教会史上最初のメッセージ

今週の日曜日(2023年7月30日)は畏友・山口希生先生の牧会されている中原キリスト教会(日本同盟基督教団)で礼拝説教のご奉仕に伺い、使徒行伝2章36節から「教会の最初のメッセージ」と題してお話をさせていただきました。

ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。(新改訳第3版)

使徒行伝2章に収められているペテロの説教は、ペンテコステの日に聖霊が注がれ、教会が誕生したその日に語られたものですので、教会史上最初の説教であると言えます。そこで語られているメッセージは、すべてのキリスト教会の説教の基礎となるような重要なものと言えます。それでは、そこで語られたメッセージの要点とは何だったのでしょうか?

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新しいはじまり

所属教会のクリスマス礼拝で語らせていただいた説教をこちらに掲載します(引用聖句の訳など多少変更あり)。クリスマスイヴの今夜は多くの教会でキャンドルサービスが行われますが、暗闇の中に光を灯すために来てくださったイエス・キリストの降誕を覚えたいと思います。

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ラルフ・ハモンド師の想い出―人種問題に寄せて

今、米国で人種間の対立が再び表面化してきています。ミネソタ州ミネアポリスで白人警官に拘束された黒人男性が死亡した事件をめぐって抗議デモが全米各地に広がっていることは、各種報道で広く知られているので、それについて詳述することはしません。ただ、今回の事件が起こったミネアポリスは私の妻の出身地であり、今でも家族がその地域に住んでいます。また私がアメリカで最初に学んだベテル神学校も、隣町のセントポールにありました(この2つの町は合わせて「双子都市Twin Cities」と呼ばれています)。したがって、個人的にもつながりのある地で起こった悲惨な事件に深い悲しみを覚えています。

今回の事件についていろいろと思い巡らしていたとき、一人の人物の顔が思い浮かんできました。それはベテル神学校時代の恩師の一人、ラルフ・ハモンド師(Dr. Ralph E. Hammond)でした。 続きを読む

聖霊降臨と新時代の幕開け(『舟の右側』ペンテコステメッセージ)

今週の日曜日(5月31日)はペンテコステ(聖霊降臨日)でした。それに先立ち、『舟の右側』誌に依頼されて、6月号にペンテコステのメッセージを書かせていただきましたので、同誌の許可を得てこちらにも掲載させていただきます(ただし聖書の訳をはじめ、いくつか変更を加えてあります)。内容的には過去記事「王なるイエスの元年」と重なる部分もありますが、そこで書いた内容を、もう少し広い聖書の文脈の中で捉え直したものです。

 

聖霊降臨と新時代の幕開け 

それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。 (使徒2・ 33)

ペンテコステおめでとうございます。教会暦では、復活祭から50日目にあたる日曜日を聖霊降臨の日として祝います。これは、イエス・キリストの昇天後、エルサレムにいた弟子たちに聖霊が注がれたできごとを記念するもので、キリスト教会にとってはクリスマスや復活祭と並んで重要な祝日です。

十字架につけられた後、3日目に復活したイエスは40日間にわたって弟子たちに現れた後、天に昇っていかれました。主はその際、エルサレムを離れないで、聖霊の訪れを待つようにと彼らに命じられました(ルカ24・49、使徒1・4-5)。その約束通り、ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が注がれたのです。

五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(使徒2・1-4)

この有名な「聖霊降臨」のできごとは、教会誕生の瞬間として有名ですが、そこで起こったことは、実際には何を意味しているのでしょうか? ある人々は弟子たちが「異言」を語ったことを強調します。けれども、この時弟子たちが語った言葉がパウロが手紙で語っている異言(1コリント14章を参照)と同じものであるかは定かではありません。宣教への力が与えられたできごと(使徒1・8参照)として理解する人々もいます。しかし、聖霊降臨を孤立した特異なできごととして捉えるのではなく、より大きな聖書的文脈の中に位置づけていく時に、さらに深い意味が見えてきます。 続きを読む

『聖書信仰とその諸問題』への応答6(藤本満師)

その1 その2 その3 その4 その5

藤本満先生によるゲスト投稿シリーズ、第6回をお送りします。

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6 説教と聖書信仰

前回、言葉はそもそも「記される前に語られるもの」であることを論じました。聖書においても、「神は言われた」とあるように、記された言葉がはじめは語られた言葉であったことを示している箇所がいくつもあります。

