Not Found―コロナ禍の中で聴いた音楽

新型コロナウイルスの感染拡大にともない、私が奉仕している神学校も教会も全面的にオンラインでの活動になりました。その他に外出する必要がある場合も、車を使うことがほとんどなので、公共交通機関を利用する機会はめっきり減りました。けれども8月29日(土)の午後は、久しぶりに電車に乗って妻と外出しました。サントリーホールで行われるコンサートに出席するためです。

そのコンサートとは、芥川也寸志サントリー作曲賞の選考演奏会でした。この賞は戦後日本を代表する作曲家の一人、芥川也寸志氏(1925-89)の功績を記念して創設されたもので、若手日本人作曲家の登竜門として知られており、今年で第30回になります。(余談ですが、芥川也寸志氏といえば私の世代にとっては「N響アワー」の司会者としても記憶に残っています。)

今年の選考演奏会は、昨年国内外で初演された、日本人作曲家による管弦楽作品53の中から、第一次選考を通過して候補に選ばれた3作品を演奏し、受賞作を決めるというものでした。

私たちがこのコンサートに出かけたのは、今年の候補作の一つを作曲したのが、友人である冷水乃栄流(ひやみず・のえる)さんだったからです。彼は東京藝術大学修士課程作曲専攻に在学中ですが、その作品はいろいろなところで演奏されている、新進気鋭の作曲家です。今回ご本人からコンサートのご案内をいただき、とても楽しみにしていました。

今回の候補作となった冷水さんの作品は、オーケストラのための『ノット ファウンド』という曲です。この曲はベートーヴェンの有名な第九交響曲のメロディの断片を散りばめながら、「合唱不在の第九」をイメージして作曲されたといいます。作曲者自身の言葉によると「朽ちる『第九』をメディアとして新たな命が多層的に芽吹く」様子を描いた曲です。タイトルの「Not Found」は、インターネットのウェブサイトでリンク先のファイルが見つからないことを示すエラーメッセージ(404 Not Found)から取られたそうです。

実際の演奏はとても素晴らしかったです(沼尻竜典指揮・新日本フィルハーモニー交響楽団)。私はいろいろな音楽を聴きますが、クラシックの現代音楽も好きで、このブログでもメシアンやペンデレツキを取り上げたことがあります。けれども、コンサートホールで生の現代音楽演奏を聴く機会はめったにありません。今回は現代音楽特有の斬新な音響を全身で感じることができ、とても感動しました。現代音楽が難解でとっつきにくいと感じている人は、一度生の演奏に接してみると良いかも知れません。

しろうとの私には現代音楽の評論をする力はとてもありませんが、冷水さんの作品は「崩壊」を描いた曲でありながら、からりとした明るさがあります。聴きながら、崩れ落ちた廃墟に草花が生い茂り、鳥が鳴き、あたたかい陽光が降り注いでいるような、不思議な感覚にとらわれました。随所に出てくるベートーヴェンからの引用も注意を引きつけて飽きさせません。全体に一つのドラマのような流れがあり、聴いていて純粋に楽しめました。

当日は、冷水さんの作品を含む3曲の候補作が演奏され、公開選考会で受賞作が選ばれました。3人の選考委員のうち、ひとりは「ノット ファウンド」を強力に推薦しましたが、あとの2票がもう一つの作品に投じられ、惜しくも受賞には至りませんでした。冷水さんの受賞を願っていた私と妻は会場で見ていて、本当に残念に思いました。

けれども、公開選考会とは別に行われた、来場者による人気投票では、冷水さんの作品は圧倒的な得票率で一位になりました。

写真提供:冷水乃栄流氏

そして、9月3日の朝日新聞夕刊では、今回の選考演奏会を含む、サントリーホール「サマーフェスティバル2020」が載りましたが、その中で音楽評論家の鈴木淳史氏が、特に冷水さんの作品を取り上げて次のように述べておられました。

29日は芥川也寸志サントリー作曲賞の選考会。受賞は逃したものの、冷水乃栄流(ひやみずのえる)の「ノット ファウンド」がコロナ後の世界を示唆していた。合唱(歓喜の歌)が消えたベートーベンの「第九」がモチーフ。ディストピアじみた設定だが、その音楽に悲観的なところがないのが新しい。想像力によって再生し、廃虚に響く「歓喜」の美しいこと!

鈴木氏も指摘しておられるように、この作品はコロナ禍以前に書かれていますが、今の世界の状況にぴったりと符合するような音楽となっています。このタイミングでこの曲を聴くことができたのは、とても幸せでした。

と同時に、この曲の持つ不思議な明るさの秘密について考えていました。もしかしたらタイトルの Not Found(見いだされない)は逆説的なものであって、馴染み深い旧世界が崩壊し分断された不在の(Not Found)状況にあって、なお存在する(Found)希望について暗示的に伝えようとしているのだろうか――曲の終わり、すべてが静寂に戻っていく中でかすかに響く「歓喜の歌」の調べを思い起こしながら、そんなことを思いました。

冷水乃栄流さんはクリスチャンです。その作品はあからさまに宗教的なものではありませんが、その底流には彼の信仰が存在しています。今回の「ノット ファウンド」も、世界の痛みとその回復を思わせるような作品でした。現代音楽の作曲家にクリスチャンは少なくありませんが、プロテスタントの作曲家はあまり知りません。このようなシリアスな芸術の分野で若いクリスチャンが活躍していくのは素晴らしいことだと思います。

8月26日に行われた第89回日本音楽コンクール作曲部門でも、冷水さんのオーケストラ作品「TOKYO REQUIEM」2位入賞しました。今後、彼の紡ぎ出す音楽がさらに広く知られて、多くの人に感動を与えるものとなっていくことを願っています。

残念ながら、「ノット ファウンド」は今のところ録音で耳にすることは難しいようですが、冷水さんのYouTubeチャンネルから、最近の作品の一つを紹介します。

もう一曲、独奏チェロのための曲も紹介します。こちらの方が「ノット ファウンド」に近い世界を感じさせる曲です。