南野浩則師『聖書を解釈するということ』書評

今年の6月に南野浩則先生の聖書を解釈するということ―神のことばを人の言語で読む(いのちのことば社)が出版され、早速読んでとても感銘を受けました。

南野先生は福音聖書神学校で教鞭を執っておられ、私も福音主義神学会などでお世話になっている先生です。このたびクリスチャン新聞に私が書いた書評が掲載されましたので、同紙の許可を得てその全文を掲載させていただきます(クリスチャン新聞のリンクはこちら)。

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『いのちのことば』誌特集「50人が選ぶこの一冊」

本であれ音楽アルバムであれ、自分の好きなもの、思い入れのあるものを人に紹介するのは楽しいものです。他の人たちからおすすめを聞くのも同様です。それは単なる情報共有ではなく、その人のおすすめを通して当人の趣味や考え方、人となりを垣間見ることができるからです。その意味では、人に何かを推薦するのは緊張する体験でもあります。自分のおすすめを通して、自分自身の教養や人間性が見透かされてしまうような気になるからです。それでも、自分が大きな恵みを受けたものを他者と共有する楽しみは、他に代えがたいものがあります。ビブリオバトルが流行しているのも、そんな理由からかもしれません。

さて、月刊『いのちのことば』誌が今年の7月号で500号目を迎えます(創刊は1979年1月だそうです)。その節目を記念する特集として、(福音派?)キリスト教界の50人が推薦書を紹介する「50人が選ぶこの一冊」という企画がなされました。私も依頼を受けておすすめの本を挙げさせていただきました。

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聖霊降臨と新時代の幕開け(『舟の右側』ペンテコステメッセージ)

今週の日曜日(5月31日)はペンテコステ(聖霊降臨日)でした。それに先立ち、『舟の右側』誌に依頼されて、6月号にペンテコステのメッセージを書かせていただきましたので、同誌の許可を得てこちらにも掲載させていただきます(ただし聖書の訳をはじめ、いくつか変更を加えてあります)。内容的には過去記事「王なるイエスの元年」と重なる部分もありますが、そこで書いた内容を、もう少し広い聖書の文脈の中で捉え直したものです。

 

聖霊降臨と新時代の幕開け 

それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。 (使徒2・ 33)

ペンテコステおめでとうございます。教会暦では、復活祭から50日目にあたる日曜日を聖霊降臨の日として祝います。これは、イエス・キリストの昇天後、エルサレムにいた弟子たちに聖霊が注がれたできごとを記念するもので、キリスト教会にとってはクリスマスや復活祭と並んで重要な祝日です。

十字架につけられた後、3日目に復活したイエスは40日間にわたって弟子たちに現れた後、天に昇っていかれました。主はその際、エルサレムを離れないで、聖霊の訪れを待つようにと彼らに命じられました(ルカ24・49、使徒1・4-5)。その約束通り、ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が注がれたのです。

五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(使徒2・1-4)

この有名な「聖霊降臨」のできごとは、教会誕生の瞬間として有名ですが、そこで起こったことは、実際には何を意味しているのでしょうか? ある人々は弟子たちが「異言」を語ったことを強調します。けれども、この時弟子たちが語った言葉がパウロが手紙で語っている異言(1コリント14章を参照)と同じものであるかは定かではありません。宣教への力が与えられたできごと(使徒1・8参照)として理解する人々もいます。しかし、聖霊降臨を孤立した特異なできごととして捉えるのではなく、より大きな聖書的文脈の中に位置づけていく時に、さらに深い意味が見えてきます。 続きを読む

『シンプリー・グッドニュース』完成しました

すでにお知らせしているN・T・ライト著『シンプリー・グッドニュース』(あめんどう)が完成し、昨日神学校に届きました。

この本の翻訳に取り掛かったのはずいぶん前になりますが、ついに完成にこぎつけて感無量です。お世話になったあめんどうさんに心から感謝します。 続きを読む

明けの明星を見上げて(『百万人の福音』特集記事)

