Racismの意味

少し前に投稿した、「ラルフ・ハモンド師の想い出―人種問題に寄せて」は、最近の記事の中では飛び抜けて高い関心を集めました。その中で私は、人種差別(racism)とは単なる人種的偏見ではなく、偏見に基づいて制度的に特定のグループの人々を抑圧することだ、と述べました。これに関して、今日インターネットで興味深い記事を見つけましたので、紹介します。

米辞典、「人種差別」の語義変更へ 制度的抑圧を考慮フォーブス・ジャパン

(同じトピックに関するニューヨーク・タイムズの英文記事はこちら

これらの記事によると、現在最も広く用いられている英語辞典の一つである Merriam-Websterのオンライン版で、 “racism” の定義が変更されたそうです。フォーブス・ジャパンの記事から引用しますと、

同辞典は現在、racismを「人種上の偏見や差別」で、「人種が人間の特徴や能力を決定付ける第一の要素であり、人種間の違いにより特定の人種が生来の優越性を持つという考え」などと定義している。アイオワ州のドレーク大学を最近卒業したケネディー・ミッチャムは、同辞典の編集部に宛てた一連の電子メールで、この定義には制度的抑圧が考慮されていないと指摘した。

試みに手元にある古い印刷版のMerriam-Webster第10版(1996年発行)を見ると、次のような定義になっていました。

racism

ここではracismの定義として、1:人種が人間の特質と能力を決定する主要な要素であり、人種の違いが特定の人種の本質的優秀さを生むという信念、2:人種的偏見あるいは差別、の2つが挙げられています。

さて、同辞書のオンライン版の最新の定義を見ると、上の1の定義はそのまま、2は3番目に移動し、新たに2番目の定義として次の項目が加わっています:

2 a:人種差別の前提に基づき、その諸原則の実行を意図してデザインされた教義あるいは政治的プログラム
b:人種差別に基づく政治的あるいは社会的体制

このような定義の変更がなされたきっかけは、上の引用にもあるように、ケネディ・ミッチャム氏という22歳の女性が同辞書の編集部に、定義の変更を求める電子メールを送ったことにあるそうです。彼女は人種問題に関する議論において、しばしば白人の論者が同辞書におけるraceの定義を引用していることに気づきました。その古い定義では、社会の構造とは無関係に人種にもとづくあらゆる偏見が「人種差別」とみなされていたために、たとえば黒人の社会的地位向上をめざす動きに対して白人の側が「逆人種差別」を盾に反対することも可能だったということです。

Merriam-Websterの編集者は彼女の主張に同意し、racismの定義を変更することを決めました。今回加わった新しい定義により、人種差別が単なる個人的偏見ではなく、制度的な問題であることがより明確にされたと言えます。

Merriam-Websterのような権威ある辞書が、人種問題に関する抗議運動が世界的に高まっているこの時期に、一読者のメールをきっかけに racismの定義を変更したのは、時流に迎合する日和見的態度であり、政治的動機に基づいたものだと批判する人もいるかもしれません。

けれども、ニューヨーク・タイムズの記事によると、同辞書の編集者であるアレックス・チェンバーズ氏は「人種に基づいた偏見と社会的・制度的抑圧との交わりを具体的に指す語としてのracismの用法は、英語使用者の間でますます一般的になってきている」と語っています。つまり、すでに英語圏の多くの人々によって、racismが単なる個人的偏見ではなく社会の構造的問題であることが広く認知されてきていた中で、今回の事件と投書を受けてMerriam-Websterがその現実をようやく反映したのであり、むしろ遅きに失した、という見方もできるのです。

いずれにしても、今回の人種問題の高まりによって、人種差別の構造的側面が多くの人々に意識されるようになったのは間違いないでしょう。個人レベルで考えるなら、たとえ被抑圧層から抑圧層に向けられるものであったとしても、あらゆる人種的偏見は間違っていると私は思います。しかし同時に、それによって人種差別の構造的問題が覆い隠されてしまうことがあってはなりません。その意味で、今回のMerriam-Websterによるracismの定義変更(厳密に言うなら拡張)は歓迎したいと思います。

言葉は生き物であり、時代の変化によってその用法は絶えず変わってきますが、一般的に辞書の定義はかなり保守的で、人々が日常生活で実際に話している言葉の変化をかなり後から追いかけてくるのが普通だと思います。けれどもひとたび新しい定義が辞書に載るならば、その定義を用いて次世代の人々が言葉を学び、その用法がさらに深く定着していく、というサイクルが生じていきます。

今後人々がMerriam-Websterの辞書を用いてracismという言葉を学ぶ時、そこには社会における構造的な問題が潜んでいることを意識するようになるでしょう。そういう意味で、今回の定義変更は、人種問題についての学問的議論に大きな影響を与えることはないかもしれませんが、一般社会における人々の意識に対して、長期的なインパクトを持つようになるのかもしれません。

ところで、今回Merriam-Websterの辞書を見ていて気づいたもう一つのことがあります。オンライン版では、 “sexism” を次のように定義しています:

1:性別に基づく偏見や差別、特に:女性に対する差別
2:性別に基づく社会的役割のステレオタイプを助長する行動、条件あるいは態度

ここにはracismの項目におけるような構造的側面はあまり見受けられません。上で引用した印刷版でも同じ定義であり、この語に関しては定義は昔から変わっていません。同辞書では、今回のraceの項目の変更に続いて、人種差別や人種的含意を持つ他の語の定義も改定しようと計画しているそうですが、他の差別についても、同様に社会構造的な側面に関する見直しが進むことを願っています。