グラント・オズボーン師の祈り

今日家にある古い書類を整理していた妻が、こんなものを手渡してくれました。

OsborneDedicationPrayer

これは私が米国のトリニティ神学校を卒業した時に、博士論文の指導教官の一人でもあり当時まだ存命だったグラント・オズボーン博士が祈られた奉献の祈りです。このようなものが印刷配布されていたことすらすっかり忘れていましたので、とても驚きました。13年前に祈られたこの祈りを改めて読み、懐かしさとともに身を引き締められる思いにさせられたので、以下に翻訳を載せておきます:

トリニティ福音主義神学校・トリニティ大学院
2007年度卒業生のための奉献の祈り
(グラント・オズボーン博士)

尊い主また愛に満てる天の父よ、あなたはこれらの賜物ある男女において、私たちに貴重なリソースを与えてくださいました。そして、世界に広がるあなたの教会の指導者として彼らが成長するにあたって、その小部分を担わせていただいたことは、私たちの喜びでした。彼らを訓練することによって私たちは豊かにされましたが、今彼らがあなたの召された働きに乗り出していくにあたり、彼らをあなたの御手に委ねます。主よ、私たちはあなたがヤハウェ、彼らを決して離れることも見捨てることもない契約の神であることを感謝します。あなたはアバ、彼らを見守り、深く愛してくださる親しい父であることを感謝します。あなたが彼らの巌また砦、苦難の時にいつも与えられる力であることを感謝します。あなたが私たちの祈りを聴き、私たちがそれを受けるに値せず理解することもできない摂理的な臨在をもって応えてくださる神であることを感謝します。

主よ、彼らが自分たちに与えられた召命を果たしていくにあたり、あなたの御霊が彼らを力で満たしてくださるよう祈ります。彼らの人生の歩みを一歩ずつ、先立って導いてください。そして彼らのあなたに対する深い愛が、あなたが遣わす多くの働きにおいてあなたの群を牧する中で現されますように。パウロがテモテに勧めたように、力と愛と自制の霊を見出すことができますように。神の息吹を受けた御言葉を正しく扱う、あなたに認められた働き人として彼らが御前に立つことができますように。彼らに勇気と忍耐とヴィジョンを与え、世に対して証しをなし他者に仕えるというキリスト者の召命を果たす力をお与えください。彼らがその祈りと奉仕によってあなたの教会を豊かにし、その人生と奉仕をもってあなたの御名をほめたたえますように。

今、彼らがこの危機の時代にあって、失われた世界に手を差し伸べ、あなたの教会にチャレンジを与えるあなたの代理人として出ていくにあたり、私たちは彼ら一人ひとりをあなたにお捧げいたします。彼らのうちに働いている御力にしたがって、彼ら自身の求めや想像力を遥かに超えた偉大なことがらを経験することができますように。彼らの歩みの一足ひとあしが導かれ、強められ、彼らが行い語るすべてのことにおいてあなたの御名の聖なることが明らかにされますように。主よ、彼らをあなたの臨在と御力によって祝福してください。そしてあなたの御国に仕える人生の充足と喜びを、彼らがいつも味わい知ることができますように。

主よ、私たちはまた、ウェイブライト校長をこれまで12年にわたってお与えくださったことを感謝します。私たちは先生の牧会的な心と良き指導力、奉仕の感覚と与える精神に感謝しています。先生があなたの導きに従ってパサデナでの奉仕に赴かれるにあたり、あなたが先生を祝福し、この地で先生を用いられたように彼の地でもあなたの御霊が先生を導き、用いてくださるように祈ります。(注:1995年から校長を務められたウェイブライト博士は私が在学中の校長でしたが、2007年に退任して、会衆派のレイク・アヴェニュー教会主任牧師に就任しました)

あなたがたをつまずきから守り、その栄光に満ちた臨在の御前にあなたがたを確実に喜びをもって立たせることのできるお方、すなわち唯一の神にして私たちの救い主であるお方に、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光と尊厳と力と権威が、世々に先立ち、今も、とこしえまでもありますように! アーメン。

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2020年になってこの祈りを読み直し、特に心に残ったのは、「この危機の時代にあって、失われた世界に手を差し伸べ、あなたの教会にチャレンジを与えるあなたの代理人」という部分です。キリスト教会の働き人(あるいはもっと広くキリスト者全般と言ってもいいかもしれません)は、世に対する証し・宣教と同時に、教会の絶えざる刷新のためにも召されているのだということを、ここでオズボーン師は語っておられるようです。だとすると、その前にある「危機の時代」という表現も、単に一般社会のことをさしているのではなく、教会の霊的危機、ということも含むかもしれません。

教会はつねに発展途上の未完成な存在であり、終末における神の国の最終的到来を目指して歩き続ける巡礼者の共同体です。教会が現状に安住して歩みを止めてしまうことのないように、私たちは互いに健全な批判精神を持ってチャレンジし、励まし合い続けなければなりません。これは単なる批判のための教会批判ではなく、教会が神から与えられた使命を全うしていくために必要不可欠な自浄機能です。したがって、そのようなチャレンジはいつでも、愛に満ちた、平和的なかたちでなされていく必要があるでしょう。

さらにオズボーン師は、「あなたの代理人」という言葉で、教会にチャレンジを与えるのは神ご自身のわざであることを示唆しています。それは旧約時代の預言者に遡る神の民の伝統です。もちろん、すべての教会に対する批判が神のわざというわけではありません。神の名において誤った動機や理解から見当違いの教会批判をしてしまう危険性はつねにありますので、すべての働き人は自分の批判自体も不完全で限定されたものであることを意識する必要があります。にもかかわらず、神が多様な人々を用いて教会にチャレンジを与えることは確かにあると思います。

オズボーン師自身も保守的な米国福音派の神学校で長年教鞭を執っておられましたが、福音派の聖書理解に対してチャレンジを与えた学者でもありました(そのことはこちらの過去記事にも書いてあります)。この祈りの言葉に、神学教育に関する先生の理念の一端をかいま見た思いがしました。

そして、最もチャレンジを必要としている教会の部分は私自身だと思います。つねに自分の神理解・信仰理解が不完全なものであることを自覚しつつ、2020年も新たな挑戦にオープンな者でありたいと願わされています。