グレッグ・ボイド・インタビュー(6)

その1 その2 その3 その4 その5

今回からはボイド博士の最新刊についてお話を伺います。十字架の上で人類のためにいのちを捨てた愛の神イエス・キリストを礼拝するクリスチャンにとって、旧約聖書における、一見暴力に満ちた神の描写は大きな問題を引き起こします。このことについて、どう考えたらよいのでしょうか?

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――今度出版される先生の著書、The Crucifixion of the Warrior God (十字架につけられた戦いの神)について教えてください。

GB:現在(注:2016年12月19日)、ゲラ刷りの校正に追われているところです。今度の本は2巻本で合計およそ1,500ページになります。当初はこれほどの長さにする計画ではなかったのですが、だんだんと内容が発展してこうなってしまいました。私が言おうとしていることは――すくなくとも現代の聞き手にとっては――目新しいことなので、細かい部分まで気を配って準備をする必要がありました。ですから私はとにかく徹底的に調べ尽くしたのです。けれどもそれは楽しい体験でした。

最初に私が論じたのは、私たちが神について考えることがらすべての中心に、イエスを位置づけなければならないということです。このことを2章にわたって論じています。さらに2章を費やして、イエスのアイデンティティ、生涯、働きのすべての中心にあるのは十字架だということを論じました。十字架はイエスに関するあらゆるものの中心的主題なのです。そして十字架が啓示する神は、自己犠牲的で、非暴力的で、敵をも受け入れるような神だということです。神は敵を殺そうとされるお方ではなく、むしろ敵のためにいのちを捨てられるお方です。 続きを読む

グレッグ・ボイド・インタビュー(5)

その1 その2 その3 その4

グレッグ・ボイド博士のインタビューを連載していますが、今回は神と時間についてです。

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――オープン神論の基本的特徴の一つに、神は時間的な存在であるというものがあります。神が時間の中に存在するというのは、古典的神論とはかなりちがう考えです。このことについて説明していただけますか? 続きを読む

グレッグ・ボイド・インタビュー(4)

その1 その2 その3

グレッグ・ボイド博士のインタビューの4回目です。今回は、神学における「ミステリー(奥義・神秘)」の役割についてです。

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――オープン神論に対する批判の中で、もう一つよくなされるのは、神の主権と人間の自由意志の関係について、オープン神論はあまりにも合理的に説明しようとしすぎる、ヒューマニスティックな神学だ、というものです。最近読んだ論文でも、オープン神論を批判する中で、「私たちは神のミステリーを認めなければならない」と主張されていました。つまり、神の主権と自由意志がどうやって両立するのかは、人間の理性を越えたミステリーなので、それを合理的に説明しようとするのは誤りだ、ということです。個人的にはその論文自体はあまり説得力を持たなかったのですが、一方で人間の理解を超えた神のミステリーというものも確かにあると思います。私たちは神学におけるミステリーをどう位置づけたら良いのでしょうか? 続きを読む

グレッグ・ボイド・インタビュー(3)

その1 その2

グレッグ・ボイド博士のインタビューを掲載しています。今回お届けする部分では、神の主権や力をどのように理解すべきかという、重要な問題について語ってくださっています。

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――オープン神論を学べば学ぶほど思わされるのは、私たちは神の主権や力、支配と言った概念について聖書的に再定義する必要があるのではないかということです。なぜなら、オープン神論に対して、特にカルヴァン主義陣営からもっともしばしば加えられる批判の一つは、それが神の主権をないがしろにしているということだからです。神の主権、つまり神が宇宙の王であるということと、自由意志や神の愛といった概念を、どのように両立させることができるのでしょうか? 続きを読む

創造という愛の狂気

最近、シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil:フランス語では「ヴェイ」と発音するらしい)の生涯と思想に心を惹かれて、折に触れてその著作を少しずつ味読しています。彼女は第二次世界大戦中に34歳の若さで亡くなったユダヤ系フランス人で、哲学者・政治活動家・神秘主義者でした。生前に出版した著作は多くはなく、無名に等しい存在でしたが、死後彼女の遺稿が次々と編集・出版され、多くの人々に影響を与えてきました。 続きを読む

オープン神論とは何か(2)

その1

前回の記事で、オープン神論の中心的な考えは、神は被造物に真の意味での自由意志を与えられ、被造物とダイナミックな人格的相互関係を持たれるということ、そして未来は部分的に開かれているということだと述べました。今回は、このような主張が聖書の記述によってどのように裏付けられるのかを概観したいと思います。 続きを読む