『百万人の福音』誌より依頼を受けて、4月号の終末に関する特集用に原稿を書きましたので、同誌の許可を得てここに掲載します。クリスチャンだけでなく、キリスト教に関心のある一般の読者も対象にした雑誌ということで、なるべく分かりやすい記述にするよう心がけたつもりです。ちなみに同特集では、「終末期を知る書籍」の一つとして、私翻訳したヴォーン・ロバーツ著『神の大いなる物語』も紹介されています。

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明けの明星を見上げて~聖書に学ぶ、終わりの時代の歩み方

「世の終わり」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか? 世界を襲う天変地異、戦争や飢餓、疫病、そして人類滅亡・・・SF映画に出て来るような、おどろおどろしいイメージを思い描く人が多いのではないかと思います。同時に、そのような話はふだんの暮らしとはかけ離れた、現実離れしたことのように感じている人も多いかもしれません。

聖書は世の終わりについて何と言っているのでしょうか? それはいつ、どのようにしてやって来るのでしょうか? 続きを読む

教会が育てる翻訳聖書(月刊『いのちのことば』)

月刊『いのちのことば』2018年2月号「私はこう読んだ――『聖書 新改訳2017』を手にして」という新連載が始まりましたが、その第1回目の評者として原稿を書かせていただきましたので、許可を得てこちらでも掲載させていただきます。(「新改訳2017 最初の印象」もご覧ください)

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神の救いの全体像(「舟の右側」新年メッセージ)

舟の右側」誌の2018年1月号に新年メッセージの寄稿依頼をいただき、「神の救いの全体像」と題して書かせていただきました。まだ新年には少し早いですが、雑誌自体は25日に発刊になりましたので、記事のさわりだけをご紹介します。

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使徒行伝20章でパウロがエペソ教会の長老たちに語った訣別説教の中で、彼はエペソでの3年間の伝道活動を総括し、「私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせた」と語ります(27節)。 続きを読む

神の愛への招き

舟の右側』の6月号が届きました。1月号から6回にわたり、「鏡を通して見る――不確かさ、疑い、そして信仰」と題して連載をさせていただきました。

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このブログでも取り上げたグレッグ・ボイドピーター・エンズなどの考察も紹介しつつ、不確実性や疑いを信仰者としてどう考えるかということを拙いながらも書かせていただきましたが、一貫して主張してきたのは、不確実性や疑いを持つことは信仰の弱さのしるしではなく、正しく付き合っていくなら、信仰のさらなる深みに導いてくれる友である、ということです。逆に、疑いや不確実性を悪として徹底的に排除していこうとする時、私たちの信仰は不健全で非聖書的なものになっていきます。なぜなら、その時私たちが信仰の土台としているのは、神との生きた人格的関係ではなく、「この自分の揺るがない信仰」であり、「神についての確実な知識」であるからです。

ところで、疑いにも二種類あるような気がします。 続きを読む

『焚き火を囲んで聴く 神の物語・対話篇』

このたびヨベルさんから出版された『焚き火を囲んで聴く 神の物語・対話篇』が手元に届きました。

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この本はもともと『舟の右側』誌に大頭眞一先生が連載された12回の記事に、12人の「焚き火仲間」が応答すると言うかたちで編まれたものです(ネット上に本書のリンク集もあります)。届いたばかりの本をぱらぱらと見ていますが、キリストのからだの多様性と一致がユーモアを交えながら見事に体現されており、まさに「焚き火を囲んだ対話」というイメージがぴったりだと思いました。他に類を見ない本だと思います。

さて、本書では私も焚き火仲間に加えていただき、大頭先生(本書では「先輩」と呼ぶことになっているようですが・・・)の第5回連載「焚き火のまわりで雪合戦」への応答として、「愛なる神が与えてくださる冒険――オープン神論」という一章を書かせていただきました。 続きを読む