グレッグ・ボイド・インタビュー(7)

その1 その2 その3 その4 その5 その6

7回にわたって連載してきたグレッグ・ボイド博士のインタビューも今回が最終回です。今回も前回に引き続き、先生の最新刊、The Crucifixion of the Warrior God (十字架につけられた戦いの神)についてお聞きします。

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――旧約聖書において神を暴力的な存在として描いているように見えるテクストは、どういう意味で霊感された権威ある神のことばだと言えるのでしょうか? 続きを読む

グレッグ・ボイド・インタビュー(6)

その1 その2 その3 その4 その5

今回からはボイド博士の最新刊についてお話を伺います。十字架の上で人類のためにいのちを捨てた愛の神イエス・キリストを礼拝するクリスチャンにとって、旧約聖書における、一見暴力に満ちた神の描写は大きな問題を引き起こします。このことについて、どう考えたらよいのでしょうか?

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――今度出版される先生の著書、The Crucifixion of the Warrior God (十字架につけられた戦いの神)について教えてください。

GB:現在(注:2016年12月19日)、ゲラ刷りの校正に追われているところです。今度の本は2巻本で合計およそ1,500ページになります。当初はこれほどの長さにする計画ではなかったのですが、だんだんと内容が発展してこうなってしまいました。私が言おうとしていることは――すくなくとも現代の聞き手にとっては――目新しいことなので、細かい部分まで気を配って準備をする必要がありました。ですから私はとにかく徹底的に調べ尽くしたのです。けれどもそれは楽しい体験でした。

最初に私が論じたのは、私たちが神について考えることがらすべての中心に、イエスを位置づけなければならないということです。このことを2章にわたって論じています。さらに2章を費やして、イエスのアイデンティティ、生涯、働きのすべての中心にあるのは十字架だということを論じました。十字架はイエスに関するあらゆるものの中心的主題なのです。そして十字架が啓示する神は、自己犠牲的で、非暴力的で、敵をも受け入れるような神だということです。神は敵を殺そうとされるお方ではなく、むしろ敵のためにいのちを捨てられるお方です。 続きを読む

グレッグ・ボイド・インタビュー(3)

その1 その2

グレッグ・ボイド博士のインタビューを掲載しています。今回お届けする部分では、神の主権や力をどのように理解すべきかという、重要な問題について語ってくださっています。

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――オープン神論を学べば学ぶほど思わされるのは、私たちは神の主権や力、支配と言った概念について聖書的に再定義する必要があるのではないかということです。なぜなら、オープン神論に対して、特にカルヴァン主義陣営からもっともしばしば加えられる批判の一つは、それが神の主権をないがしろにしているということだからです。神の主権、つまり神が宇宙の王であるということと、自由意志や神の愛といった概念を、どのように両立させることができるのでしょうか? 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(8)

その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の7章で、エンズは「疑い」について正面から取り上げます。疑いとは何でしょうか、そして、信仰者は疑いにどのように接していったら良いのでしょうか?

信仰者の多くは、これまで自分が確信し、そこに人生のよりどころを見いだしてきたことがらについての深刻な疑いを経験します。そしてそれは私たちに大きな不安や恐れを引き起こします。多くの場合、そのような危機に直面したクリスチャンは、何か自分に問題があると考え、なんとか壊れたところを修復しようと努力します。その試みがうまくいけば、私たちは元の信仰生活に戻り、以前と同じ歩みを続けて行きます。けれども、もしそれがうまくいかず、疑いが長期間にわたって続くような場合、心に絶望を秘めながら表面上はこれまでと同じ信仰の歩みを続けて行く人もいれば、潔く信仰に見切りをつけて去っていく人もいます。いずれにしても、疑いは信仰の敵と考えられています。

しかし、エンズはそのように考える必要はないと言います。エンズによると、疑いは信仰の敵ではありません。疑いが信仰の敵のように思えるのは、私たちが「信仰」を私たちの「確実な考え」と同一視するからだと言います。 続きを読む