神がデスヴォイスで歌うとき(5)

するとヨハネが答えて言った、「先生、わたしたちはある人があなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちの仲間でないので、やめさせました」。
イエスは彼に言われた、「やめさせないがよい。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」。
(ルカの福音書9章49-50節)

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まずは次の歌の歌詞をお読みください(英語からの私訳です):

自分の魂の救いについて、考えたことがあるのか
それとも、死んだら墓場で終わりと思っているのか
神はおまえの一部なのか、それとも頭の中の観念に過ぎないのか
キリストは学校の教科書に載っていた名前に過ぎないのか

死について考えるとき、息苦しくなるか、それとも冷静でいられるのか
教皇が苦境に立つのを見たいのか、彼は馬鹿だと思っているのか
でも俺は真理を見いだした。そうさ俺は光を見て、変えられたんだ
人生の終わりに、おまえが独りぼっちでおののくとき、俺は準備ができているのさ

それともおまえは仲間に何と言われるか恐れているのか
おまえが天の神を信じていると知った時に
奴らは批判する前に気づくべきなんだ
神が愛への唯一の道だってことを

群れがどこに向かって暴走しようとも従うしかない
おまえの心はそんなにちっぽけなのか
死を前にしたとき、それでもおまえはあざけって言うのか
太陽を拝んだほうがまだましだと

キリストを十字架につけたのは、おまえのような奴らだったのだ
おまえが持っていた意見が唯一の選択肢だったとは悲しむべきことだ
最期が迫ったとき、神など信じないと言えるほど、確信があるのか
チャンスがあったのに、おまえは拒絶した。もう後戻りはできない

神は死んでいなくなったという前に、もう一度考えてみるがいい
目を開けて分かってくれ、神しかいないってことを
神だけがおまえをすべての罪と憎しみから救える方なんだ
それともまだ、すべてをあざ笑うつもりか? そうか!それなら、もう手遅れだ

さて、これはいったい誰の歌か、ご存知でしょうか? 続きを読む

神がデスヴォイスで歌うとき(3)

わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。
(1コリント9章19-23節)

その1 その2

そもそも「クリスチャンメタル」とは何でしょうか? クリスチャンメタルについての研究書を著したMarcus Mobergによると、クリスチャンメタルとは次の3つの要素を持つメタルミュージックのことです:

1.そのメッセージ(特に歌詞)がキリスト教的であること
2.ミュージシャンがクリスチャンであり、その信仰を公表していること
3.その音楽がクリスチャンのネットワークを通して制作され流通していること

Mobergはこのうち3番目の要素については重要度は低いとしており、一般的には最初の2つの要件を満たしていることが必要と考えられることが多いです。特にキリスト教会においては2番目の要素はかなり重視され、たとえばキリスト教書店でCDを販売するかどうかに影響します。しかしこの点は問題を含んでいます。あるクリスチャンミュージシャンが後になって信仰を捨てた場合、彼または彼女は「クリスチャンアーティスト」ではなくなります。では彼らがまだクリスチャンであった時に発表した録音はその時点で「クリスチャンミュージック」でなくなるというのはおかしな話です。それに、そもそもある人が真正の信仰を持っているのかどうか、第三者に判定できるものでしょうか?

そのような理由で、私は個人的にはキリスト教的な歌詞を持ったヘヴィーメタルを「クリスチャンメタル」と広く定義したいと思います。ここで言う「キリスト教的な歌詞」についても、第1回で語ったように幅広い内容を考えることができます。

歴史的に言うと、クリスチャンメタルの起源は1970年代後半のアメリカにあります。その中でも、一般の音楽界でも最初に大きな成功をおさめ、今日に至るまで最も有名なクリスチャンメタルバンドとなったのは、1983年にカリフォルニア州で結成されたストライパー です。

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創造の神――ジョン・ウォルトン博士来日講演を受けて

前回の更新から間が空いてしまいましたが、ようやく少し時間ができたので、今回のジョン・ウォルトン師の一連の講演その1 その2 その3)を拝聴して考えたことを簡単に書き記しておきたいと思います。

ウォルトン師の講演ではいろいろと興味深い主題が取り上げられていましたが、その中には自分の中でまだ十分に整理し切れていないものや、納得しきれない主張もありました。けれども、少なくとも次の3つの点については、全面的に同意できると思いました。

1.旧約聖書はそれが書かれた古代近東の文化に照らして理解すべきであり、聖書の「字義的」な解釈とは、その文化の中で聖書記者の意図したメッセージを読み取ることである。

2.聖書の記述は科学的知識を教えることを目的としているのではない。したがって現代の科学的知識を聖書テクストに読み込もうとする調和主義(concordism)は避けなければならない。

3.創世記1章の天地創造の記事は物質的な宇宙の起源を説明しているのではなく、すでに存在していた混沌状態に神が秩序と機能を付与し、ご自身が住まわれる聖なる空間とされたこと(宇宙神殿の落成式)について述べている。

この記事では特に最後の点について、さらに考察したいと思います。 続きを読む

ジョン・ウォルトン博士来日講演(3)

その1 その2

来日したジョン・ウォルトン博士の講演会が続いています。本日5月15日(火)の午前は聖契神学校の学生向けにヨブ記についての特別講義が行われ、午後には公開セミナーが行われました。この記事では後者について紹介します。

セミナーのタイトルは「創世記2章は何を語っているのか?~古代の世界観で人類の起源を考える~」というもので、アダムとエバの創造記事についての興味深い講演がなされました。このセミナーの内容は、今回邦訳された『創世記1章の再発見』ではなく、その続編であるThe Lost World of Adam and Eve(邦訳未刊)に基づくものでした。 続きを読む

ジョン・ウォルトン博士来日講演(2)

昨日の投稿に続き、ホィートン大学の旧約学教授であるジョン・ウォルトン博士の来日講演会の内容を紹介します。5月14日(月)は福音主義神学会東部部会の主催で行われた、春期公開研究会での講演「創世記1章は何を語っているのか?~機能的コスモロジーの再発見~」に出席しました。

タイトルを見て分かるように、この講演は12日(土)に行われた講演会と同じ主題について行われました。しかし、神学会での講演ですので、前回よりも専門的な内容に踏み込んで話がなされました。そこで、この記事では、前回と重なる内容は割愛して、前の記事で詳しく触れなかった内容について、ポイントごとに紹介したいと思います。 続きを読む

ジョン・ウォルトン博士来日講演(1)

ホィートン大学の旧約学教授であるジョン・ウォルトン師が来日し、東京を中心として各地で講演会が行われています。そのうちのいくつかについて、概要を紹介していきます。

まず5月12日(土)に、来日に合わせて発売されたウォルトン師の著書『創世記1章の再発見』(いのちのことば社発売)の出版記念講演会が御茶の水で行われました。この講演会では、同書の基本的内容を分かりやすく一般向けに説明されました。 続きを読む

『焚き火を囲んで聴く神の物語・対話篇』書評

以前紹介した本ですが、私も執筆者の一人に加えていただいた焚き火を囲んで聴く神の物語・対話篇』の書評が『本のひろば』9月号に掲載されました。評者はこのブログでもおなじみの藤本満先生です。

Scan 1

藤本先生は本書の魅力を的確に、分かりやすく紹介してくださっていますが、特に強調しておられるのが、本書はいわゆる対談集ではない、ということです:

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