神の愛への招き

舟の右側』の6月号が届きました。1月号から6回にわたり、「鏡を通して見る――不確かさ、疑い、そして信仰」と題して連載をさせていただきました。

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このブログでも取り上げたグレッグ・ボイドピーター・エンズなどの考察も紹介しつつ、不確実性や疑いを信仰者としてどう考えるかということを拙いながらも書かせていただきましたが、一貫して主張してきたのは、不確実性や疑いを持つことは信仰の弱さのしるしではなく、正しく付き合っていくなら、信仰のさらなる深みに導いてくれる友である、ということです。逆に、疑いや不確実性を悪として徹底的に排除していこうとする時、私たちの信仰は不健全で非聖書的なものになっていきます。なぜなら、その時私たちが信仰の土台としているのは、神との生きた人格的関係ではなく、「この自分の揺るがない信仰」であり、「神についての確実な知識」であるからです。

ところで、疑いにも二種類あるような気がします。 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(9)

(過去記事        

前回取り上げた、『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の7章でエンズは疑いについて書きましたが、8章では信頼について書いています。信仰を神への信頼としてとらえるなら、疑いは信仰の敵ではありません。疑いを受け入れつつ、それでも神に信頼していくのが、聖書的な信仰と言えます。「信頼の習慣を養う Cultivating a Habit of Trust」と題された第8章では、ものごとをコントロールしようとする思いを手放して、神への信頼を身につけていくべきことについて書かれています。 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(8)

その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の7章で、エンズは「疑い」について正面から取り上げます。疑いとは何でしょうか、そして、信仰者は疑いにどのように接していったら良いのでしょうか?

信仰者の多くは、これまで自分が確信し、そこに人生のよりどころを見いだしてきたことがらについての深刻な疑いを経験します。そしてそれは私たちに大きな不安や恐れを引き起こします。多くの場合、そのような危機に直面したクリスチャンは、何か自分に問題があると考え、なんとか壊れたところを修復しようと努力します。その試みがうまくいけば、私たちは元の信仰生活に戻り、以前と同じ歩みを続けて行きます。けれども、もしそれがうまくいかず、疑いが長期間にわたって続くような場合、心に絶望を秘めながら表面上はこれまでと同じ信仰の歩みを続けて行く人もいれば、潔く信仰に見切りをつけて去っていく人もいます。いずれにしても、疑いは信仰の敵と考えられています。

しかし、エンズはそのように考える必要はないと言います。エンズによると、疑いは信仰の敵ではありません。疑いが信仰の敵のように思えるのは、私たちが「信仰」を私たちの「確実な考え」と同一視するからだと言います。 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(7)

その1 その2 その3 その4 その5 その6

これまで、『確実性の罪(The Sin of Certainty)』に基づいて、聖書的な信仰のあり方について探求してきました。著者のエンズによると、聖書が証しする信仰とは、神についての正しい思考にこだわるものではなく、不確実性の中でも神に信頼するということでした。なぜこのことが大切なのでしょうか?それは、私たちの神についての確信が揺るがされるようなできごとが人生にはしばしば起こるからです。エンズはそのようなできごとを否定したり避けたりしようとするのではなく、むしろそれらが語りかける内容に耳を傾けることをすすめます。

エンズは第6章で、2013年の夏に自身が運営するブログ上で行なったアンケート調査について書いています。彼はブログの読者に次のような質問を投げかけました:

あなたがクリスチャンであり続けることの最大の障害となっているものを一つ二つ挙げてください。あなたが繰り返しぶつかる障害物は何ですか?そもそもなぜ信仰を持ち続けているのかと疑問に思うような、あなたにつきまとって離れない問題とは何ですか?

これらの質問に対して、エンズは数多くの率直な(しばしば匿名の)回答を受け取りました。それらは、大きく分けて次の5つのカテゴリに分けられるものだったと言います: 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(6)

その1 その2 その3 その4 その5

『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の5章で、ピーター・エンズは聖書が証しする信仰の本質とは何かについて論じます。

エンズは決して、神について知ることや、神について正しい理解を持つことを否定してはいません。けれども、彼は正しい思考をすることに固執しすぎる態度について警告します。なぜなら、聖書において「信じる」という行為の焦点は、人が「何を」信じるかということではなく、「誰を」信頼するかにあるからです。 続きを読む

ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(5)

その1 その2 その3 その4

聖書は多様性に満ち、複雑で、そしてリアルな書です。その中には、画一化されたキリスト教の「敬虔」のイメージに当てはまらないような箇所、多くのクリスチャンにとって、教会で公に朗読するのがはばかれるような箇所もあります。けれども、そのような箇所から目を背けることなく、また自分の信仰理解にこじつけたような解釈を施そうとすることなく、聖書が語りかけることにじっと耳を傾けていくことによって、今まで見えなかった新しい世界が開けてくることがあります。

ピーター・エンズは『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の3章と4章で、旧約聖書の中からそのような箇所をいくつかピックアップしています。 続きを読む