前回は、「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」(以下「書翰」。全文はこちら)の成立事情について概観しました。今回はその内容を見てみたい と思います。
富田満統理による序文では本書翰が「現代の使徒的書翰」と称され、この後もしばしば同様の書翰を送る計画があることが記されています。
第1章ではまず、日本基督教団という形で「一国一教会」となった日本の教会と、アジア諸地域の教会との連帯が語られます。日本教会とアジアの教会を結ぶ「紐帯」の一つは、英米という「共同の敵」に対する戦いであり、大東亜戦争が米英の植民地主義からアジア諸民族を解放する「大聖戦」であり、「サタンの凶暴に対する一大殲滅戦」であると語られます。そこでは米英のキリスト教会がいかに堕落しているかが語られ、米英に対する日本の戦いは「神の聖なる意志」によるものであるとされていきます。この章で米英のキリスト教はパウロがローマ2:17-22で攻撃している「ユダヤ的キリスト者と同一の型にはまった」ものだとされています 。
(パウロが上の箇所で言及している「ユダヤ人」がはたして「ユダヤ的キリスト者」をさすのか、それともユダヤ人一般を指すのかという釈義上の問題はおくとして、ここで書翰がユダヤ人に対して否定的な視点をもっていることは間違いありません。書翰の末尾近くでは、キリストをさして「かのイスラエル民族によって捨てられ、天地の主なる神によって栄光の中に証示され給える者」といった表現も見られます。これは同盟国であったナチス・ドイツのユダヤ人迫害と関係しているのかもしれません。)
もう一つの「紐帯」は、日本とアジアの教会は共に主イエス・キリストに属する存在だということです。書翰では、主イエスの「己れの如く汝の隣りを愛すべし」という隣人愛の教えを取りあげて、「大東亜共栄圏の理想は、この主の隣人愛の誡めを信仰において聞き、服従の行為によって実践躬行することをわれらに迫る」と主張します。そしてエペソ4:1、3(「汝ら召されたる召しにかないて歩み、平和の繋ぎ[靱帯]のうちに勉めて御霊の賜う一致を守れ」)を引用しつつ、この目的のために一致するよう呼びかけます。
第2章では日本とその国体がいかにすぐれたものであるかが宣伝されますが、「おおよそ真なること、おおよそ尊ぶべきこと、おおよそ正しきこと、おおよそいさぎよきこと、おおよそ愛すべきこと、おおよそよき聞こえあること、いかなる徳、いかなる誉にても汝らこれを念い」(ピリピ4:8)の聖句から、大東亜戦争遂行の理想という「おおよそ尊ぶべきもの」に心をとめるように促します。そして「全世界をまことに指導し救済しうるものは、世界に冠絶せる万邦無比なるわが日本の国体である」と主張します。そしてこの国体の指導の下に新しい政治秩序を東亜に建設することは「神の国をさながらに地上に出現せしめること」であるといいます。この章の文言は日本の国体があたかも神と同一視されているかのような印象を与えます。
第3章で書翰は日本基督教団の成立にふれ、なぜこのような「一国一教会」が生まれる必要があったのかを論じます。それは欧米の宣教師の影響から解放された「日本国自主のキリスト教」を打ち立てる必要性があったからであるといいます。その先駆者として内村鑑三の言葉「世界は畢竟キリスト教によりて救わるるのである。しかも武士道の上に接木せられたるキリスト教に由りて救われるのである」が引用されます。そして日本のキリスト教会の歩みを「キリスト教は日本武士道に接樹され、儒教と仏教とによって最善の地ならしをされた日本精神の土壌に根を下ろし花を開き結実していったのである」と振り返り、その成功が「わが国体の本義と日本精神の美しくして厳しいものが遺憾なく発揚せられた事実」によるものであると誇ります。
日本基督教団の成立はそのような流れのクライマックスとして位置づけられています。そのくだりを少し長いですが引用します:
