受難週に聴いた音楽

教会暦では昨日が受難日でした。2年前のこの日に「受難日に聴いた音楽」という記事を書きました。そこではポーランドの作曲家クシシュトフ・ペンデレツキ「ルカ受難曲」を取り上げました。

今年の受難節も、イエス・キリストの受難について思い巡らしていましたが、今年はパッション2000のために作曲された受難曲を全部聴いてみようと思い立ちました。

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受肉と順応(クリスマス随想)

さだめたまいし 救いのときに
神のみくらを はなれて降り
いやしき賎の 処女(おとめ)にやどり
世人のなかに 住むべき為に
いまぞ生まれし 君をたたえよ

(讃美歌98番、2節)

今年もクリスマスの時期がやってきました。

クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う時です。キリスト教会は、このことを、神が人となった受肉のできごととして理解してきました。つまり、宇宙の創造主なる神が自ら人間となることによって、ご自分を人間に啓示されたのです。

神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。

(ヨハネ1:18)

しかし、神は抽象的・普遍的な意味で「人間」となられたわけではありません。そうではなく、「神のことば」(ヨハネ1:1、14)は特定の時代と地域に生きた、一人の個人として現れたのです。ナザレのイエスは紀元1世紀のローマ帝国支配下にあったパレスチナに生きた、一人のユダヤ人男性でした。彼は当時の一般のユダヤ人と同じ生活をし、同じ言葉を話しました。つまり、神は1世紀のパレスチナに生きた人々に理解できるような姿で、ご自分を啓示されたのです。

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信仰、理性、疑い、そして聖書

神学校で教えていると、多くの学生が知的な学びと信仰や霊性との間に葛藤を覚えるという現実に毎年直面します。神学や聖書学などの学びを通して自らの信仰を理性的に反省していくうちに、それまでの人生で育んできた信仰理解との間に齟齬や違和感を感じることがあります。また、これまで何の疑問も感じていなかったテーマについて、同じキリスト者の間でも多様な考えがあることに混乱を覚えることもあります。学べば学ぶほど聖書や神が分からなくなるということも起こってきます。

実はこれは珍しい現象ではありません。神学校とは少し環境が異なりますが、アメリカの福音主義キリスト教系大学における、同じような問題について、次のような記事があります。

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MINAMATAの物語

生きているうちにいつかは読みたい本、というものがあります。歳を取るにつれ、自分に与えられた残り時間が短くなるのに反比例して、読みたい書物のリストは長くなるばかりで、全部を読むことはとても無理だと無力感に襲われることがありますが、せめてその中でも優先順位をつけて、自分にとって重要と思える本から読んでいきたいと思っています。

そんな個人的な「人生の必読書リスト」に長い間載っている本の一つに、石牟礼道子さんの『苦海浄土』があります。水俣病を主題にした三部作は、心のどこかでいつも気にかかっており、いつか読みたいと思いつつ、同時にその長大さとテーマのあまりの重さに気後れし、手にとって読むまでには至りませんでした。

それは水俣病そのものに対する私の態度とも通じるものがあるのかもしれません。水俣病についての私の認識は、四大公害病の一つとして学校で習った通り一遍の知識を出るものではありません。今も後遺症に苦しんでいる人々が存在するということは頭では分かっていても、心のどこかでは戦後高度成長期の負の遺産として、過去のものと考えていた部分があったと思います。

要するに、私は水俣病について無知であり、同時にそのことに関して後ろめたさを覚えてもいました。そんな私ですが、先日映画「MINAMATA」を観てきました。

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聖書プロジェクトBOOK

ずいぶん長い間更新が滞っていましたが、またぼちぼち投稿していこうと思います。

以前このブログで「聖書プロジェクト」について紹介したことがあります(こちら)。

聖書プロジェクトは聖書に関する有益な情報を簡潔なアニメーション動画で伝えてくれる、とても有益なサイトですが、この働きのもう一つの魅力として、聖書各巻の内容をひと目で見渡せるように工夫した「ポスター」が提供されていることです。これらのポスターは、聖書各巻の全体像をひと目で概観するためにたいへん便利です。

マルコ福音書の「ポスター」

これらのポスターは聖書プロジェクトのサイトから無料でダウンロードできますが(こちら)、この度これらのポスターが本になり、本日入手しましたので、ご紹介します。

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墓がひらくとき

さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。
(マルコ16章1-4節)

昨日はイエス・キリストの復活を記念するイースター(復活祭)でした。イエスが十字架に架けられて殺されたとき、その遺体は岩を掘ってつくった墓に収められ、大きな石を転がして入口がふさがれました。そして四福音書はどれも、イエスが復活した日にその石が墓の入口から取り除かれたことを記しています。イエスの復活は、墓が開いたときであったのです。

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新しいはじまり

所属教会のクリスマス礼拝で語らせていただいた説教をこちらに掲載します(引用聖句の訳など多少変更あり)。クリスマスイヴの今夜は多くの教会でキャンドルサービスが行われますが、暗闇の中に光を灯すために来てくださったイエス・キリストの降誕を覚えたいと思います。

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