当然その次に、記された神の言葉は語られます。つまり説教です。そこで説教の意義が、「聖書信仰」の世界でも十分に考慮されなければならないことを今回は論じてみようと思います。 続きを読む

恵みへの応答

26 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。27 この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。28 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。29 この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。30 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。31 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。34 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。35 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。37 神には、なんでもできないことはありません」。38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。‭‭(ルカの福音書1章26-38節)

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フラ・アンジェリコ「受胎告知」

今年もアドベント(待降節)の季節を迎えています。アドベントとはラテン語で「到来」を意味するadventusということばから来ています。旧約聖書で約束されていた救い主であるイエス・キリストの到来を待ち望んでいたイスラエルの信仰に自らを重ね合わせると同時に、再び来られる主を待ち望む思いを新たにする季節でもあります。

冒頭に引用した箇所は聖母マリアが天使ガブリエルからイエスの誕生を知らされる、いわゆる「受胎告知」の場面です。ここに描かれているマリアの姿は、キリスト者の信仰の姿、また献身の一つのモデルと言っても良いと思います。

このエピソード全体を貫くテーマは「恵み」です。ガブリエルは開口一番、マリアに「恵まれた女よ、おめでとう」と語りかけます。また、30節でも重ねて「あなたは神から恵みをいただいているのです」と言っています。神の恵みがすべてに先だってあり、マリアの信仰はその恵みへの応答なのです。その特徴を3つに分けて見ていきましょう。 続きを読む

Global Returnees Conference 2018(その1)

5月2日から今日(5日)にかけて、以前の記事でもお知らせした帰国者クリスチャンのためのカンファレンス、GRC18に参加してきました。

GRCは海外で信仰を持って帰国した日本人クリスチャン、また帰国者クリスチャンを積極的に受け入れようとする日本の教会のクリスチャン、日本に遣わされている海外からの宣教師など、さまざまな立場の人々が集って信仰を強めあい、互いの交流を深める貴重な場となっています。私自身も、集会や多くの方々との再会と新しい出会いを通して、たくさんの恵みをいただきました。

今回のGRCの全体テーマは「Dwell: 主は私達と共に住む」でしたが、その中で2回の聖書講解と分科会を担当させて頂きました。今回は3日朝の第1回聖書講解の内容に多少手を加えたものを掲載します。 続きを読む

主にあってむだでない労苦(1コリント15:58)

すでに周囲の方々にはお知らせしてきましたが、本年3月におけるリバイバル聖書神学校閉校にともない、4月から関東に移って、聖契神学校で奉仕することになりました。以下に掲載するのは、新城教会で行なった最後の礼拝説教原稿に少し手を加えたものです。

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主にあってむだでない労苦(1コリント15:58)

「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」

この箇所はコリント人への第一の手紙の15章の最後の節ですが、15章は復活について教えている部分です。私たちクリスチャンの希望は、この肉体の死が終わりではないということです。いつの日か神さまが定められた時にイエス・キリストが再びこの地上に来られて、私たち一人ひとりの肉体をよみがえらせてくださり、私たちは主が創造される新しい天地において、新しい復活の肉体をいただいて永遠に主と共に生きることができるというのです。その内容を受けて、パウロは「だから、あなた方の労苦は無駄ではない」と語っています。私たちの働きが無駄にならないのは、復活の希望があるからなのです。 続きを読む

大きな喜びの知らせ

クリスマスおめでとうございます。このクリスマスに行った説教に手を加えたものをアップします。

8  さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。9  すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。10  御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。11  きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。12  あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。13  するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
14  「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

15  御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。16  そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。17  彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。18  人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。19  しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。20  羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。
(ルカ2章8-20節)

日本でも年中行事の一つとしてすっかり定着したクリスマスですが、本来はイエス・キリストの誕生をお祝いするキリスト教の祝日です。ただし、12月25日にキリストの降誕を祝うようになったのは後の時代の話で、聖書にはイエスさまが実際何月何日にお生まれになったかは書いてありません。イエスさまがいつお生まれになったかよりも大切なのは、どういう状況でお生まれになったか、ということです。

聖書の中でイエス・キリストの誕生のようすを詳しく書いてところは2箇所ありますが、今日はその中でルカの福音書から、聖書の世界に分け入っていきたいと思います。 続きを読む