先ごろ出版された、新改訳聖書の改訂版「新改訳2017」を入手しました。予約注文の機会を逸してしまいましたので、もう少し後になるかと思っていましたが、ある方のご厚意で手に入れることができました。心から感謝します。
もちろん、まだ全巻をじっくりと通読したわけではありませんが、特に新約聖書を中心にざっと目を通して受けた印象(厳密な学問的コメントではなく)を記したいと思います。ちなみに、私は今回の改訂事業には一切関わっていませんので、あくまでも一読者としての感想であることをお断りしておきます。
私がまず読んだのはルカ文書(ルカ福音書と使徒行伝)です。自分の専門分野でもあり、また近々これについてのコースを始めるということもあって、まずルカ文書全体を通読し、それから新約聖書の他の部分にもぱらぱらと目を通しました。
前回(2004年)改訂された第3版に親しんできた一般の読者が2017年版を読んでまず気づくのは、固有名の表記がかなり変わっていることです。
ルカ福音書で言いますと、第3版の「テオピロ」が2017年版では「テオフィロ」(1:3)になっていますし、「アウグスト」は「アウグストゥス」(2:1)、「テベリオ」は「ティベリウス」(3:1)、「カイザル」は「カエサル」(20:22)とより一般的な表記に近づいています。その他細かいところでは「マリヤ」「サマリヤ」がそれぞれ「マリア」「サマリア」というふうに語尾が変わっています。これは本文の意味という点では特に大きな問題ではありませんが、以前の版に慣れ親しんだ読者にとっては、最初のうちはやや違和感があるかもしれません。
新しい訳で本文の意味が変わっている箇所もあります。たとえばルカ8:48におけるイエスの言葉「あなたの信仰があなたを直したのです。」(第3版)は、新版では「あなたの信仰があなたを救ったのです。」となっていますが、個人的にもこちらの方がより正確な訳であると思います(これについては過去記事を参照)。
パウロ書簡に目を転じると、コリント人への手紙第一では、パウロが自分の対話相手のことばを引用している部分が明示されています。たとえば、8:1前半は第3版では
次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。
となっているのが、新版では、
次に、偶像に献げた肉についてですが、「私たちはみな知識を持っている」ということは分かっています。
となっており、「私たちはみな知識を持っている」を引用符に入れることで、この部分がパウロではなくコリント人のことばであることが明確になっています。新版ではこのような工夫によって、パウロの議論がより理解しやすくなっていると感じました。
また、全体的に欄外注が第3版より充実している印象を受けました。特に、本文に採用されたのとは異なる訳が可能である場合、その別訳を注で示している場合が第3版より多くなっており、これは読者にとってはありがたいことです。たとえば近年さかんに議論されているローマ3:22では、新版では「イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。」となっており、基本的に第3版と同じ意味になっていますが、欄外注では「イエス・キリストの真実によって」という別訳も示されています。これは第3版にはなかったものです。
本文批評的な注釈も2017年版では旧版に比べてより多くなっていると思われます。たとえばローマ16:25-27の頌栄は新版の本文では括弧に入れられ、写本によってテキストが流動的であることが記されています。
2017年版で新約聖書の底本としている聖書本文はネストレ・アーラント第28版によるものだそうですが、28版では公同書簡において27版と本文の異なる箇所があり、新改訳2017版ではその点を反映した翻訳になっています。たとえば1ペテロ4:16では、第3版では
しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。
となっていましたが、2017年版では
しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。
となっています。
最後に個人的に興味深かったのは、伝統的な聖書翻訳にある男性優位主義的なバイアスが部分的に修正されてきている点です。ローマ16:7でパウロが言及している人物(使徒であった可能性があります)の名前について、第3版では本文に「ユニアス」(男性名)を採用して欄外注で「ユニア」(女性名)の可能性を示していましたが、2017年版ではこれが逆転し、本文で「ユニア」、欄外注で「ユニアス」となっています。(これについてはこちらの過去記事を参照)。
その一方で残念だったのは、1コリント14:33では新版は旧版を踏襲して、後半の「聖徒たちのすべての教会で行われているように、」の部分を次節につなげる形で訳出していますが、このことによって34節から始まる「女性は教会では黙っていなさい」という教えが、コリント教会の特定の女性たちに対して言われたアドバイスではなく、教会における女性の立場について述べた、普遍的な一般原則であるかのようなニュアンスを強化する訳になっていることです。個人的には33節を「なぜなら、聖徒たちのすべての教会でそうであるように、神は混乱の神ではなく、平和の神だからです。」と訳して、34節との間に区切りをつける方がよいと思っています。NIV 2011でも “For God is not a God of disorder but of peace—as in all the congregations of the Lord’s people.”と訳されています。せめて他の箇所のように欄外注で別訳を示してもらえたらよかったと思いました。
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新改訳聖書2017を手にとってすぐ目についた点について、思いつくままに書きました。聖書の翻訳は機械的に辞書を引いて単語を移し替えていけばできるような単純なものではありません。同じテクストでも複数の訳が可能な箇所が数多くあり、翻訳者はそのつど選択を迫られます。しかもその選択の結果が、これから数十年にわたって教会で読まれていく「聖書」になるのですから、翻訳者の感じておられたプレッシャーはいかほどであったかと推察します。関係者の皆様には心からの敬意を表します。
同時に、聖書翻訳に「完全」はありえませんので、個別の箇所の翻訳については、今後いろいろと改善の余地が出てくると思います。しかし、全体的な第一印象としては、新改訳2017はよい訳だと思いました。日本語もよりすっきりと読みやすい文章になっていると思います。これからさらに旧約聖書も含めじっくりと時間をかけて読み込んでいきたいです。
ちなみに、奥付を見ると発行日が「2017年10月31日」となっており、500年目の宗教改革記念日に合わせたこだわりをみることができました。