クリスマスの星

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。 ・・・彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。(マタイの福音書2章1-2、9-10節)

東方の博士たちが星に導かれて幼子イエスを拝みに訪れた話は、聖書にあるクリスマスの物語の中でも、ひときわ印象的なエピソードです。

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教会の降誕劇などでも馴染み深いこの話ですが、一般に知られているストーリーには、聖書に書かれていない要素もあります。 続きを読む

王なるイエスの福音

所属教会で礼拝説教の奉仕をしましたので、多少手を加えたものをお分かちします。

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「王なるイエスの福音」(使徒の働き2章32-36節)

32  「このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。33  それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。34  ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、
『主はわが主に仰せになった、

35  あなたの敵をあなたの足台にするまでは、
わたしの右に座していなさい』。

36  だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。

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「全能者キリスト」(ハギア・ソフィアのモザイク)

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「パウロ中心主義」を超えて

福音主義神学会の全国研究会議における、「信仰のみ」についての発表で提起した問題の一つは、聖書のすべてをパウロ神学のレンズを通して読もうとする傾向についてでした。

「信仰と救い」というテーマが議論されるとき、しばしばパウロ書簡における「信仰義認」をめぐって議論がなされます。パウロによる信仰義認論の解釈、およびパウロ神学におけるその位置づけが聖書学の重要課題の一つであることはいうまでもありません。けれども、その一方で、信仰の問題について、パウロ以外の新約文書、とりわけ大きな割合を占めるナラティヴ(福音書・使徒行伝)による証言が不当に軽視されてきたのではないだろうかと思います。

たとえば福音書において「信仰と救い」という主題が語られるとき、福音書のテクストが語ることにじっくりと耳を傾ける前に、条件反射的に福音書をパウロ的な信仰義認論の枠組みの中で解釈しようとする、ということが往々にしてなされているのではないでしょうか? 続きを読む

福音主義神学会全国研究会議2017

11月6日(月)から8日(水)まで、東京で行われた第15回日本福音主義神学会全国研究会議に参加してきました。今回は「3つの『のみ』の再発見~宗教改革500年によせて~」というテーマで行われました。160人ほどの参加があり、初めてお会いする方も含め、多くの人との交わりも与えられました。3日間にわたって、楽しく有意義な研鑽の時を持たせていただきました。

今回は宗教改革のスローガンである「聖書のみ」「恵みのみ」「信仰のみ」に沿って発題が行われました。最初に内田和彦先生による基調講演と藤原淳賀先生による応答講演があり、その後鎌野直人先生が「聖書のみ」について、稲垣久和先生と河正子先生が「恵みのみ」について講演をなさいました。この他2日目の午後には青木保憲先生、藤本満先生、吉田隆先生によるパネルディスカッションも行われ、開会礼拝と閉会礼拝は大坂太郎先生と正木牧人先生がそれぞれ導いてくださいました。この中で私は最終日の朝に「信仰のみ」について発表をさせていただきました。

(ちなみに3年前に奈良で行われた研究会議では、使徒的聖書解釈について発表をさせていただきましたが、その時の発表の内容に手を入れて投稿したのがこちらのシリーズです。) 続きを読む

「宗教改革500周年」に思う

本日、2017年10月31日は500年目の宗教改革記念日です。1517年のこの日、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に「95箇条の提題」を掲示したのが宗教改革の始まりと言われています。

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もちろん、実際の宗教改革はルター個人が始めたものと言うよりは、もっと大きな歴史的流れの中で起きていった運動ですので、正確にこの日に宗教改革が始まったとピンポイントで特定できるようなものではないと思いますが、一つの象徴的なできごとであったことには間違いないでしょう。

ルター作「神はわがやぐら(Ein feste Burg ist unser Gott)」

プロテスタント教会では国内外で宗教改革500周年を記念してさまざまなイベントが行われています。私自身もプロテスタントに属する一キリスト者として、やはり感慨深いものがあります。しかし同時に、プロテスタント教会は、ただ500周年を無邪気に祝うだけではなく、これまで歩んできた道を振り返り、改めるべきところは改め、さらなる改革を進めていかなければいけないのではないかとも思っています。 続きを読む

新改訳2017 最初の印象

先ごろ出版された、新改訳聖書の改訂版「新改訳2017」を入手しました。予約注文の機会を逸してしまいましたので、もう少し後になるかと思っていましたが、ある方のご厚意で手に入れることができました。心から感謝します。

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もちろん、まだ全巻をじっくりと通読したわけではありませんが、特に新約聖書を中心にざっと目を通して受けた印象(厳密な学問的コメントではなく)を記したいと思います。ちなみに、私は今回の改訂事業には一切関わっていませんので、あくまでも一読者としての感想であることをお断りしておきます。 続きを読む

科学と聖書(5)

その1 その2 その3 その4

使徒行伝には、さまざまな機会に初代教会でなされたスピーチがいくつも収められています。そのうち多くは、まだキリスト教信仰を持たない人々に対して、キリスト教のメッセージを宣べ伝える、いわゆる伝道説教です。これらの説教をじっくりと読んでいくと、それぞれの説教の中で語られている内容には、ある興味深い違いがあることに気づきます。

ペンテコステ(聖霊降臨)の日のペテロの説教(使徒2:14-40)、エルサレム神殿のソロモンの廊におけるペテロの説教(3:12-26)、サンヘドリンにおけるステパノの説教(7:2-53)、コルネリオの家族に対するペテロの説教(10:34-43)、ピシデヤのアンテオケにおけるパウロの説教(13:16-41)、エルサレム神殿の境内におけるパウロの説教(22:1-21)など、使徒行伝の説教の多くでは、イスラエルの歴史(そしてアブラハム、モーセ、ダビデ等、鍵となる人物)について詳しく語られ、十字架につけられて復活したナザレのイエスが旧約聖書が約束していたメシアであると論じられていきます

ところが使徒行伝には、上に挙げたようなパターンとはかなり異なる内容の伝道説教も二つ収められています。

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