新改訳2017 最初の印象

先ごろ出版された、新改訳聖書の改訂版「新改訳2017」を入手しました。予約注文の機会を逸してしまいましたので、もう少し後になるかと思っていましたが、ある方のご厚意で手に入れることができました。心から感謝します。

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もちろん、まだ全巻をじっくりと通読したわけではありませんが、特に新約聖書を中心にざっと目を通して受けた印象(厳密な学問的コメントではなく)を記したいと思います。ちなみに、私は今回の改訂事業には一切関わっていませんので、あくまでも一読者としての感想であることをお断りしておきます。 続きを読む

科学と聖書(5)

その1 その2 その3 その4

使徒行伝には、さまざまな機会に初代教会でなされたスピーチがいくつも収められています。そのうち多くは、まだキリスト教信仰を持たない人々に対して、キリスト教のメッセージを宣べ伝える、いわゆる伝道説教です。これらの説教をじっくりと読んでいくと、それぞれの説教の中で語られている内容には、ある興味深い違いがあることに気づきます。

ペンテコステ(聖霊降臨)の日のペテロの説教(使徒2:14-40)、エルサレム神殿のソロモンの廊におけるペテロの説教(3:12-26)、サンヘドリンにおけるステパノの説教(7:2-53)、コルネリオの家族に対するペテロの説教(10:34-43)、ピシデヤのアンテオケにおけるパウロの説教(13:16-41)、エルサレム神殿の境内におけるパウロの説教(22:1-21)など、使徒行伝の説教の多くでは、イスラエルの歴史(そしてアブラハム、モーセ、ダビデ等、鍵となる人物)について詳しく語られ、十字架につけられて復活したナザレのイエスが旧約聖書が約束していたメシアであると論じられていきます

ところが使徒行伝には、上に挙げたようなパターンとはかなり異なる内容の伝道説教も二つ収められています。

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“Jesus Creed” (スコット・マクナイト)への寄稿2

先日公開した「聖書のグランドナラティヴ再考」(1)(2)の英語版を、スコット・マクナイトのブログJesus Creedに寄稿しましたので、このブログでもお知らせします。日本語の原稿に多少手を加えてあります。

Putting the Bible Together: Re-visioning the Grand Narrative of the Bible

JesusCreed

Jesus Creedへの過去の投稿記事、またマクナイト博士については、こちらをご覧ください。

 

聖書のグランドナラティヴ再考(2)

前回の記事では、聖書のグランドナラティヴを次のような7部構成で考えることを提案しました:

A 創造
 B 悪の起源
  C 神の民(イスラエル)
   X イエス・キリスト
  C’ 神の民の刷新(教会)
 B’ 悪の滅び
A’ 創造の刷新

さて、この7部構成が従来の6部構成(1.創造、2.堕落、3.イスラエル、4.イエス、5.教会、6.新創造)と違う点は、6番目の要素(集中構造で言うB’)として「悪の滅び」を追加したことです。「悪の滅び」とは、キリストの再臨、最後の審判、そしてすべての悪への最終的勝利を含みます(1コリント15章23-28節、黙示録19-20章など)。もちろん、これらの要素は終末論的成就の一部として、従来のグランドナラティヴ理解にも含まれています。これを独立した一つの要素としたのには、二つの理由があります。 続きを読む

聖書のグランドナラティヴ再考(1)

聖書を真理の命題を集めた百科事典や道徳の教科書のように読むのではなく、一つの首尾一貫した物語として読むというアプローチは、最近日本でも注目されるようになってきました。私もこのテーマについて書かれた、ヴォーン・ロバーツ著『神の大いなる物語(いのちのことば社)を翻訳させていただきました(過去記事)。

旧新約聖書全巻を貫く「大きな物語」はグランドストーリーgrand storyとか、グランドナラティヴgrand narrativeあるいはメタナラティヴmetanarrativeと呼ばれますが、この記事では「グランドナラティヴ」を用いたいと思います。グランドナラティヴとは、聖書の個々の書巻や細かいエピソードを理解するための背景となる、すべてを包括する大きな物語のことです。

物語(ナラティヴ)には、きまったストーリーライン(プロット、筋)があります。ストーリーラインはいくつかのできごとの意味のあるつながりとして捉えることができます。聖書のグランドナラティヴを考える時、聖書全体がどのようなストーリーラインを持っているかを考えることは大切ですが、これまでいろいろな提案がなされてきました。 続きを読む

科学と聖書(3)

その1 その2

今回もずいぶん間が空いてしまいましたが、科学と聖書についてのシリーズを続けたいと思います。

バイオロゴスのウェブサイトには次のようなミッション・ステートメントが掲げられています。

バイオロゴスは、神による創造の進化的理解を提示することによって、教会と世界が科学と聖書的信仰の調和を見出すようにと勧めます。

そして次の中核的なコミットメントを掲げています:

  • 私たちは、歴史的キリスト教信仰を受け入れ、聖書の権威と霊感を支持します。
  • 私たちは神が何十億年にもわたって存在するすべての生命を造られた創造主であることを認め、進化的創造を支持します。
  • 私たちは真理を追求し、自然界と聖書を研究する中でつねに学び続けていきます。
  • 私たちは謙遜を得ようと努力し、異なる意見を持つ人々とも親切な態度で対話することに努めます。
  • 私たちは、科学や教育、ビジネスなどあらゆる領域で卓越することを目標とします。

ここからバイオロゴスについて2つのことが分かります。1.福音主義的なキリスト教信仰を掲げていること、そして2.生物学的進化を神の創造の手段として受け入れる、いわゆる「進化的創造論evolutionary creationism」の立場に立っていることです(バイオロゴスの詳しい信仰基準についてはこちらを参照)。

ある人々にとっては、この二つはまったく両立不可能と思えるかもしれません。けれども、そのような人々も、なぜバイオロゴスのような団体が存在し、多くの人々に支持されているのか、冷静に考えてみる必要があると思います。(バイオロゴスのサイトに登場する神学者や聖書学者の中には、このブログの読者にはおなじみの、N・T・ライト、スコット・マクナイト、ピーター・エンズ、グレッグ・ボイドらがいます。ただしもちろん、彼らが聖書と科学の問題について全く同じ見解をもっているわけではありません)。

どのような議論でもそうですが、進化論の問題を考える際には特に、用語の定義をはっきりとさせておくことが必要不可欠です。キリスト教会で進化論について議論することが大変難しい理由の一つは、「進化論」という言葉にあまりにも多くの含意が込められている現実があるからだと思います。 続きを読む