きよしこの夜

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。(ルカ2章13-14節)

snowy-night

クリスマスに関連して、何年か前に偶然耳にして衝撃を受けた曲があります。それは旧ソ連の作曲家アリフレート・シュニトケによる「きよしこの夜 Stille Nacht」です。同名の有名なクリスマス・キャロルに基づいて作られた曲なのですが・・・まずはお聴きください。 続きを読む

恵みへの応答

26 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。27 この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。28 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。29 この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。30 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。31 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。34 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。35 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。37 神には、なんでもできないことはありません」。38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。‭‭(ルカの福音書1章26-38節)

1200px-Fra_Angelico_-_The_Annunciation_-_WGA00555

フラ・アンジェリコ「受胎告知」

今年もアドベント(待降節)の季節を迎えています。アドベントとはラテン語で「到来」を意味するadventusということばから来ています。旧約聖書で約束されていた救い主であるイエス・キリストの到来を待ち望んでいたイスラエルの信仰に自らを重ね合わせると同時に、再び来られる主を待ち望む思いを新たにする季節でもあります。

冒頭に引用した箇所は聖母マリアが天使ガブリエルからイエスの誕生を知らされる、いわゆる「受胎告知」の場面です。ここに描かれているマリアの姿は、キリスト者の信仰の姿、また献身の一つのモデルと言っても良いと思います。

このエピソード全体を貫くテーマは「恵み」です。ガブリエルは開口一番、マリアに「恵まれた女よ、おめでとう」と語りかけます。また、30節でも重ねて「あなたは神から恵みをいただいているのです」と言っています。神の恵みがすべてに先だってあり、マリアの信仰はその恵みへの応答なのです。その特徴を3つに分けて見ていきましょう。 続きを読む

死をもたらす神学

昨年のこの時期に書いた「クリスマスの星」という記事が、今年になってまた読まれているようです。そこでも取り上げた、マタイ福音書の降誕物語を改めて読み返していると、昨年とは違う側面に目が留まりました。

異教徒の占星術師である東方の博士たちがエルサレムを訪れて、ヘロデ大王に「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。」と訊ねると、王とエルサレムの住民は不安に陥ります。マタイは次のように続けます:

そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。(マタイ2:4-6)

ここで興味深いのは、ユダヤの宗教家また学者であった祭司長や律法学者たちは、キリストがベツレヘムで生まれるはずだということを、聖書から正確に読み取っていたということです。にもかかわらず、彼らは東方の博士たちのようにベツレヘムまで行ってキリストを訪ねようとはしなかったのです。(エルサレムからベツレヘムまでは10キロもありません。) 続きを読む

大きな喜びの知らせ

クリスマスおめでとうございます。このクリスマスに行った説教に手を加えたものをアップします。

8  さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。9  すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。10  御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。11  きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。12  あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。13  するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
14  「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

15  御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。16  そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。17  彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。18  人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。19  しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。20  羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。
(ルカ2章8-20節)

日本でも年中行事の一つとしてすっかり定着したクリスマスですが、本来はイエス・キリストの誕生をお祝いするキリスト教の祝日です。ただし、12月25日にキリストの降誕を祝うようになったのは後の時代の話で、聖書にはイエスさまが実際何月何日にお生まれになったかは書いてありません。イエスさまがいつお生まれになったかよりも大切なのは、どういう状況でお生まれになったか、ということです。

聖書の中でイエス・キリストの誕生のようすを詳しく書いてところは2箇所ありますが、今日はその中でルカの福音書から、聖書の世界に分け入っていきたいと思います。 続きを読む

クリスマスの星

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。 ・・・彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。(マタイの福音書2章1-2、9-10節)

東方の博士たちが星に導かれて幼子イエスを拝みに訪れた話は、聖書にあるクリスマスの物語の中でも、ひときわ印象的なエピソードです。

religion-1913588_1280

教会の降誕劇などでも馴染み深いこの話ですが、一般に知られているストーリーには、聖書に書かれていない要素もあります。 続きを読む

クリスマスのわざ

カリフォルニアでのEquipper Conference 2016での奉仕のためにアメリカに来ていますが、その前にミネソタ州にある妻の実家を訪れ、何年かぶりでアメリカでのクリスマスを過ごしています。

近年は日本でもそうですが、アメリカでもクリスマスは文化の一部になっており、キリスト教とは直接関係ない世俗の祝日として楽しまれています。

同時に、日本とは異なり多くのクリスチャン人口を抱えるアメリカでは、多くの教会でクリスマスが盛大に祝われています。しかし今回は、そのどちらでもない、もう一つのクリスマスを垣間見ることができました。
続きを読む

待ち望むということ

今週からアドベント(待降節)に入り、教会暦では新しい年を迎えました。アドベントについてはこちらの過去記事でも書きましたが、二千年前のキリスト降誕のできごとを思い起こすとともに、キリストの再臨を待ち望むという意味があります。そしてまた、信仰者が1月1日から始まるこの世の暦とは異なる時間のサイクルに生きることは、この世の世界観とは異なる神の国の時空に生きることにほかなりません(これについてはこちらの過去記事を参照してください)。

個人的に、今年の待降節は文字通り「待つ」ということの意味を深く考えさせられています。

ルカ福音書の降誕物語では、イスラエルの救いを待ち望む忠実なユダヤ人が何人も登場しますが、興味深いことにそのほとんどが老人です。バプテスマのヨハネの両親であるザカリヤとエリサベツしかり(1章)、そしてシメオンとアンナしかりです(2章)。彼らは若いヨセフやマリヤとともに、メシアを待ち望む敬虔な神の民イスラエルを代表しているわけですが、ルカはこのイスラエルを、神の約束の実現を待ち望みつつ年老いた民族というイメージで描いているように思われます。つまり、福音書の冒頭部分でルカは、イスラエルに対する神の約束の実現が久しく遅れていた――あるいは少なくとも人間の目にはそのように見えた――ことを読者に伝えようとしているのかもしれません。そしてそれは、今まさに到来しようとしている新時代の幕開けに対する期待を高め、ドラマティックな効果をあげています。

続きを読む