読書の死

友人の牧師が、ワシントン・ポスト紙に掲載されたフィリップ・ヤンシーの記事を紹介してくれましたが、それを読んで深く考えさせられてしまいました。

ヤンシーの記事には、「The Death of Reading Is Threatening the Soul(読書の死が魂を脅かす)」という不穏なタイトルがつけられています。英語の読める方はぜひ元記事の全文を熟読することをおすすめしますが、その要約を紹介したいと思います。

記事の中でヤンシーは、現代人が(そして彼自身が)いかに本を読まなくなったかについて書いています。全体的な読書量が減っただけではなく、じっくりと腰を据えて考えながら読まなければならない種類の本を読むことができなくなっている、というのです。ヤンシーはその一因はインターネットとSNSにあると言います。 続きを読む

和服についての雑感

長女がこの夏から海外に留学することになり、その前に家族写真を撮ることになりました。昔からの知り合いの写真家にお願いして、家族のポートレート写真や一人ひとりの写真、仕事用のプロフィール写真など、場所を変えてたくさんの写真を撮っていただきました。

その中で、かねてからの願いであった、和服姿の写真を撮る機会がありました。
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「『いいね』文化」考

フェイスブック断食

ここしばらく、わが家では「ジャンクメディア断食」と称するものを行っています。詳しくは妻のブログに書いてありますが、特にわが家の子どもたちによるメディア使用を(本人たちも同意の上)制限しようとする試みです。親もそれに合わせて、寝室にスマートフォンを持ち込まないなどの試みをしています。今のところ家族全員が良い影響を受けていると感じています。

それに伴い、私も個人的に、フェイスブックの使用をしばらく休止することにしました。いわば「フェイスブック断食」です。フェイスブックはここ数年使っていますが、このようなソーシャルメディアによって、自分の心がどのような影響を受けているのかを、一度立ち止まって考えてみようと思ったのです。(私の場合は仕事でもフェイスブックを使っていますので、必要最小限の使用は続けますが、個人としての使用はやめました。)

フェイスブックを始めてまもなく、自分の投稿がどのような反応を引き起こすかということを自分が強く意識していることに気づきました。投稿にたくさんの「いいね」やコメントがつくと喜び、あまり反応がなかったり否定的なコメントがあったりすると落ち込むなどといったことです。これは誰しも感じる自然な反応かもしれませんが、自分の投稿に人々がどう反応するかが絶えず気になり、そのためにフェイスブックをチェックする頻度が増えていきました。

それだけではありません。自分が投稿する内容だけでなく、自分がどのような投稿やページに「いいね」を押しているか(あるいはいないか)、誰に誕生祝いのメッセージを送って誰に送っていないか、と言ったネット上の「行動」が他の人々にどのように受け取られるのか、そのようなことも常に意識するようになり、それが大きな精神的ストレスを生むようになりました。

もっとも恐ろしいと思ったのは、自分の発信する情報の内容が、そのような「他人の目」によって変わってきたことです。たとえば、長く堅苦しい内容の投稿は「いいね」がつきにくい(そのような種類の文章にはブログの方が合っていると感じたのが、このブログを始めた動機の一つでもあります)、テキストだけの投稿よりも写真や動画をつけた方が「いいね」がつきやすい、などなど、経験的にいろいろな「法則」が分かってきますと、それにしたがって多くの人に「評価されやすい内容」の投稿をするようになっている自分に気づきました。つまり、ソーシャルメディアに露出している「私」は本当の私ではなく、他人に見られることを想定して「作られた私」なのです。ここに来て、私はソーシャルメディアとの関わり方をもう一度考えなおさなければならないと感じました。

「いいね」文化

フェイスブックのようなソーシャルメディアには、普通の環境ではなかなか交流できない人々(たとえば遠隔地に住んでいる人など)と手軽に繋がることができるなど、多くの利点があります。私自身、その恩恵を受けてきました。しかし、その反面、自分のオンライン上での言動が他人からどのように受け取られるかということを過剰に意識するようになり、それは精神的にかなり大きなストレスになってきたのも事実です。

