グレッグ・ボイド・インタビュー(3)

その1 その2

グレッグ・ボイド博士のインタビューを掲載しています。今回お届けする部分では、神の主権や力をどのように理解すべきかという、重要な問題について語ってくださっています。

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――オープン神論を学べば学ぶほど思わされるのは、私たちは神の主権や力、支配と言った概念について聖書的に再定義する必要があるのではないかということです。なぜなら、オープン神論に対して、特にカルヴァン主義陣営からもっともしばしば加えられる批判の一つは、それが神の主権をないがしろにしているということだからです。神の主権、つまり神が宇宙の王であるということと、自由意志や神の愛といった概念を、どのように両立させることができるのでしょうか? 続きを読む

グレッグ・ボイド・インタビュー(1)

このブログを以前から読んでくださっている方々には、アメリカの神学者グレゴリー(グレッグ)・ボイド博士はおなじみだと思います。同師の著書疑うことの益 Benefit of the Doubtについての紹介シリーズ(こちらの最終回にすべての記事へのリンクがあります)を掲載したこともありますし、オープン神論についてのシリーズも、主にボイド師の見解を紹介したものです(こちらを参照)。

私はアメリカ留学時代にボイド師の牧会するウッドランドヒルズ・チャーチ(ミネソタ州セント・ポール)に通っており、先生とは何度もお会いしたことがあります。昨年末に渡米した際に同教会を訪れ、ボイド師にインタビューすることができました。オープン神論や同師の最新刊十字架につけられた戦いの神 The Crucifixion of the Warrior Godについて興味深いお話を伺うことができました。ご本人の許可を得て、これから何回かに分けてその内容をお分かちしていきたいと思います。 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(6)

その1 その2 その3 その4 その5

『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の5章で、ピーター・エンズは聖書が証しする信仰の本質とは何かについて論じます。

エンズは決して、神について知ることや、神について正しい理解を持つことを否定してはいません。けれども、彼は正しい思考をすることに固執しすぎる態度について警告します。なぜなら、聖書において「信じる」という行為の焦点は、人が「何を」信じるかということではなく、「誰を」信頼するかにあるからです。 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(5)

その1 その2 その3 その4

聖書は多様性に満ち、複雑で、そしてリアルな書です。その中には、画一化されたキリスト教の「敬虔」のイメージに当てはまらないような箇所、多くのクリスチャンにとって、教会で公に朗読するのがはばかれるような箇所もあります。けれども、そのような箇所から目を背けることなく、また自分の信仰理解にこじつけたような解釈を施そうとすることなく、聖書が語りかけることにじっと耳を傾けていくことによって、今まで見えなかった新しい世界が開けてくることがあります。

ピーター・エンズは『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の3章と4章で、旧約聖書の中からそのような箇所をいくつかピックアップしています。 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(3)

その1 その2)

前回に引き続き、『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の第1章を見ていきます。前回見たような信仰の危機が生じる背景には、ある特定の信仰理解があると思われます。エンズ自身がその中で育った、この種のメンタリティにおいては、「真の信仰と正しい思想とは同じコインの裏表であった」と言います(13ページ)。そこでは、自分が何を信じているかということについて確信が持てている限り、人は安定した信仰生活を送ることができます。何が信じるべき「正しい教え」であるかは明確に定義されており、その境界線の中にとどまっている限り、自分は正しい道を歩んでいるという安心感があります。

しかし、エンズは最終的にそのような「安住の地」を出て、「自分が確信を感じているかどうかにかかわりなく、幼子のような信頼をもって神に依り頼むことを選ぶ」境地に導かれていったと言います(15ページ)。なぜでしょうか? 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(2)

その1

ピーター・エンズの著書『確実性の罪(The Sin of Certainty)』について、前回は導入的な記事を書きましたが、今回からいよいよ本書の内容に入っていきたいと思います。

本書は9章からなりますが、その第1章「自分が何を信じているのか、もう分からない(I Don’t Know What I Believe Anymore)」というショッキングな題がつけられています。ここでエンズは、多くの(もしかしたらすべての)クリスチャンが一度は体験したことのある、ある瞬間について語り始めます。 続きを読む