受難週に聴いた音楽

教会暦では昨日が受難日でした。2年前のこの日に「受難日に聴いた音楽」という記事を書きました。そこではポーランドの作曲家クシシュトフ・ペンデレツキ「ルカ受難曲」を取り上げました。

今年の受難節も、イエス・キリストの受難について思い巡らしていましたが、今年はパッション2000のために作曲された受難曲を全部聴いてみようと思い立ちました。

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MINAMATAの物語

生きているうちにいつかは読みたい本、というものがあります。歳を取るにつれ、自分に与えられた残り時間が短くなるのに反比例して、読みたい書物のリストは長くなるばかりで、全部を読むことはとても無理だと無力感に襲われることがありますが、せめてその中でも優先順位をつけて、自分にとって重要と思える本から読んでいきたいと思っています。

そんな個人的な「人生の必読書リスト」に長い間載っている本の一つに、石牟礼道子さんの『苦海浄土』があります。水俣病を主題にした三部作は、心のどこかでいつも気にかかっており、いつか読みたいと思いつつ、同時にその長大さとテーマのあまりの重さに気後れし、手にとって読むまでには至りませんでした。

それは水俣病そのものに対する私の態度とも通じるものがあるのかもしれません。水俣病についての私の認識は、四大公害病の一つとして学校で習った通り一遍の知識を出るものではありません。今も後遺症に苦しんでいる人々が存在するということは頭では分かっていても、心のどこかでは戦後高度成長期の負の遺産として、過去のものと考えていた部分があったと思います。

要するに、私は水俣病について無知であり、同時にそのことに関して後ろめたさを覚えてもいました。そんな私ですが、先日映画「MINAMATA」を観てきました。

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Not Found―コロナ禍の中で聴いた音楽

新型コロナウイルスの感染拡大にともない、私が奉仕している神学校も教会も全面的にオンラインでの活動になりました。その他に外出する必要がある場合も、車を使うことがほとんどなので、公共交通機関を利用する機会はめっきり減りました。けれども8月29日(土)の午後は、久しぶりに電車に乗って妻と外出しました。サントリーホールで行われるコンサートに出席するためです。

そのコンサートとは、芥川也寸志サントリー作曲賞の選考演奏会でした。この賞は戦後日本を代表する作曲家の一人、芥川也寸志氏(1925-89)の功績を記念して創設されたもので、若手日本人作曲家の登竜門として知られており、今年で第30回になります。(余談ですが、芥川也寸志氏といえば私の世代にとっては「N響アワー」の司会者としても記憶に残っています。)

今年の選考演奏会は、昨年国内外で初演された、日本人作曲家による管弦楽作品53の中から、第一次選考を通過して候補に選ばれた3作品を演奏し、受賞作を決めるというものでした。

私たちがこのコンサートに出かけたのは、今年の候補作の一つを作曲したのが、友人である冷水乃栄流(ひやみず・のえる)さんだったからです。彼は東京藝術大学修士課程作曲専攻に在学中ですが、その作品はいろいろなところで演奏されている、新進気鋭の作曲家です。今回ご本人からコンサートのご案内をいただき、とても楽しみにしていました。

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キリスト教と愛国心

知人のアメリカ人牧師から、今年の7月4日のアメリカ合衆国独立記念日に向けてリリースされたという歌の動画リンクが送られてきました。

このGod Bless the U.S.A.という歌はアメリカのカントリー歌手リー・グリーンウッドが 1984年にリリースしてヒットした愛国歌で、当時のレーガン大統領が共和党の全国大会で使用して話題になりました。その後も湾岸戦争や9・11同時多発テロ事件などの時代にたびたびリバイバルヒットしてアメリカの国威発揚に貢献してきた曲です。そして、コロナ禍やBlack Lives Matter運動で揺れる今年の独立記念日に向けて、作曲者のグリーンウッドが米空軍軍楽隊の歌手たちと共同で新バージョンを録音したというのです。

その内容は、アメリカに生まれたことの幸せを喜び、その自由を守るために死んだ人々(軍人)への感謝を表明し、「アメリカ合衆国に神の祝福あれ」と歌うものです。

さて、この動画を送ってくれたアメリカ人牧師は、この歌に感動してシェアしてくれたわけではありません。その反対で、彼はこの歌でアメリカの愛国心が宗教的な熱意をもって讃えられていることに戦慄したと言います。そして、私に動画の感想を求めてこられました。それに対して返信した内容に、多少手を加えてこちらにも転載します: 続きを読む

受難日に聴いた音楽

今日はイエス・キリストの十字架の死を記念する受難日(Good Friday)です。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う社会的混乱によって、今年の受難日は例年とは全く違う状況で迎えることになりましたが、それだけにイエスの苦しみと死の意味について、深く考えさせられる受難日となりました。

昨年のレントの時期に書いた記事(「受肉というスキャンダル」)でも書いたように、レントと受難週にはバッハのマタイ受難曲をよく聴いてきました。けれども今年聴いたのは、つい先日(3月29日)亡くなったペンデレツキによる「ルカ受難曲」でした。 続きを読む