これは実はソーシャルメディアに固有の問題ではなく、実社会における問題がインターネットの仮想現実世界でさらに強化されたものだと言えます。特に私たち日本人は常に「他人の目」を気にしながら生きています。自分の容姿や学校の成績、仕事の業績、等々、「人からどう評価されるか」が、私たち自身の価値を決定するものであるかのように考えられています。フェイスブックでは、そのような「他者からの評価」が「いいね」やコメントの数、「友達」の数などで目に見える形で数値化されていきますが、実生活においても私たちは常に他人からの目に見えない「いいね」を求めて生きているのです。このような社会のあり方を「『いいね』文化」と呼ぶことができるかもしれません。

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「いいね」文化においては、自分の価値やアイデンティティは他人の評価によって大きく影響されます。したがって、私たちにとって、他人から良い評価を得ることが人生の至上目標となり、そのために全ての精力を注ぎこむことになります。言い換えれば、私たちは自分の価値や安心感を「他人からの高評価」に見出そうとしていることになります。これはまさに偶像にほかなりません偶像礼拝とは、私たちの「いのち」(無条件で愛され受け入れられていること、自己価値、安心感)を得ようとして神以外の存在を求めていくことだからです。

そして、このような試みは多くの場合破壊的な影響をもたらします。ほとんどの人はコンスタントに他人から良い評価を受けることなどできません。したがって、それはしばしばセルフイメージの低下につながります。私たちはこの世の「いいね」文化の悪影響から身を守るすべを身に着けていく必要があると思います。

しかし、人のアイデンティティが神ご自身に根ざしているなら、その人は揺るがされることがありません。フェイスブックで何百人の「友達」がいようとも、本当の親友に恵まれているとは限りません。けれども、キリストは私たちの真の「友」となってくださいます(ヨハネ15章13-15節)。キリストにあって神ご自身が私たちを受け入れ、愛し、喜んでくださっていることを実感するとき、私たちはこの世の「いいね」文化によって押しつけられた偽りのセルフイメージから解放されることができます。誰が何と言おうと、神ご自身がこの私に「いいね!」とおっしゃってくださっているのです。もちろん、これはすでに多くの人が指摘していることで、何も目新しい主張ではありません(たとえばマックス・ルケードは『たいせつなきみ』という絵本の中で、子どもにも分かりやすくこのことを述べています)。しかし、「いいね」文化の蔓延する社会においては、このことを繰り返し自分に思い起こさせる必要があると思っています。

神よ、わたしをお守りください。
わたしはあなたに寄り頼みます。
わたしは主に言う、「あなたはわたしの主、
あなたのほかにわたしの幸はない」と。
地にある聖徒は、
すべてわたしの喜ぶすぐれた人々である。
おおよそ、ほかの神を選ぶ者は悲しみを増す。
わたしは彼らのささげる血の灌祭を注がず、
その名を口にとなえることをしない。
主はわたしの嗣業、またわたしの杯にうくべきもの。
あなたはわたしの分け前を守られる。
測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた。
まことにわたしは良い嗣業を得た。
わたしにさとしをさずけられる主をほめまつる。
夜はまた、わたしの心がわたしを教える。
わたしは常に主をわたしの前に置く。
主がわたしの右にいますゆえ、
わたしは動かされることはない。
このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。
わたしの身もまた安らかである。
あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、
あなたの聖者に墓を見させられないからである。
あなたはいのちの道をわたしに示される。
あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、
あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。
(詩篇16篇)

今後私がソーシャルメディアとどのように関わっていくかは分かりません。おそらくその否定的な影響力に留意しつつ、健全な利用法を探っていくことになると思います。しかし、一時的にソーシャルメディアを離れることによって、一種すがすがしい解放感を味わっているのも事実ですので、しばらくこのまま離れていようと考えています。

Be Thou My Visionという、アイルランドに古くから伝わる賛美歌があります(讃美歌 358番「こころみの世にあれど」、聖歌259番「きみはわれのまぼろし」)。昔から好きな曲ですが、特に最近その中の次の歌詞を繰り返し口ずさみ、心に刻みつけています(日本語訳は私訳です)。

Riches I heed not,
Nor man’s empty praise,
Thou mine inheritance,
Now and always:
Thou and Thou only,
First in my heart,
High King of heaven,
My Treasure Thou art.

富に心をとめることはしません
人からの空しい称賛にも
あなたこそ私の受け継ぐべき分
今も、いつまでも
あなたが、ただあなただけが
私の心で第一の場所を占めるかた
天のいと高き王よ
あなたこそ我が宝

Be Thou My Vision (私の好きなJars of Clayによる演奏です)