズ・オアが打ち出した「聖書は――あらゆる微細箇所ではなく、その本質的メッセージ――神の啓示によるとの証明は、そのメッセージがいのちを与える力をもっている事実にある」(拙著90頁)と、聖書の言葉を通して神は誤りなく「救いの力」を発揮されるという意味での聖書信仰です。両者は、『その課題』の37頁で指摘されているように、二律背反ではありません。しかし、それらは「神の口」と「神の手」というくらい、その違いが意識され、現実はこの二つが分離したまま「聖書信仰」の流れは出来上がってしまいました。もちろん両者をつなごうとする神学的考え方もさまざまに生み出されてきました。その代表的なものは聖霊の働きです。聖霊は聖書文書の書き手に「口」となって働き、読み手である私たちには「手」となって働く、と。

拙著はその「可能性」編で、この二つの流れは分離して考えるべきではなく、一つに組み合わせることを目指すべきである、という英国のシセルトンや米国のヴァンフーザーに、これからの「聖書信仰」のさらに新しい可能性を検討しました。このことについては今回の連続したブログ稿の最後の方であらためて説明します。

さて、話を戻しましょう。ドイツがその文献学・哲学・歴史学をもって聖書を解体していく潮流に抗して、イギリスの福音主義とアメリカの福音主義は「聖書そのものが神の言葉である」との主張を堅持しました。では日本は、どちらの側を踏襲したのでしょう。それは明らかにアメリカの「ウォーフィールド型」でした。

それには、次のような歴史的道筋がありました。日本に聖書信仰を定着させていったのは、1901年に明治学院に派遣された米国南長老教会の説教師サムエル・フルトンです。彼は、当時アメリカのリベラリズムと保守派との間に繰り広げられる聖書論の論争を肌で感じていました。フルトンの教える明治学院で同じ教師職を勤めていた植村正久はドイツ自由主義神学に傾倒していた海老名弾正と厳しく論戦して、聖書の教会的伝統的理解を守るものの、逐語霊感説を退け、批評学の発展にある程度の理解を示します。これに失望したフルトンは明治学院を去り、プリンストン卒業の宣教師たちと共に神戸神学校(後の神戸改革派神学校)を設立しました。

そこに入学したのが頭脳明晰にして、将来日本の教会を担う霊的な資質を持つ岡田稔でした。フルトンは岡田にウォーフィールド全集を読むことを勧め、岡田は1930年にはウォーフィールドの『基督教の本質』を、さらに翌年には『基督なき基督教』を翻訳し、1934年からJ・グレイシャム・メイチェン率いるウェストミンスター神学校に留学しました。この神学校は、プリンストン神学校が徐々に高等批評学に傾倒していくことに危機感を覚えたメイチェンが、フィラデルフィアに新設した神学校です。ここで学んだのは、岡田だけではありませんでした。神戸神学校から、やがて改革派教会を担う松尾武、常葉隆興も留学。戦後は、同じカルヴァン神学の流れにある日本長老教会の宇田進も学んでいます。

こうして考えると、日本において「聖書信仰」の考え方を導入し、それを形造り、神学的な形を整えたのは岡田稔を中心とする改革派教会であり、それがウォーフィールド型の無誤論であったことは当然でしょう(拙著、60~70頁)。岡田稔は、戦後、聖書信仰の教科書とも言うべきウォーフィールドの『聖書の霊感と権威』を同派の榊原康夫とともに翻訳し、さらに岡田は、イギリスにありながらウォーフィールド研究者であったJ・I・パッカーによる『福音的キリスト教と聖書』を翻訳します。こうして岡田が率いる神戸改革派神学校が、日本基督教団を出た諸教会、さらに宣教師によって次々に誕生する伝道的教会に「聖書信仰」の型を与えることになります。

  • 宿題をやってきたのか?

ウォーフィールド型の聖書論が日本において聖書信仰の主流的理解となりました。しかし、聖書信仰を考える時、米国のウォーフィールド型「一辺倒」であることには問題があるとして、今後日本の福音派が「取り組むべき宿題」があると指摘していた人物がいました。それが宇田進です。彼もまた、岡田稔と共に、いやそれ以上に、戦後日本の福音派にあって博学をもって聖書論を指導する役目を果たしました。彼の活動の場は、1970年に設立され、聖書信仰の内実を解明する福音主義神学会でした。

福音派の神学者としての宇田の守備範囲はとても広く、ウォーフィールド型一辺倒になりつつあった日本の聖書信仰に果敢にチャレンジを与えてきました。戦後日本の福音派の聖書信仰にとって、最も学びを深めていった宇田の言葉にしっかりと耳を傾けていただきたいので、拙著、215~217頁を、ここで再度、とばしとばしになりますが、引用しておこうと思います。彼は『福音主義神学』第一号(1970年)で、3名の福音派の学者による無誤性に関する、ウォーフィールド型を乗り越えるべき、当時の日本の福音派には耳新しい見解を紹介しています。

