使徒たちは聖書をどう読んだか(4)

釈義の方法論としての歴史的・文法的方法の妥当性を測る一つの方法は、それを聖書自体に記録されている聖書解釈の実例と比較することです。そこで今回は、新約聖書の中で旧約聖書がどのように解釈されているかについて見ていくことにしましょう。

新約聖書の中にはおびただしい数の旧約聖書への言及があります。それははっきりとした引用の形をとることもあれば(たとえばルカ3章4節「預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおり」やマタイ4章4節「~と書いてある」)、旧約聖句の引用であることを明示しないで言及する(「引喩allusion」と言います)こともあり、さらに微細な「こだまecho」の形を取ることもあります。議論を簡単にするために、 ここでははっきりそれと分かる形で旧約聖句が引用されているケースに限って話を進めることにします。

さて、歴史的・文法的方法が唯一の正しい「聖書的」解釈法であると仮定すると、新約記者たち(あるいは新約聖書の中で旧約聖書を引用しているイエスおよびその弟子たち)が旧約聖書を引用する時にも、同じ方法を用いたと考えるのが自然です。つまり、新約記者たちは旧約聖書の文学的・歴史的コンテクストにおける、旧約記者によって意図された意味を正確に把握し、それに基づいた引用を行っているはずだ、ということになるのです。

ところが実際には、新約記者たちの旧約釈義は、そのような期待とは大きく外れているように思える場合があるのです(もちろん、いつでもそうだというわけではありません)。このような現象をどう説明するべきか、福音派の聖書学者の間でも意見が分かれているのが現状です。

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(フラ・アンジェリコ「エジプトへの逃避」)

 この問題を議論する時によく引用されるのが、マタイ福音書2章14-15節です。

そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。

ここは有名なイエス・キリストの降誕物語の中で、ヨセフとマリヤがヘロデ大王の手を逃れるため、幼子イエスを連れてエジプトに下る箇所です。福音書記者マタイはこの出来事が、旧約聖書の預言の成就であったと言うわけですが、その引用元はホセア書11章1節であることが分かります。

わたしはイスラエルの幼い時、これを愛した。わたしはわが子をエジプトから呼び出した。

ここで問題となるのは、ホセア書の文脈では11章1節は過去におけるイスラエルの出エジプトの出来事について述べられているのであって、未来に出現するメシヤについて述べているのではないということです。しかも11章の大部分では、イスラエルはエジプトから導き出された後も主に反抗し続けた民として否定的に描かれています。マタイはどのような意味でイエスにおいてホセア書の聖句が「成就」したというのでしょうか?

マタイによるホセア書の聖句の扱いについて、学者の意見は大きく4つに分けることができます:

  1. マタイはホセア書の聖句がイエスについて予言していると間違って解釈した。
  2. マタイはホセア書の聖句が、ホセアの意図を超えたイエスについての予言であることを神からの特別な啓示によって悟った。
  3. マタイはホセア書に描かれているイスラエルの姿は、イエスの予型であると考えた。
  4. マタイはホセア書のより大きな文脈の中で語られている、将来の新しい出エジプト(11節参照)を成就したのがイエスであったと考えた。

1.は新約聖書記者が誤りを犯したということになり、福音主義の立場では受け入れられません。2.はいわゆる「より完全な意味sensus plenior」と呼ばれるもので、聖書のテキストには、実際にそれを書き記した聖書記者の理解を超えたより深い意味が神によって込められている、という考え方です。このような立場はローマ・カトリック教会でよく見られますが、ふつう歴史的・文法的方法では採用されない考え方です。

プロテスタント福音派では、3.または4.の立場を取ることが多いように思います。3.の考え方は「予型論typology」と呼ばれるものです。これは、神による人類救済の歴史(救済史)の中で、異なる時代に現れた人物・出来事・制度などを互いに密接な関係にあるものとしてとらえる解釈法で、より古い時代のものは後の時代の対応物の「予型type」と呼ばれ、新しい時代の類似事項はこの予型を何らかの意味で完成するものと考えます。マタイ2章15節の例で言えば、ホセアが述べているような、モーセに率いられてエジプトを出て、カナンの地に導かれたイスラエルは、エジプトに下り、そこからイスラエルの地に帰ってきたイエスの予型である、ということになるわけです。

予型論的解釈は福音派がよく用いる解釈法ですが、厳密に言うならばこれも歴史的・文法的方法に属する解釈法ではないように思われます。なぜなら、新約記者は旧約テクストの中に、救済史の中で神がどのように行動されるかというパターンを見ることはできますが、歴史的・文法的釈義によって明らかにされる旧約テキスト自体の意味(著者によって意図された意味)にはそのパターンが将来どのような形で成就されるのかは必ずしも含まれていないからです。

では、最後の4.はどうでしょうか。これはマタイはホセア書のより大きな文脈を意識していたという解釈です。要するに、ホセア書のより広い文脈に照らしてじっくりと旧約のテキストを釈義すれば、ホセアの意図した「意味」とマタイの読み取った「意味」は一致する、という考え方で、これは歴史的・文法的方法と完全に合致します。この解釈が一番適切なのでしょうか?

しかしここで大きな問題が生じます。ホセア書11章1節はユダヤ教の釈義においては、マタイ以前も以後もメシア聖句として解釈されたことはなかったのです。歴史的・文法的方法によれば、適切な釈義の方法を用いれば、誰が解釈しても著者の意図した意味を特定することができるはずですから、ユダヤ人の中に、マタイと同じようにホセア書を解釈した人がいたとしてもおかしくありません。それなのに、なぜマタイだけがこのホセア書のテキストにメシヤ的な「意味」を見いだすことができたのでしょうか?

このことは、使徒たちが(そしてイエスご自身が)持っていた基本的な解釈学的態度がどのようなものであったかという問題とつながっていきます。

(続く)