『聖書信仰とその諸問題』への応答3(藤本満師)

その1 その2

藤本満先生によるゲスト投稿シリーズ、第3回目をお送りします。

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3 シカゴ声明のローカルでヒストリカルな限定性

『聖書信仰とその諸問題』(聖書神学舎教師会編)にその要約版が所収されている『聖書の無誤性を巡る五つの見解』については投稿1ですでに触れました。5つの見解の3番目に登場するのが、オーストラリアの気鋭な福音主義神学者マイケル・バードです。彼は自分の見解に「国際的な観点から見た無誤性」とタイトルをつけ、「無誤性」は米国の外にある福音主義にとっては必要ではない、とまとめています。無誤に代わる用語として、シカゴ声明の第9項で用いられている「真の、信頼できる」(true and trustworthy)啓示の書とするので良いのではないか、と。

バードは、無誤論のローカルな限定性を指摘します。古くは英国国教会(聖公会)の「三九箇条」にも、長老派教会が指針とする「ウェストミンスター信仰告白」にも、近年では、バプテスト世界連盟による聖書に関する宣言にも、ヨーロッパ福音神学同盟の神学信条にもトリニティ神学校で開かれた「エヴァンジェリカル・アファメーションズ」やケズイックコンベンションに加盟した団体による「ワード・イン・アクション」大会の宣言文にも、「無誤」という言葉は登場しません。世界にはシカゴ声明や無誤性など聞いたことも使ったこともなくても、福音主義的で正統的な信仰を持っている教会が何千とあると。

しかし、そうした限定性を無視して、あたかも無誤論を堅持していなければ、聖書を軽視する咎めを負うかのような態度を見せるのなら、「シカゴ声明は傲慢」であるとバードは述べています(『諸問題』、62頁)。バードによれば、無誤論は米国以外には通用しない論議だと。もっとも、米国の影響を受けた日本でも、シカゴ声明こそが福音主義神学の代名詞であるかのように受け取られてきたことは事実です。しかし、現実は決してそのようなことはありません。

拙著は、無誤論のローカルな限定性よりもヒストリカルな限定性を詳しく論じました。他の諸教理も、時代的な影響を無視して考えることはできません。この限定性については、歴史神学では常識的なこととして長らく論じられていますので、詳しくは拙著2章と4章の注に掲載されている諸文献を参照してください。

  • プロテスタント正統主義と基礎づけ主義(foundationalism)

2014年の福音主義神学会の全国研究会議は、米国改革長老神学校のリチャード・ギャンブル先生を招きました。海外から講演者を招くのは久しぶりでした。単なる紋切り型の改革派聖書論ではなく、包括的に、なおかつ最近の考察の深みを紐解いてくださいました(「無誤論論争について――現代アメリカ福音主義が抱える諸問題」『福音主義神学』45号、143~163頁)。講演の後に分科会で、筆者もギャンブル先生と同じグループに振り分けられました。そこで彼に質問がありました。宗教改革の聖書観と17世紀プロテスタント正統主義の聖書観では、決定的にどこが違うと思いますか?と。

彼の回答は単純明快でした。「決定的な違いは、プロテスタント正統主義が聖書観を『ロキ』(loci)にしたことです」。私もまったく同感です。「ロキ」とは、教義学における独立した主要テーマのことです。ルターやカルヴァンは「聖書のみ」を訴えて、随所に聖書の権威性を明らかにします。しかしプロテスタント正統主義、つまり17世紀のルター派やカルヴァン派が、カトリック教会とは異なる独自の教義学を構築しようとしたとき、彼らは「聖書論」を教義学の独立した主要テーマの一つとして成立させなければなりませんでした。

これは教義学の歴史では初めてのことです。しかも、聖書論は教義学の土台として機能しなければなりません。そうして、逐語霊感説なる壮大な聖書論が生まれます。それがどのようなものであったのか、拙著(『聖書信仰――その歴史と可能性』)から引用してみます。

・改革派神学を代表するフランソワ・トゥレティーニ(Turretini, 1623-87)もまた、聖書の無誤性を説き、仮に「どんな小さな部分に誤りがあったとしたら、聖書全体が怪しげなものになる」と論じた。また聖書本文は奇跡的に保存継承されてきたという。つまり写字生による誤りを許したら、ご自身の言葉を間違えなく伝えようとする神の摂理を否定することになると主張したのである。(拙著、36頁)

