クリスマスは「年末行事」ではない

今日はアドベント第一主日でした。たまたま所属教会の礼拝で説教を担当することになりましたので、開口一番「新年あけましておめでとうございます」とあいさつした後、あっけにとられた会衆の方々に、教会暦ではアドベント(待降節)が一年のはじめであることを説明しました。

アドベントと教会暦の始まりについては過去記事に何度か書いています:

アドベント―夜明けを待ち望む

もう一つの座標系

新しい世界のはじまり

キリスト者にとって、アドベントとそれに続くクリスマスが一年の始まりであることを意識することの重要性についてはこれらの記事に書きましたが、この記事では、このことを逆の面から見てみたいと思います。 続きを読む

[リソース紹介] The Bible Project

先週、シンガポールで開催されたアジア神学協議会(ATA)の総会に出席してきました。今回のテーマは「未来の教会:その神学的応答 The Future Church: A Theological Response」で、次世代に対する神学教育のあり方について議論がなされ、多くのことを学ばされました。

今回フォーカスが当てられたのは、特にミレニアル世代(1980年代はじめから1990年代半ばまでに生まれた世代)です。(1990年代中盤以降に生まれたさらに若いポストミレニアル世代もいますが、今回議論の中心となったのはミレニアル世代でした。)ミレニアル世代はインターネットと共に育った世代であり、スマートフォンやソーシャルメディアが生活の一部になっています。彼らはポストモダニズムの中で産声をあげた最初の世代であり、Leonard Sweetの言うEPICExperiential, Participatory, Image-driven, Connected)、つまり体験と参加とイメージとつながりを重んじるポストモダン文化の中に生きています。

millennials

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受肉というスキャンダル

今日は灰の水曜日であり、レント(四旬節)の期間に入りました。教会暦では復活祭に先立つ40日間を、自らを省みる祈りと悔い改めの期間としています。40日という期間は、イエスの公生涯に先立つ荒野での試練に対応していますが過去記事を参照)、それはもちろん究極の試練である十字架をも指し示すものでもあります。

灰の水曜日には、教会によっては信者の額に灰で十字のしるしをつける儀式を行います。そこには自分が死すべき存在であることを覚え、悔い改めて神に立ち返るようにというメッセージがあります。このことを思いめぐらしていたとき、死すべき存在である人間のひとりに神がなってくださったという受肉の意味について、改めて考えさせられました。

私はレントと受難週にはよくバッハのマタイ受難曲を聴きます。お気に入りは大定番ですがカール・リヒター。中学時代に初めて彼の演奏でマタイを聴いて以来、愛聴しています。先日この曲についてインターネットを検索していたら、衝撃的な動画を見つけました。それがこちらです。 続きを読む

驚くばかりの

このところアメリカの古い黒人音楽ばかり聴いています。神学校の講義を終えて帰宅するために、深夜ひとり車を走らせているときなど、アコースティックギター1本で歌われる素朴なゴスペルやブルースにほっと心が和みます。

そんなときによく聴く1枚のアルバムがあります。 続きを読む

シスター・ロゼッタの新しい歌

少し前にヘヴィーメタルについて連続記事を書きましたが、それがきっかけで日本のクリスチャンメタルバンド、Imari TonesのTak Nakamineさんご夫妻と知り合うことができました。たまたま家も近かったので実際にお会いする機会も与えられ、たいへん充実した楽しい時間を過ごすことができました。

その時にいろいろと音楽についても教えていただいたのですが、その中でSister Rosetta Tharpeという黒人女性ミュージシャンの存在を知り、とても興味を覚えて自分でも調べてみました。

ロックミュージックの起源については諸説ありますが、その誕生に大きな影響を与えた一人がシスター・ロゼッタです。彼女は1915年にアメリカ南部のアーカンソー州に生まれた歌手またギタリストで、エルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーら初期のロックンローラーに絶大な影響を与え、「ロックンロールのゴッドマザー」と呼ばれました。

「シスター」という呼称からも分かるように、彼女はゴスペル・シンガーでもありました。彼女の母親は巡回伝道者で、彼女は子どもの時からアメリカ各地の教会やリバイバル集会で演奏し、歌っていました。彼女は一般の音楽界で成功した後も、生涯一貫してゴスペル音楽を歌い続けたクリスチャンミュージシャンでした。実にロックンロールの源流には神への賛美があったのです。 続きを読む

悪魔の解釈学(3)

さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。 するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。
‭‭(ルカ福音書‬ ‭15章1-2‬ ‭節)

その1 その2

ヘヴィーメタル(あるいは大衆文化一般)における悪魔のイメージをどう解釈するかについて、これまでいくつかのポイントについて考察してきました。最後にもう一つの重要なポイントについて触れたいと思います。

神がデスヴォイスで歌うとき」の5でも少し触れましたが、1982年にイギリスのヘヴィーメタルバンド、Iron MaidenがアルバムThe Number of the Beast(邦題は「魔力の刻印」――これに限らず海外ポピュラー音楽の楽曲の邦題は不正確な訳が多いので注意が必要です)を発表したとき、アメリカのモラルマジョリティを代表とする保守系団体が同バンドを悪魔主義と非難して反対運動が巻き起こりました。黙示録13章に出てくる「獣の数字」にまつわるタイトルとともに、その大きな原因となったのは、悪魔を描いたアルバムジャケットでした(画像はウィキペディアを参照)。

このアルバムの禍々しいアートワークは、当時の保守的なクリスチャンを戦慄させるに足るものでした(アナログレコード時代のジャケットの大きさを考えると、そのインパクトはCDとは比べものにならなかったと思います)。ここでは、このアルバムの内容自体の是非について論じることはしませんが、私がこの絵に描かれている悪魔の姿を見て思ったのは、「はたして悪魔は実際このような姿をしているのだろうか?」ということです。 続きを読む

悪魔の解釈学(2)

ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
(1コリント1章22-24節)

その1

前回は1980年代アメリカにおける反ロック/メタル運動において、しばしば作品の内容が大きく歪曲して解釈されたことを見ました。けれどもその一方で、ヘヴィーメタルの歌詞やアートの中に悪魔のイメージが頻繁に登場するのは確かです。「神がデスヴォイスで歌うとき」第5回では、多くの場合それは商業的理由によるものだったということを書きました。悪魔的イメージを売り物にしているメタルミュージシャンがかならずしも本物の悪魔主義者であるわけではありません。じっさい、無神論者のミュージシャンが北欧神話を題材にした歌詞を書いたりすることもあります。ですから、歌の歌詞とミュージシャンの個人的信条はかならずしも一致しないのです。

さらに、ポピュラー音楽のリスナーも、一般に歌詞の内容をそれほど気にかけているわけではありません。Weinstein によると、流行に乗って消費されるポップスとは異なり、よりシリアスなファンの多いヘヴィーメタルのリスナーは歌詞の内容により注意を向ける傾向があるそうですが、それでも、歌詞を知っている(暗唱できる)ことと、その内容を深く理解しているかどうかは別の問題です。いずれにしても、音楽であれ小説であれ映画であれ、人が見聞きした作品の世界観をそのまま信じ込むというのは、あまりにもナイーヴな考えです。

けれども、そもそもなぜメタルでは悪魔のイメージが好んで用いられるのでしょうか? このことを考えるためには、メタルというサブカルチャーの社会における位置づけを考える必要があります。 続きを読む