「聖書を読む」というと、どんな情景をイメージするでしょうか。多くの人は、一人で聖書を開いて黙読する様子を思い浮かべるのではないかと思います。
しかし、このような「聖書の読み方」は、歴史的に言えば比較的最近に出てきたものです。現代の私たちは簡単に個人で聖書を所有して、好きな時に好きな場所で読むことができます。しかし、神の民の歴史の中で多くの時代には、聖職者のような一部の人間を除いて、大多数の人々は自分一人で聖書を読むことはありませんでした。昔は書物は高価で個人で所有することは困難でしたし、多くの人々はそもそも読み書きができませんでした。古代世界の文化はテクスト中心ではなく、口頭のコミュニケーションが中心でした。彼らにとって聖書に親しむ唯一の方法は、教会で聖書が朗読され、解き明かされるのを「聴く」ことだったのです。