・ジュネーブのゴサン(Louis Gaussen, 1790-1863)は……聖書全体の十全(plenary)霊感を主張した。つまり、聖書の中で霊感の度合いの違いを認めるのではなく、聖書全体が十全に霊感を受けている。また聖書の中に記されている思想が霊感されているのではなく、「言葉そのもの」(verbal)が霊感を受けている。霊感は聖書の記者による「言葉の選択」にまで及ぶ。これが逐語霊感説、より誤解のない表現では言語霊感説である。……ゴサンは聖霊が聖書の記者にどの用語・表現を使うかを教え、そうして記された聖書が無誤の状態で保全される、と教えた。こうして十全に言語[逐語]が無誤に(plenary, verbal, inerrant)霊感された、という聖書観ができあがった。(拙著、38~39頁)

十全というのであれば、聖書の無誤性は、救いや信仰のことだけでなく歴史や科学の領域に及びます。「言語」(逐語)となれば、霊感は書き手の思想だけでなく、一つ一つの言葉にも及んでおり、霊感は言葉と直結していることになります

拙著は、プロテスタント正統主義が作り上げた聖書論に対する幾多の批判の一つとして、舟喜順一編訳の『聖書論論集』(聖書図書刊行会、1974年)に掲載されているジェフリー・ブロミリーによるものを挙げておきました(拙著、40頁/『聖書論論集』295頁参照)。多々ある批判の根底をなしているのが、この時代の聖書論に見られる「デカルト的原理」です。デカルトの名前はギャンブルの講演にも出てきます。

それは哲学で言う「基礎づけ主義」です。どのようなものでしょうか?  中世以来の哲学や神学を再考していこうとしても、もし私たちの真理観や価値観が誤った土台の上に構築されているとしたら、その上にどんな建物を据えても、必ずそれは歪み、崩壊していくと。だとしたら、まず疑い得ない絶対的土台を得る以外にありません。それがデカルトにとっては「我思うゆえに我あり」の「我」という存在でした。プロテスタント正統主義が教義学を据えるために、聖書という土台を、疑いの片鱗もない・無誤で・完璧なものにする必要がありました。

ヤロスラフ・ペリカンによれば、それは時代的に言えば、ちょうどバーゼルの改革派、ブルックストルフ一族(全員、名はヨーハン)がラビ文書研究を掘り下げ、4巻からなるヘブル語聖書『ビブリア・ヘブライカ』を完成した時でした。つまり、このヘブル語テクストの詳細な集大成が出版されたことで、ますます聖書テクストの神聖性は高まっていった時代でした(拙著、42頁)。

うがった言い方かもしれませんが、聖書はまるでイスラム教のコーランのような神聖性をまとうことになりました。コーランは原語のアラビア語で読まなければなりません。神はその言語を選び、そこで口述された真理はその言語においてのみ正確に保存できるからです。もちろん、コーランがテクスト批評学の対象になることはあり得ません。

しかし、キリスト教は聖書の原語テキストをそのようには扱ってきませんでした。ルネサンスでヘブル語とギリシャ語の写本が研究され、宗教改革は文献学の風に乗ります。ラテン語訳の聖書ではなく、原語で聖書を読みます。しかし、それは適切に聖書を諸国語に翻訳するためでした。また教会は、聖書の中にある矛盾も文書間の相互の違いも受け止めてきました。それは、キリスト教にとって聖なるものは、テクストではなく、テクストが語っているキリストである、という基本的な了解があったからです。しかし、プロテスタント正統主義は、聖書のテクストそのもの、そこに記されている字句を極端なまでに神聖化することによって、聖書の「テクスト」に「啓示そのもの」を重ね、聖書を疑い得ないキリスト教の土台とみなしました。

  • 理性と言語――プリントン神学

17世紀ヨーロッパで生まれた逐語霊感説は、その後どのように引き継がれたのでしょう。ドイツでは姿を消すことになります。17世紀は、教会にとって教義学の時代であると同時に、宗教戦争の時代でした。特に三十年戦争では、まるでドイツが全ヨーロッパの戦闘スタジアムであるかのように、スペイン、フランス、スウェーデンもがドイツに侵入して勝手に戦争を始めます。結果、最もダメージを受けたのはドイツでした。またイギリスではピューリタンが絶対君主であった国王の暴政に反旗を翻します。こうして始まったピューリタン革命は、最後は王も主教も断頭台に送り、代わりにピューリタンの礼拝方式を全イギリス教会に強制しました。しかし、それもまたリーダーであったクロムウェルの死去とともに勢力が弱体化します。革命は失敗に終わり、再び王政と国教会が戻ってきます。その頃には、人々は教会に失望し、知的営為は争いを産む教義学ではなく、普遍的な理性を土台とする哲学へと流れていきました。

