クリスマスの不思議

今年のクリスマスはコロナ禍のために、例年とはまったく異なる雰囲気でクリスマスを迎える教会も多いのではないかと思います。私の所属教会でも毎年行っているアドベントコンサートが中止になり、20日のクリスマス礼拝は教会堂でソーシャルディスタンスを保ちながら集まる少数の出席者と、ズームで参加する出席者からなるハイブリッド礼拝になりました。

礼拝の問題だけではありません。感染症自体からくる不安や恐怖以外にも、パンデミックの影響からくる経済的その他の様々な困難により、社会の分断が浮き彫りにされ、全体的に世の中の人々の心に余裕がなくなっているような気がします。私自身、なんとなく落ち着かない気持ちで今年のアドベントは過ごしていました。けれども、このような状況であるからこそ理解できるようなクリスマスの意味があるのではないかと思っていました。

そんな中、一枚の画像に目が止まりました。

英国を拠点として活動する匿名アーティスト、バンクシーの作品「ベツレヘムの傷跡」です。

Photo via theartofbanksy.jp

昨年発表された作品ですので、すでにご存じの方も多いと思いますが、伝統的なキリスト降誕の構図(飼い葉桶に寝かされた幼子イエスと彼を見守るマリアとヨセフ、そして動物たち)を用いながら、背景はヨルダン川西部地区にイスラエルが建設中の分離壁を表現したものになっています。この作品自体、バンクシーが2017年にベツレヘムの分離壁のすぐそばにオープンしたThe Walled Off Hotelに展示されているそうです。

そしてこの作品のポイントは、通常なら聖家族の頭上に輝いている星の代わりに、壁を貫通する銃痕があることです。バンクシーの公式インスタグラムには、「ベツレヘムの傷跡。The Walled Off Hotelのための修正版キリスト降誕セット」という説明文がつけられています。ちなみにタイトルの「ベツレヘムの傷跡 Scar of Bethlehem」は、東方の博士たちにイエス・キリストの誕生を告げた「ベツレヘムの星 Star of Bethlehem」のもじりであることは明白です。

彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。(マタイ2章9-11節)

この作品の背景については下の記事を参照ください。

バンクシー2019年を締め括る作品はキリスト生誕を描いたベツレヘムへのクリスマスプレゼント!

バンクシーはこれまでも何度もパレスチナを訪れ、作品を残しています。おそらく「ベツレヘムの傷跡」に作者が込めたメッセージは宗教的なものと言うよりは、キリスト生誕の地であるベツレヘムが民族的な対立の舞台となっていることへの皮肉を込めた政治的なものなのでしょう。けれども私はその中にキリスト教的なメッセージを見た思いがしました。

分離壁とそこにつけられた銃痕は、直接的にはイスラエルとパレスチナの間の対立・分断・憎悪を表しているのでしょう。けれどもそれらは同時に、無数の壁によって分断され、暴力と恐怖によって突き動かされる世界全体の状況を象徴しているとも言えるのではないでしょうか。今年もアメリカの人種問題や、香港の民主化運動に対する弾圧など、そのような光景を私たちは繰り返し目撃してきました。

さらに言えば、この作品は伝統的なほのぼのとしたキリスト降誕シーンとは一見そぐわないように思えますが――そして、だからこそ話題を呼んだのだと思いますが――実はイエスが生まれたのも、やはり暴力と憎悪が支配する、分断された世界でした。当時ユダヤ人たちはローマ帝国の支配下にあり(これについてはこちらの過去記事を参照)、異邦人との対立やユダヤ社会内部の格差や差別などの問題も抱えていました。そして何よりも、人々は罪によって神から隔てられていました。2000年前のベツレヘムにも、目に見えない壁はあったのです。

そして、そのように分断された世界の壁を壊し、平和をもたらすために来られたのがイエス・キリストでした。

だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。(エペソ2章11-19節)

ところで、バンクシーの「ベツレヘムの傷跡」を見ていると、不思議なことに気づきます。分離壁を貫く星型の銃痕の背後から光が差しているのです。暴力の象徴である銃痕ですが、そこから光が差し込むというイメージは、何を意味しているのでしょうか? もしかしたら、世界が抱える傷の痛み、その裂け目を通してさえも、神の恵みはこの世界に注がれている、ということなのでしょうか。神の愛と祝福は、美しい賛美歌が響く壮麗な教会堂だけに注がれるものではなく、哀しみのどん底で嘆く人の目から涙があふれるように、裂かれた傷口から血がしたたり落ちるように、与えられるのかもしれません。暗闇の最も深いところ、もっとも悲惨で醜いところにこそ、神は降臨されるのだと思います。

繰り返しますが、これはあくまで私の個人的な解釈です。バンクシーがクリスチャンであるかどうかさえ、私は知りません。けれども、私たちはあらゆる人々から、神についての大切な真理を学ぶことができると思います(これについてはこちらの過去記事を参照)。

ただ一つ言えるのは、神のわざは私たちが最も予期しないようなかたちで表されるということです。そもそも、永遠の神が人となってこの世界に生まれたというクリスマスのできごとこそ、真に驚くべきできごとだったのではないでしょうか。コロナ禍の混乱の中で迎える今年のクリスマスも、神からの不思議な語りかけを待ち望んでいきたいと思います。