⑥痛みからいのちへ
前回の記事ではヨハネの福音書4章に出てくるサマリアの女性を取り上げました。
イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」彼女は答えた。「私には夫がいません。」イエスは言われた。「自分には夫がいない、と言ったのは、そのとおりです。あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないのですから。あなたは本当のことを言いました。」(ヨハネの福音書4章16-18節)
「夫がいない」というのは、彼女にとって大きな痛みでした。その痛みの事実を打ち明けたときのイエス・キリストの言葉は、なんて温かいんだろうと思います。「あなたにとって、その悩みを打ち明けるのは、勇気のいることだっただろう。痛みを伴うことだっただろう。でも、よく打ち明けてくれたね。ありがとう」私にはそんな風に聞こえるのです。
行為の是非を問うのではなく、誰かの痛みの声を聴くこと、そしてその痛みをともに痛んでいくことが、キリスト教倫理の出発点である。この連載ではそういうことを語ってきました。けれども、痛みを打ち明けるというのは大変なことです。自分の中にある傷と向き合い、ひとつひとう言語化していかなければできません。そして、それを開示するというのは、本当に信頼できる相手にしかできないこと、あるいは、本当に信頼できる相手にすらできないようなことです。だから、私たちは軽々しく相手に自己開示を求めてはいけないのです。そしてもしも誰かが痛みの声を打ち明けてくれたなら、その勇気をきちんと受け止めなければならないと思うのです。
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