フラー神学校の新約学教授エヴェレット・ハリソンは、これまでの無誤論が、発展的啓示、またそれに呼応する神の民の応答にも発展性があることを認めずに、あらゆる記事の普遍的妥当性を前提にしてきたこと、また、聖書記者たちの引用文も言語上正確であると考えてきたこと、調和困難なものの存在を容認することは誤りを認めることと同じであると考えてきたこと、さらには聖書の超自然現象に関する記述は科学的に正確であると考えてきたことなど、を指摘する。

また宇田は、リチャード・カーティスを紹介する。カーティスは言語の文化性を考えるとき、一つの言語から他の言語へ、一つの文化から他の文化へと翻訳するという困難を考えれば、今日私たちが所有する聖書を「絶対的な」神の言葉と断言することはできないという。カーティスの考えを宇田は評して次のように述べる。

「最近注目されている意味論(semantics)の影響のあることを見落としてはなりません。彼の理解によれば、言語とは任意に様式化された記号組織であるため変化しやすいものであること、また言語の意味論が提示する複雑な意味論を考える時、はたして原典の意味と同一の意味を他の言語において伝えかつ表現することが可能であろうかと彼はいいます。」

そして、宇田はフリーメソジストの学者ビーグルを紹介する。ビーグルは、聖書は啓示に対する証言であると考え、その証言が人の手による時代性を帯びているのなら、そこに派生する些末な誤りを当然のことと認める。しかし彼は、聖霊は聖書記者たちを導き、本質的な事柄の記述においては信頼できるものを書き残すよう働きかけ、かつ同じ聖霊が今日の読者にそれを信じ受け入れるように働かれる、という。宇田は、ビーグルの聖書観が新正統主義に近いものと認めながらも、それを福音主義の一つの見解として承認し、なおかつ、ビーグルの貢献として、「今迄の福音派の聖書観をゆがめて来た演繹的推理を捨て、帰納的方法を採用すべきこと」、つまり神は完全であり、その神が啓示を与えたのであれば、啓示の書物としての聖書は完全で無誤であるという単純な演繹的論法から離れて、批評学を取り入れた帰納的聖書観を含めた聖書信仰のあり方を示唆している。

さらに宇田は『福音主義神学』二号(一九七一年)で、オランダ改革派のルーニアの抄訳を掲載し、再び一〇号(一九七九年)の自身の論文にルーニアを引用する。ルーニアは、「啓示はつねに『下降』の事柄である。受肉において、神のみ子がこの世に下り、肉体をとり、しかも弱き人間になられたように、すべての啓示は、わたしたちのレベルまでの、神の下降によって成立するものである」と述べ、その下降された啓示の場が、旧新約聖書の時代に住む人々であり、彼らの思考形式、表現形式、その時代の文化類型であった、という。したがって私たちが現代的な歴史観や科学的視点をもって聖書に近づくことは、そもそも誤っている。聖書は概数しか語らぬことが多いし、事柄についても詳細な説明はしない。資料配列にあたっても、体系的・図式的であり、その意味で聖書は徹底してセム的な書である。だが、「これらのことは、いかなる意味でも、聖書の無謬性と信頼性を損なうものではない。また聖書各書がまぎれもなく、人間の著作性を現している事実も、聖書の無誤性と相容れないものではない」と述べて、ルーニアは本文批評学、文学批評、様式史批評などを拒否しない。むしろ、それらに「真理の要因があると信じるので、福音主義神学者として、私たちはこれらを用いることに意を用いていきたい」と。

1970年代、ハリソンの「発展的啓示」の考え方などは、普通に今日の福音派には浸透を見せているでしょう。しかし、ビーグルは改革派のウォーフィールド型ではなく、メソジスト系、どちらかと言えば、当時の英国系の聖書信仰観を提示しています。カーティスは言語学の成果を積極的に聖書信仰の中に組み入れようとしています。こうした文献にどれほど私たちは学んできたのでしょう? 言語学や批評学とどれほど対話してきたのでしょう?

さらに、宇田は『福音主義神学』10号(1977年)に掲載された「福音派聖書論の文献と動向」の中で、多様な考え方を紹介しながら、検討すべき宿題を残しています。

まず彼は、オランダ改革派のベルカウワーによるプリンストン型聖書信仰の批判を引用しつつ、日本の福音派に反省点を投げかけています。

①聖霊は記者たちに書くべき事項を示し、②聖霊はそれらの事項を表現する言葉の選択を促し、③聖霊はそれらの言葉を書き記させ、④聖霊は摂理的働きによって本文と正典の保護保全をしたと理論化していくうちに、「霊感を聖書全体に均等、均質的なこととみなすようにしむけるとともに、(プロテスタント正統主義にあっては)機械霊感説までも発生させてしま(い)……ウォーフィールドの見解も、たしかに機械説ではないが、以上のような霊感の形式主義化、均質化の影響を強く受けたものである」(拙著、79頁)。宇田は、こうした批判が、「福音派内部のこととして……どれだけ研究されてきたのだろうか考えさせられる」と述べています。

