受難週に聴いた音楽

教会暦では昨日が受難日でした。2年前のこの日に「受難日に聴いた音楽」という記事を書きました。そこではポーランドの作曲家クシシュトフ・ペンデレツキ「ルカ受難曲」を取り上げました。

今年の受難節も、イエス・キリストの受難について思い巡らしていましたが、今年はパッション2000のために作曲された受難曲を全部聴いてみようと思い立ちました。

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パンデミックを考える(1)

ここ数ヶ月というもの、「コロナ」という言葉を見聞きしない日はありません。新型コロナウイルスの感染は世界中で爆発的に拡大を続け、今もその勢いは衰えを見せていません。この原稿を書いている時点で、世界の感染者が2千万人を突破しました。感染症がもたらす健康被害はもちろんのこと、それに伴う社会的、政治的、経済的影響は甚大で、世界の国々を大きく揺るがし続けています。

私たちの「日常」は一変してしまいました。そして、コロナ以前の「日常」に戻ることは、もうないのかもしれません。

キリスト教会ももちろん、この変化と無縁ではありません。多くの教会堂は閉鎖され、礼拝はオンラインやその他の手段で行われるようになっています。私が教えている神学校でも、これまでの授業はすべてオンラインで行われるようになりました。

しかし、私たちにとって本当に重要なことは、これまでの「活動」や「ミニストリー」をいかに継続していくか、ということではありません。より重要な問題は、信仰者としてこの「非常事態」にどのように向き合い、このパンデミックの世界にあってどのように神の召しに従って歩んでいくか、ということだと思います。

今回のコロナ禍はまさに世界規模のできごとですので、これまでに世界中のキリスト者が様々な考察を発表してきています。日本国内でも、各キリスト教雑誌ではコロナ禍特集を組み、何冊かの書籍が出版されています。その内容も、神学的考察から実践的アドバイスまで多岐にわたります。

そんな中にあって、私も自分なりにいろいろと思うことはありましたが、それをなかなかこのブログ上で公表することができませんでした。

一つには、教会と神学校におけるコロナ禍への実際的な対応に追われて十分に考えを深める時間が取れなかったことがありますが(こちらを参照)、より大きな理由は、この問題があまりにも大きすぎたからです。

私たちにとって今回のパンデミックは現在進行中のできごとであり、まだその渦中にある状況です。現在も感染は拡大中ですし、今後第二波、第三波が続く可能性は大いにあります。感染の終息がいつ訪れるのか、さらにその傷跡から世界が完全に回復するまでどのくらい時間がかかるのか、誰にも予測できません。

日々めまぐるしく移り変わる状況の中で、一個人が何か確定的なことを主張できるとは思いません。そのような状況においては「語らない」「沈黙する」ことが賢明な選択肢である場面もあります。しかし、たとえ不完全なものであったとしても、それを言葉にしていくことによって、自らの考えを深め、他の人々との対話のきっかけになればと思います。それに結局のところ、私たちの思想と実践は切り離すことはできません。たとえ未完成のものであっても、私たちは現時点でできる限り考えを深めたら、そこから一歩を踏み出すしかないのです。

そういうわけで、これから綴っていくのは、パンデミックのただ中で生まれた暫定的な考察に過ぎません。何年か後にすべてが落ち着いた時に振り返ったら、また別の考えが生まれるかもしれません。できれば、ゆるい連載の形で何回か続けていくことができたらと思います。 続きを読む

クリスマスは「年末行事」ではない

今日はアドベント第一主日でした。たまたま所属教会の礼拝で説教を担当することになりましたので、開口一番「新年あけましておめでとうございます」とあいさつした後、あっけにとられた会衆の方々に、教会暦ではアドベント(待降節)が一年のはじめであることを説明しました。

アドベントと教会暦の始まりについては過去記事に何度か書いています:

アドベント―夜明けを待ち望む

もう一つの座標系

新しい世界のはじまり

キリスト者にとって、アドベントとそれに続くクリスマスが一年の始まりであることを意識することの重要性についてはこれらの記事に書きましたが、この記事では、このことを逆の面から見てみたいと思います。 続きを読む

さいごに残るもの

2018年も終わりに近づきました。この一年は私と家族にとって大きな変化の年になりました。

別れがあり、出遭いがありました。
失ったものがあり、得たものがありました。
引き抜かれ、植えられる体験をしました。
苦しみがあり、喜びがありました。

これまでの歩みを振り返るとき、気づかされることがあります。それは、私たちの目によいと思えることも、悪と思えることも、すべては過ぎ去っていくことです。すべてが私たちの前を幻影のように通り過ぎていったとき、いったい何が残るだろうかと考えさせられます。 続きを読む

読書の死

友人の牧師が、ワシントン・ポスト紙に掲載されたフィリップ・ヤンシーの記事を紹介してくれましたが、それを読んで深く考えさせられてしまいました。

ヤンシーの記事には、「The Death of Reading Is Threatening the Soul(読書の死が魂を脅かす)」という不穏なタイトルがつけられています。英語の読める方はぜひ元記事の全文を熟読することをおすすめしますが、その要約を紹介したいと思います。

記事の中でヤンシーは、現代人が(そして彼自身が)いかに本を読まなくなったかについて書いています。全体的な読書量が減っただけではなく、じっくりと腰を据えて考えながら読まなければならない種類の本を読むことができなくなっている、というのです。ヤンシーはその一因はインターネットとSNSにあると言います。 続きを読む

和服についての雑感

長女がこの夏から海外に留学することになり、その前に家族写真を撮ることになりました。昔からの知り合いの写真家にお願いして、家族のポートレート写真や一人ひとりの写真、仕事用のプロフィール写真など、場所を変えてたくさんの写真を撮っていただきました。

その中で、かねてからの願いであった、和服姿の写真を撮る機会がありました。
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