ヨーロッパの代わりに、逐語霊感説を引き継いだのは、アメリカの改革派を代表するプリンストン神学校でした。プリンストンは設立以来、長らくトゥレティーニによる3巻の組織神学書が教科書として用いられ、聖書の逐語霊感説も当然のこととして受け入れられてきました。しかし、ここでプリンストン神学は、17世紀の逐語霊感説を新しいステージへと押し上げていきます。その推進力を提供したのは、おおきく分けて二つの要素です。それは①スコットランド常識哲学と②リベラリズムからの脅威でした。

①常識哲学  プリンストン神学校は創設以来、スコットランド常識哲学を学問の基礎としていました。「常識」とはコモンセンスです。人間にはコモンセンスが備えられていて、文法、数学、論理学の公理、形而上学の因果律、また意識や記憶の信頼性、自由意志、善悪の判断能力等を、人間全般に共通する普遍的真理の前提とすることができるというのです。すると、神学も科学と同じで、偏見のないまともな良識人であれば、同じことを同じように認識でき、認識しなければならない、しかも基本的真理はあらゆる時代や場所においてすべての人にとって同じように認識されるというのです。

プリンストン神学を率いたチャールズ・ホッジを見てみましょう。彼は、理性に対する絶対的な信頼に基づく聖書論を展開します。――神の啓示は「言葉」を客観的媒体として「知性」に伝達され、魂全体に作用する。「真理は感情の中には与えられず、知性によって発見され解明される。真理は、御言葉の中に客観的に提示される(objectively presented in the word)」――と(拙著、62頁)。

つまり理性に対する信頼は、ホッジにおいては、言葉に対する信頼となって現れました。聖書の言葉を適切に釈義すれば、その言葉が言及している霊的現実を直接に知ることができると。理性的な釈義によって、聖書の読み手は神ご自身の言葉・思い・考えそのものと出会ったと確信することができると考えました。

言語に対する信頼とは、言い換えれば、言葉が客観的事実と一致している(科学におけるように証明・検証できる)ことを意味します。ホッジは啓示の真理が科学と同じように検証され、確実に認識できると考え、聖書の預言や歴史的データをさかんに検証し、その真理性を証明していきました。

するとどうなるでしょう? カルヴァン以来の御言葉の神秘性、つまり聖書が神の言葉であることは、聖霊が信仰者の心の中に与える証し(内的照明)による、という考え方は影を潜め、神の言葉の意味は、理性を用いて釈義することでたどり着けるという理性的側面の強調へと、聖書信仰が方向を転じていきました。

総じて、理性とその道具である言葉に対する全的信頼の中で聖書・霊感を定義してしまう傾向が、プリンストン神学を源流に持つ米国福音主義神学に影を落としました。この理性主義の傾向は、後のカール・ヘンリーにも、さらにシカゴ声明の中核となったジェームズ・モントゴメリー、ノーマン・ガイスラーにも見られます。これを手厳しく批判するのは、イギリスの福音主義の神学者アリスター・マクグラスであり、アメリカ改革派神学者のドナルド・ブローシュも同じように批判しています。ブローシュは膨大な著作をもって福音主義神学に貢献しますが、幼い頃からその信仰は敬虔主義の中で培われました(拙著、79~85頁)。

②リベラリズムからの脅威  逐語霊感説を次のステージ(ファンダメンタリズムの時代)に押し上げた第二の要因は、アメリカに迫り来るリベラリズムからの脅威でした。当初、チャールズ・ホッジは、聖書をギリシャ神殿にたとえて、もしも「そこかしこに砂の小石が見つかったとしても、正気な人であればだれ一人として、この建造物が大理石でできていることを否定する者はいない」と、鷹揚に構えていました。ところが息子A・A・ホッジの時代になると、写本上の食い違いや誤りを受け入れざるを得なくなります。すると彼は写本ではなく、キリスト教の歴史始まって以来だれも見たことがない、だれも検証したこともない「原典において」誤りがないと主張しはじめました。

さらにウォーフィールドは、矛盾を矛盾として認めようとはせず、あくまでそれらは将来的に「真実な聖書の研究」によって矛盾と思われる箇所は必ず解決されることを信じると。言うならば、聖書は無誤であるとのア・プリオリな真理はア・プリオリなままで信ずるべきである、信じることが大切なのだと(拙著、61~65頁)。ア・プリオリとは証明を必要としない命題のことです。もし聖書が、神がその口から吹き出した産物であるなら、神が無誤であるように聖書も無誤であると。