さらに宇田は、オランダ改革派のルーニアを再びここで紹介します。ルーニアは、神の霊感の働きを聖書原典の起源にまつわる過去の一回的なことに限定して考えるのではなく、霊感の永続的な働きが読者に及んでいること、そして、これこそがウェストミンスター告白Ⅰ・10にある「the Holy Spirit speaking in the Scriptures」の表現の意味するところであると考えました。ルーニアはカール・バルトについて博士論文を著した研究者です。先のベルカウワーも、あるいは拙著では取り上げませんでしたが、米国改革派のドナルド・ブローシュもその傾向にあります。

つまり改革派内の対話が「ゆらぎ」を見せています。改革派の中からバルト(彼も改革派)寄りのベルカウワーやルーニアやブローシュのような論が出現するのは当然のことでしょう。なぜなら、宗教改革時代の聖餐論争にあるように、「しるし」(パンとぶどう酒)と「そのもの」(キリストの血とからだ)とは合体も混在もせず、同一視すべきではない、「そのもの」を「しるし」の中に封じ込めることはできないとする聖餐論を展開したのがカルヴァンだからです。ですから「神の言葉」を「言語」と同一視できない、その中に封じ込めることはできないという考え方は、改革派それ自体の神学の中に出現して当然です。

重ねて強調しますが、宇田はこうした研究視点・成果を「ゆらぎ」とは理解していません。これらは福音派内部のこととして、聖書信仰の理解をより多角的に掘り下げ、豊かにすることができるメリットとして研究することを勧めている、と筆者は考えています。

  • 5つの見解

『諸問題』は、2013年に米国で出版された『聖書の無誤性をめぐる5つの見解』の要約版を掲載しています。たいへん優れた、原書に忠実な要約ですので、熟読されることをお勧めします。この書物については2014年の福音主義神学会の全国研究会議で聖契神学校の関野祐二先生がその講演の中で触れておられました。しかし、筆者がこの書物の存在を知ったときには、すでに拙著の原稿をおおかた書き上げていましたので、取り上げることを避けました。

「5つの見解」は、ゾンダーバン出版社のカウンターポイント(対比)のシリーズで、すでに31の諸問題についてまとめられています(こちら)。洗礼、聖餐、聖化、霊性、摂理、パウロ論、黙示録、創造論と進化論、アダムの歴史性、教会と政治、教会における女性の役割、等々。「カウンターポイント」という言葉は、音楽の世界では、複数の旋律をそれぞれの独自性を保ちつつ互いに調和させようとする技法(ポリフォニー)を指します。つまり、このシリーズの狙いは、同じテーマで異なる論議を対立させて戦わせるのではなく、5つの見解を用意することで、その神学的課題における並列的・複層的な論説を同時に読者が読んで、この世界の奥深さをつかみ取り、互いに理解を深めることにあります。もっとも、それが往々にして不協和音になってしまう傾向は否定できません。

しかし「無誤論」の論議には、調和への努力はことのほか重要です。筆者は、次稿で1970~80年代、日本の福音派における論争を扱います。同様の論争はアメリカでもありました。1983年、福音派聖書学者ロバート・ガンドリーが、米国福音主義神学会を去るように迫られました。彼は英国F.F. ブルースのもとで学び、マンチェスター大学から新約学で博士号を取得し、サンタ・バーバラにある福音的なウェストモント大学で教鞭を執ってきました。70年代に始まる福音派聖書学者による注解書シリーズのマタイの福音をガンドリーは担当し、そこに編集史研究(redaction criticism)の成果を導入します。編集史研究とは、聖書の記者は、ルカの福音書に見るように伝承の収集をしたばかりでなく、それを編集者自らの神学的な考えを織り込んで記しているという考えで、それに基づいてテクストを解析していきます。記者の神学的な意図がある故に、マタイはマタイのならでは記述、ヨハネはヨハネならでは記述が生まれてくると考えます。

注解書シリーズの総監督はガンドリーの注解書をよしとしましたが、メリル・テニーやジェームズ・モンゴメリーが反対し、さらにノーマン・ガイスラーが反ガンドリー旋風を巻き起こし彼を神学会からの辞任へと追い込みました。また注解書もシリーズに入ることができませんでした。――この時期、こうした批評学に対する抵抗の故に、米国福音派は分裂し、批評学を拒んだ福音派の学者は「シカゴ声明」に結集することになります。

ガンドリーは、編集史の導入は「聖書の無誤性」には抵触しないという考えでした。むしろ、聖書の無誤性は、記者が生きている時代・文化、そこで受け入れられている文書記述と神の直接の言葉が重なった地平に成り立っていると主張。それは現代人が考える歴史的な情報ではなく、記者独自の神学的な意図(聖霊による)が織り込まれている文書であると。こうした考えは、後になって米国福音主義神学会の実行委員会で十分に検討され、受け入れられるようになります。しかし、当時も今日も、聖書の記者による収集資料の「神学的編集」を前提に聖書を解釈することに強硬に反対する聖書学者は、福音派の中にボイスをもっていることも事実です。

『5つの見解』の最初の論者、R.アルバート・モーラーが保守的な範疇に入ります。他の4名はいずれも「無誤性」の再定義か、この用語の「放棄」を提案しています。

続く