すでにお知らせしているN・T・ライト著『シンプリー・グッドニュース』(あめんどう)が完成し、昨日神学校に届きました。
この本の翻訳に取り掛かったのはずいぶん前になりますが、ついに完成にこぎつけて感無量です。お世話になったあめんどうさんに心から感謝します。
以下に紹介するのは、「訳者あとがき」の抜粋です:
矮小化された「福音」理解の問題点
言葉というものは、皆が当たり前のように使っている常用語ほど、その理解が曖昧になることがありますが、「福音」はその好例でしょう。この言葉は一般にも使われます(「この新薬はがん患者にとっての福音である」など)が、キリスト教会におけるほど頻繁に使われることはありません。「福音を伝える」「福音を信じる」「福音的」「福音主義」「福音派」等々、教会では日常的にこの言葉が使われます。そして、福音はまさにキリスト教信仰の中心であると、多くのキリスト者が(正当にも)考えています。しかし、果たして私たちはその意味を正しく理解して用いているのでしょうか? ライトは本書で、この「福音」の問題に正面から取り組んでいます。
そもそも「福音(良い知らせ)」とはメッセージを入れる器のことであって、何が良い知らせなのか、その中身が問われます。多くのキリスト者の理解は、「福音」の内容は「十字架の上で人類の罪の身代わりとして死なれたイエス・キリストを個人的な救い主として信じるなら、罪が赦されて天国に行くことができる」ということだとしています。しかし、このような「福音」理解は(完全に誤りとは言い切れないものの)聖書が実際に伝えている福音を矮小化したものであり、多くの問題を含んでいます。具体的にどのような問題があるのか、聖書が語る本当の福音とは何か、詳しくは本書を読んでいただきたいと思います。このような「矮小化された福音理解」の問題点を認識し、聖書本来の福音理解に立ち戻ろうとする動きは、近年欧米の福音(!)派諸教会で始まり、日本でもスコット・マクナイトによる『福音の再発見』(中村佐知訳、キリスト新聞社、2013年。原書2011年)等の著作を通して知られるようになってきました。ライトによる本書も同じ意識を共有しています。
一方、近年日本の一般メディアでも「福音」という言葉を時々耳にするようになりました。しかし、それは多くの日本のキリスト者にとってあまり歓迎できない現象かもしれません。なぜなら、メディアで流れてくる「福音」という言葉は、米国保守政権の支持基盤としての「福音派キリスト教会」を指し、「宗教右派」とほぼ同義語として否定的に使われることがほとんどだからです。もちろん、メディアがアメリカの多様で豊かな福音主義キリスト教の一面だけを取り上げてステレオタイプ化している側面は否めません。しかし同時に、アメリカの(そして日本を含め世界の)福音派が掲げている「福音」は、果たして聖書が語っている「良い知らせ」を正しく反映しているものなのか、いま一度問い直す必要があるのではないでしょうか。そしてこれは福音派だけの課題ではありません。本書でライトは、より広い歴史的視野に立ちながら福音理解の再検討を行っています。日本のキリスト教会が福音についての理解を深めるだけでなく、(本書の最終章でライトが力強く訴えているように)自ら「福音の民となる」ために、本書が用いられることを願ってやみません。
N・T・ライトのグレイテスト・ヒッツ
本書の原書が2015年に出版されて間もなく、『クリスチャニティ・トゥデイ』誌に載った書評で、本書のことが「N・T・ライトのグレイテスト・ヒッツ」と形容されていたのを記憶しています。これまでライトの膨大な著作群のいくらかでも読まれたことのある方々にとっては、本書にはすでにご存知の内容も多く含まれていると思います。しかし、ベスト盤にはベスト盤の良さがあります。本書にはライトがその長いキャリアの中で繰り返し語ってきた重要な神学的主張がコンパクトに、また一般向けにわかりやすい形で収められています。こ
れからライトの神学思想に触れてみたいという方々にとって、本書は格好の入門書となるでしょう。
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Amazonでの販売は2月半ばからになるようですが、それに先立ってキリスト教書店かあめんどう社サイトから購入できるようです。