アメリカに押し寄せてくる進化論的世界観、そしてドイツの高等批評学という危機感は17世紀のプロテスタント正統主義の時代には存在しませんでした。プリンストン神学を担った者たちは、正統主義が作り上げた聖書の無誤論を展開していきました。そこに目をつけて集まってきたのが、同じようにリベラリズムを敵とする、当時の雑多な保守派層でした。それが集結して、「ファンダメンタリズム」なるものが生まれていきました。進化論は、聖書の天地創造説を否定する危険な思想とみなされ、「反進化論」法が州で制定され、進化論が公立学校で教えられることを禁止する州が出てきます。1925年にテネシー州の高校生物教師スコープスが進化論を教えたところ、逮捕され、裁判になりました。裁判は元国務長官で、天地創造の記述を字義どおりに解釈すべきだとするウィリアム・J・ブライアンと、この進化論禁止条項を撤廃すべきとした弁護士のクラレンス・ダロウの間で争われました。この種の出来事がアメリカの政党政治を巻き込み、戦争や妊娠中絶や性的マイノリティーが今でもキリスト教と政治に絡んで論じられることは、私たちも知るところです

さて、話を戻して、この時代のファンダメンタリズムの動向に詳しいジェームズ・バーは、ファンダメンタリストが聖書の特徴を霊感による「無誤性」に置いてしまったとき、「聖書は霊感されているがゆえに誤りがない。あるいは逆に、何であれ誤りを認めることは聖書の霊感を否定することになる」と結論づける以外に、道がなくなってしまったと論評しています

私たち日本の福音主義のキリスト者は、ファンダメンタリズムの問題・課題を引き継いでいるのでしょうか? 聖書の学徒であれば、むしろアメリカ流の福音派論法と距離を置いて、何かの潮流に対抗して聖書を考えるのではなく、「聖書を聖書として」考えようとしています。

  • 「聖書を聖書として読む」聖書信仰――内村鑑三

拙著では、内村鑑三にはわずかしか触れませんでしたので、あらためて、彼の聖書信仰を上記の視点から記してみます。内村の聖書観を総合的に論じていると筆者が評価するのは、京都大学の芦田定道による「内村鑑三と聖書」です。しかし、無誤論に限定するなら、都立大学名誉教授時代に書かれた日本長老教会の大村晴雄による『日本プロテスタント小史』(いのちのことば社)が的を射ていると思います。

題材としているのは、内村による『聖書は果たして神の言葉なる乎』(『聖書之研究』明治37年1月21日)です。内村の解説は問答形式で書かれていて、以下のようになります(読みやすいように現代語になおします、また強調は筆者によるものです)。

問 あなたは、聖書は神の言であると信じますか。

答 そうです。私はそう信じています。私は三十年あまり、この書を読み続けましてますますその神の言でなくてはならないことを信じています。

問 では、あなたは、聖書は一言一句、誤謬なき神の言であると信じていますか。

答 そうです。ある意味においては、私は聖書の字句的インスピレーションを信じる者です。

ここから、内村は「ある意味においては」を連発します。

問 ある意味においてと言うのはどういう意味でありますか。あなたは聖書に書いてあることは何でも動かすべからざる真理であると信じていますか。

答 そうです。神に関すること、人に関すること、罪に関すること、救いに関することにおいては、聖書は最終の法典であると思います。……

問 では、あなたは聖書において、ある科学上の事実やまたは歴史上の事実は、これまたひとしく信ずるに足るものであると信じているのですか。

答 ある意味においてそうです。ある他の意味においてはそうではありません。聖書は宗教の書であって科学や歴史の書でありませんから、聖書の事実は宗教的にはまったく信頼すべきものであります。

問 宗教的には信ずべきであるとはいかなることでしょうか。宗教的に事実であることは必ずしも科学的には事実ではないとのことでありますか

答 そうです。物にはすべて宗教的の意味が存しています。そうして事物の宗教的な意味を示す上においては少しもあやまりがありません。その意味においては、聖書は誤謬なき神の言です。

絶妙ないい方ではないでしょうか。ある意味において字句的霊感を信じるほど、いわゆる聖書信仰です。聖書は宗教の事柄だけで、歴史や科学に深く関わっている現実を扱っているは事実であっても、しかし、聖書を歴史や科学の書物として読むべきではないと。歴史的事柄として、科学的叙述として、無誤である、誤りがあると論じても意味がないと。聖書は、歴史的事柄、科学的事柄を記しつつ、その宗教的意味を伝えようとしている。読み手も、救済論的意味をくみ取るべきであると。

こうして内村の聖書信仰は、ウォーフィールド型とは一線を画しました。科学や歴史を前にして、聖書はひるみません。神の啓示は歴史や科学と深く関わります。しかし、同じ土俵に上がって聖書を読むべきではない。聖書はあくまでも聖書として読むべきであると。

~続く