科学と聖書(1)

3月29日(水)から31日(金)にかけて、米テキサス州ヒューストンで開催されたバイオロゴス・カンファレンスに参加して来ました。

バイオロゴス(BioLogos)とはアメリカ国立衛生研究所(NIH)の所長であり、ヒトゲノム計画の指導者でもあったフランシス・コリンズ博士によって2007年に設立された、科学とキリスト教信仰の融和を追求・促進することを目的とした団体です。 続きを読む

グレッグ・ボイド・インタビュー(5)

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グレッグ・ボイド博士のインタビューを連載していますが、今回は神と時間についてです。

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――オープン神論の基本的特徴の一つに、神は時間的な存在であるというものがあります。神が時間の中に存在するというのは、古典的神論とはかなりちがう考えです。このことについて説明していただけますか? 続きを読む

グレッグ・ボイド・インタビュー(4)

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グレッグ・ボイド博士のインタビューの4回目です。今回は、神学における「ミステリー(奥義・神秘)」の役割についてです。

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――オープン神論に対する批判の中で、もう一つよくなされるのは、神の主権と人間の自由意志の関係について、オープン神論はあまりにも合理的に説明しようとしすぎる、ヒューマニスティックな神学だ、というものです。最近読んだ論文でも、オープン神論を批判する中で、「私たちは神のミステリーを認めなければならない」と主張されていました。つまり、神の主権と自由意志がどうやって両立するのかは、人間の理性を越えたミステリーなので、それを合理的に説明しようとするのは誤りだ、ということです。個人的にはその論文自体はあまり説得力を持たなかったのですが、一方で人間の理解を超えた神のミステリーというものも確かにあると思います。私たちは神学におけるミステリーをどう位置づけたら良いのでしょうか? 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(8)

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『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の7章で、エンズは「疑い」について正面から取り上げます。疑いとは何でしょうか、そして、信仰者は疑いにどのように接していったら良いのでしょうか?

信仰者の多くは、これまで自分が確信し、そこに人生のよりどころを見いだしてきたことがらについての深刻な疑いを経験します。そしてそれは私たちに大きな不安や恐れを引き起こします。多くの場合、そのような危機に直面したクリスチャンは、何か自分に問題があると考え、なんとか壊れたところを修復しようと努力します。その試みがうまくいけば、私たちは元の信仰生活に戻り、以前と同じ歩みを続けて行きます。けれども、もしそれがうまくいかず、疑いが長期間にわたって続くような場合、心に絶望を秘めながら表面上はこれまでと同じ信仰の歩みを続けて行く人もいれば、潔く信仰に見切りをつけて去っていく人もいます。いずれにしても、疑いは信仰の敵と考えられています。

しかし、エンズはそのように考える必要はないと言います。エンズによると、疑いは信仰の敵ではありません。疑いが信仰の敵のように思えるのは、私たちが「信仰」を私たちの「確実な考え」と同一視するからだと言います。 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(7)

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これまで、『確実性の罪(The Sin of Certainty)』に基づいて、聖書的な信仰のあり方について探求してきました。著者のエンズによると、聖書が証しする信仰とは、神についての正しい思考にこだわるものではなく、不確実性の中でも神に信頼するということでした。なぜこのことが大切なのでしょうか?それは、私たちの神についての確信が揺るがされるようなできごとが人生にはしばしば起こるからです。エンズはそのようなできごとを否定したり避けたりしようとするのではなく、むしろそれらが語りかける内容に耳を傾けることをすすめます。

エンズは第6章で、2013年の夏に自身が運営するブログ上で行なったアンケート調査について書いています。彼はブログの読者に次のような質問を投げかけました:

あなたがクリスチャンであり続けることの最大の障害となっているものを一つ二つ挙げてください。あなたが繰り返しぶつかる障害物は何ですか?そもそもなぜ信仰を持ち続けているのかと疑問に思うような、あなたにつきまとって離れない問題とは何ですか?

これらの質問に対して、エンズは数多くの率直な(しばしば匿名の)回答を受け取りました。それらは、大きく分けて次の5つのカテゴリに分けられるものだったと言います: 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(6)

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『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の5章で、ピーター・エンズは聖書が証しする信仰の本質とは何かについて論じます。

エンズは決して、神について知ることや、神について正しい理解を持つことを否定してはいません。けれども、彼は正しい思考をすることに固執しすぎる態度について警告します。なぜなら、聖書において「信じる」という行為の焦点は、人が「何を」信じるかということではなく、「誰を」信頼するかにあるからです。 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』 を読む(4)

その1 その2 その3

今回は、『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の第2章”How We Got Into This Mess”(私たちがどのようにしてこの混乱状態に陥ったか)を取り上げます。

前回見たように、エンズは現代キリスト教の抱える大きな問題点の一つは、「神への正しい信仰」と「神についての正しい思想」を同一視する考え方にあると主張します。繰り返しますが、エンズは神についての正しい理解を知的に追求していく営みを否定しているわけではありません。問題はそれをキリスト教信仰の中心に据えようとする態度です。

けれども、どうしてこのような信仰的態度が生じてきたのでしょうか?エンズはアメリカの歴史において、聖書はキリスト教信仰の知的基盤(たとえば正確な科学的・歴史的知識)を提供するということに関しては長い間共通の理解がありましたが、19世紀になってそのようなコンセンサスを揺るがすようなできごとが起こってきたといいます。 続きを読む