受肉というスキャンダル

今日は灰の水曜日であり、レント(四旬節)の期間に入りました。教会暦では復活祭に先立つ40日間を、自らを省みる祈りと悔い改めの期間としています。40日という期間は、イエスの公生涯に先立つ荒野での試練に対応していますが過去記事を参照)、それはもちろん究極の試練である十字架をも指し示すものでもあります。

灰の水曜日には、教会によっては信者の額に灰で十字のしるしをつける儀式を行います。そこには自分が死すべき存在であることを覚え、悔い改めて神に立ち返るようにというメッセージがあります。このことを思いめぐらしていたとき、死すべき存在である人間のひとりに神がなってくださったという受肉の意味について、改めて考えさせられました。

私はレントと受難週にはよくバッハのマタイ受難曲を聴きます。お気に入りは大定番ですがカール・リヒター。中学時代に初めて彼の演奏でマタイを聴いて以来、愛聴しています。先日この曲についてインターネットを検索していたら、衝撃的な動画を見つけました。それがこちらです。 続きを読む

新しい世界のはじまり

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(2コリント5:17)

2019年が始まりました。ところで、1年の始まりはなぜ1月1日なのか、考えたことはおありでしょうか。日本の暦では月の名称に数字が使われているので、1月が1番目の月というのは当たり前に思うかも知れません。しかし、たとえば英語のJanuaryはローマ神話のヤーヌス神から来ているもので、必ずしも最初の月である必然性はありません。実際、古代ローマでは一年の始まりは今で言う3月でしたが、ユリウス・カエサルがユリウス暦を導入したとき、1年の始まりをIanuarius(January)にし、それが現行のグレゴリオ暦にも受け継がれたと言います。

実際、世界では私たちと異なる暦のサイクルにしたがって生活している、あるいは複数のカレンダーを同時に生きている人々がたくさんいます。たとえば、中国を中心にアジアで広く祝われている旧正月は1-2月頃、今年2019年の旧正月は2月5日になります。一方キリスト教会には「教会暦」というものがありますが、教会暦の1年はアドベント(待降節)と呼ばれる期間から始まります。これはクリスマスの約4週間前の日曜日から始まりますので、クリスチャンにとっては今年は2018年12月2日に始まっていることになります(教会暦がキリスト教信仰についてもっている意味については、過去記事を参照)。したがって、アジアに住むクリスチャンの中には「新年」を3回迎える人もいることになります。

要するに、新年の区切りは恣意的なものであると言えます。12月31日と1月1日は客観的にそれほど違うわけではありません。太陽の周りを回っている地球の位置がほんの少しずれただけにすぎないのです。国立天文台のサイトでは、「天文学上の理由があって『1月1日をこの日とする』と決めたものではない」とはっきりと書かれています。

しかし不思議なもので、ひとたびこの日を1年の始まりと決めると、こんどはそれによって私たちの意識や生き方が変わってくるのです。毎年多くの人々が家をきよめて新年を迎え、初詣や教会の新年礼拝などの行事を通して、新しい気持ちで一年を始めようとします。私たちの世界観は私たちの行動に大きな影響を与えているのです。 続きを読む

きよしこの夜

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。(ルカ2章13-14節)

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クリスマスに関連して、何年か前に偶然耳にして衝撃を受けた曲があります。それは旧ソ連の作曲家アリフレート・シュニトケによる「きよしこの夜 Stille Nacht」です。同名の有名なクリスマス・キャロルに基づいて作られた曲なのですが・・・まずはお聴きください。 続きを読む

力の支配に抗して(1)

当ブログではこれまでもシモーヌ・ヴェイユについて何度か取り上げてきました(たとえばこの記事)。

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シモーヌ・ヴェイユ(1921年)

私はヴェイユの専門家ではなく、彼女が書いたものをすべて読んでいるわけでもありませんが、暇を見ては少しずつ読んできました。その中で最も好きな作品はと問われれば、躊躇することなく挙げたいのが、「『イリアス』あるいは力の詩篇」です。これまで、冨原眞弓訳(みすず書房『ギリシアの泉』所収)、Mary McCarthyによる英訳(こちらで読むことができます)、そして最近出た今村純子訳(河出文庫『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』所収)といろいろな訳で読んできましたが、読むたびに感動を新たにする珠玉の小品です。

このエッセイは、タイトルからして素晴らしいです。このような、直截的かつ詩的な表題を自分もいつか書いてみたいと思います。そして開口一番、単刀直入に主題が述べられます。

『イリアス』の真の英雄、真の主題、その中枢は、力である。

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驚くばかりの

このところアメリカの古い黒人音楽ばかり聴いています。神学校の講義を終えて帰宅するために、深夜ひとり車を走らせているときなど、アコースティックギター1本で歌われる素朴なゴスペルやブルースにほっと心が和みます。

そんなときによく聴く1枚のアルバムがあります。 続きを読む