しかして遂に名実とも日本のキリスト教会を樹立するの日は来た、わが皇紀二千六百年の祝典の盛儀を前にしてわれら日本のキリスト教諸教会諸教派は東都の一角に集い、神と国との前にこれらの諸教派の在来の伝統、慣習、機構、教理一切の差別を払拭し、全く外国宣教師たちの精神的・物質的援助と羈絆から脱却、独立し、諸教派を打って一丸とする一国一教会となりて、世界教会史上先例と類例を見ざる驚異すべき事実が出来したのである。これはただ神の恵みの佑助にのみよるわれらの久しき祈りの聴許であると共に、わが国体の尊厳無比なる基礎に立ち、天業翼賛の皇道倫理を身に体したる日本人キリスト者にして初めてよくなしえたところである。
かかる経過を経て成立したものが、ここに諸君に呼びかけ語っている「日本基督教団」である。その後教団統理者は、畏くも宮中に参内、賜謁の恩典に浴するという破格の光栄に与り、教団の一同は大御心の有難さに感泣し、一意宗教報国の熱意に燃え、大御心の万分の一にも応え奉ろうと深く決意したのである 。
ここでは1940年の全国信徒大会と翌年の教団創立が振り返られていますが、ここから書翰がこれら一連の動きをどう位置づけていたかが分かります。すなわち、日本人キリスト者のよって立つ基礎が日本の「国体」にあること、また教団の存在目的が「宗教報国」にあることが明言されています。「一国一教会」としての日本基督教団の成立は、このような認識と目的意識の下になされたものでした。
たしかにこの章は日本からさらに範囲を拡げて「大東亜のキリスト教」を樹立する必要についても述べられていますが、この章の大部分は「日本キリスト教」の自画自賛で占められており、またここで設立を目指されている大東亜共栄圏そのものが実質的には日本帝国による支配ということを意味するのであれば、この「大東亜のキリスト教」が意味するものは結局日本的キリスト教のアジア諸国への押しつけと見ても良いでしょう。
この章の末尾には、「一国一教会」の統一達成の一環として、「在来の諸学校が教団立神学校として統一され」たことが報告されていますが、この短い箇所には神学教育にまで政府の統制が及んでいた事実が示唆されています。
最終章である第4章では、再びピリピ書に言及しつつ、アジアのキリスト者に対してもう一度一致を呼びかけ、「隣人愛の高き誡命の中にあの福音を聞き信じつつ大東亜共栄圏の建設という地上における次の目標に全人を挙げ全力を尽さなければならぬ」と語り、「汝らキリスト・イエスのよき兵卒としてわれらと共に苦難を忍べ」(2テモテ2:3)の聖句をもって書翰を閉じています。つまり、結局のところ、アジアにおけるキリスト者が一致してなさなければならぬ働きとは、大東亜戦争の遂行ということなのでした。
以上が書翰の内容ですが、これは募集要項の指針に正確に沿ったものであることが分かります。ここでは日本の天皇制イデオロギーと戦争の遂行を神学的に正当化しようとする試みが見られます。宮田光雄氏はこれについて次のように述べています:
この「共栄圏書翰」が出された時点では、日本軍占領下の各地では、当初抱かれた《解放軍》への期待はすでに破れ、過酷な占領軍政にたいする民衆的抵抗運動が活発化し始めていたことが知られている。「書翰」の疑似使徒的勧告は、そうした民族主義的な独立への動きにたいして、教団がキリスト教的宣撫工作の一翼を担うにいたったことを暴露するものである 。(『国家と宗教―ローマ書十三章解釈史=影響史の研究』、476頁)
ここに、1940年の皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会におけるプロテスタント教会諸教派の合同という決議に基づき、翌年成立した日本基督教団が戦時中に到達した一つの姿を見ることができるのです。
次回は、特に神学的視点からこの書翰の内容を考察してみたいと思います。
(続く)