『聖書信仰とその諸問題』への応答7(藤本満師)

(過去記事      

藤本満先生による寄稿シリーズの第7回をお送りします。

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7 主イエスが旧約聖書を用いるとき

第7回、8回目となる二つの論考は、『聖書信仰とその諸問題』に掲載されている鞭木由行氏「キリストの権威と聖書信仰」をきっかけとして記しています。そして、筆者の応答は、1981年のAnglican Evangelical Assemblyで発表されたジェームズ・ダンによる「聖書による聖書の権威」(The Authority of Scripture According to Scripture, Churchman, 1983, 104~122, 201~225 から多くを援用しています。

この講演論文でダンは「聖書(新約)は聖書(旧約)をどのように取り扱っているか」を検証しています。そしてダンが到達する結論は、聖書を第一とする福音派がこの課題を取り扱うとき、聖書を重んじるという自己意識を具現するために、プリンストン神学に見られるような神学の演繹的結論ではなく、聖書は聖書をどのように語り、用いているのかを具体的に聖書の中で検証することが求められると言います。

この課題におけるその後の研究はさらに重厚なものになっていますが、基本的に同じ土俵で同じような相手にぶつかっている、つまり、イギリス福音主義の聖書学者が米国のシカゴ声明(背後のウォーフィールド型聖書信仰)を問題視する諸点は、変わらないのが現実です。筆者は、ジェームズ・ダンの論考に共感を覚えて、以下を記していることを先に明らかにしておきます。

またダンの論考は山﨑ランサム和彦氏による「新約聖書の使徒的解釈学――現代福音主義への示唆」(『福音主義神学』第45号、2014)とその方向性の延長上にあることを覚えますので、第8番目の論考では、山﨑ランサム和彦氏の論文を紹介します。同時に、それに応えて『その諸問題』に掲載された三浦譲氏による「新約聖書における旧約聖書引用の問題」(158~201頁)にも言及します。

  • 最高権威者イエスが用いた旧約聖書の権威

鞭木氏の論考の主旨は、キリスト教の至高の権威であり、最終の啓示者として来られた主イエスが旧約聖書をどのように扱われたかを論じることにあります。

「主イエスが、自分自身を、また自分の生涯の出来事を旧約聖書の預言の観点から理解しているならば、聖書を心から信頼し、聖書の確かさ、事実性を確信しておられたに違いありません。こうして主ご自身の聖書に対する十全な信頼から私たちも聖書の霊感と権威についての確信に導かれるはずです」(234頁)

とあります。主イエスは自己理解を旧約聖書に基づいて確認され、悪魔の誘惑や宗教家との論争に決着をつけるときに、旧約聖書の言葉を引用して「……と書いてある」と、ご自身と旧約聖書を直接に関連付けています。そして最終的に、マタイ5:17~18が引用されて、「律法の一点一画」、すなわち聖書の一語一語の重要性が強調されることになります。そしてどんな小さなものでも「廃棄」されることはなく、主はむしろそれらを「積極的には成就することこそ御自身の目的」とされるというだけでなく、「主が文字の一点にまでその権威を認めていることは、主が言語への霊感を認め、細部に至るまで無誤であることを認めておられることの証しでもあります」(250頁)という結論が導き出されています。

この論法は、20世紀初頭のプリンストン神学、ベンジャミン・ウォーフィールド以来なんら変わりはありません。イエスが旧約聖書の神的権威を十分に認めて、御言葉を用いられただけでなく、聖書(当時は旧約聖書)の一点一画に至るまで信頼を傾けておられ、それ故に、旧約聖書の記述は歴史的・科学的にすべて字義どおりに受け入れられるべきであり、また無誤であるという結論になります。

聖書(新約)が聖書(旧約)を解釈するとき、ウォーフィールドが論じる聖書の権威は総論において、筆者もまた「アーメン」です。しかし、個別に考えると、異なったレベルの問題が浮かび上がってきます。

確かに、イエスにとって旧約聖書は神の権威ある特別な言葉であったことに疑いを挟む人はいないでしょう。 サタンの誘惑を旧約聖書に「……と書いてある」と撃退し(ルカ4:2~)、突きつけれられた質問や議論を旧約聖書の引用をもって応答し(マルコ10:18~、12:24~27、12:29~31)、イザヤ61:1の「神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため……」を御自身と重ねて、宣教の働きを開始され(ルカ4:18~)ました。受難にあってはご自身をイザヤ書53章の主のしもべに重ね、またその主権をダニエル7:13~14の「人の子」と重ねられました(マルコ14:62)。イエスは御自身の権威を旧約聖書に基づいて打ち立てられ、主はそれが神の啓示の書として特別な権威を帯びていることを確信しておられたことは明らかです。

しかしだからといって、イエスは旧約聖書を全的に、その詳細に至るまで、すべて十全に、聖句そのままを御自身の働きを支える権威として用いられたのでしょうか? あるいは、上記の考察が結論づけるように、イエスは旧約聖書の無誤性に立って、御自身の教えと働きを展開されていたと結論づけることができるのでしょうか? そこには丁寧に考えなければならない課題があります。

  • イザヤ61:1~

ルカの福音書を見ると、主イエスはイザヤ書の言葉を引用して宣教の働きを開始されました。

「主の霊が私の上にある。貧しい人に良い知らせを……虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」(ルカ4:18~19)

ところがルカによる引用では、イザヤ61:2節は途中で切れて、本来、恵みの年に続く「我らの神の復讐の日を告げ」を省いています。イエスが御自身の働きを自覚されたのは、イザヤ61章だけでなく、29:18~20、35:4~6をも受け止めておられると考えられますが、やはり後者2つに含まれる裁きの宣告は省かれ、ルカの福音書が記しているイエスの言葉は、祝福の約束の成就だけを宣言しています。

このことは、洗礼者ヨハネが持っていた裁きのトーンが、イエスの福音宣教において変化することにおいても明らかに現れています。洗礼者ヨハネは厳しく悔い改めを迫り、その実を結ぶように、迫り来る裁きを語りました。

「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか……斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い身を結ばない木はすべて切り倒され、火に投げ込まれます。」(ルカ3:7~9。15~17節も参照)

となれば、取税人、遊女、病人、悪霊につかれた者など、礼拝に参加することが許されない者たちは、なおのこと神の国の到来に恐れを抱いたはずです。しかし主イエスは「幸いなるかな。貧しき者」(マタイ5:4~、ルカ6:20~)と、底辺にもがく者たちを招かれ、罪人たちと食事をし、病める者に触れていやしておられます。

イザヤ61:2の中核にある裁きの言葉をあえて省いて、イエスは御自身の働きを表現していることになります。そうなると、イエスは単純に旧約聖書の権威のもとに御自身を置いているわけではないことはあきらかです。言い替えれば、主イエスは旧約聖書のすべての箇所、すべての言葉を「均一的な権威」として扱ってはおられないとも言えるでしょう。イエスが旧約聖書に向かわれたとき、それを「選択的に」解釈しているということです。

当然のことながら、永遠から父と共におられ、父の懐におられた方は、歴史の中で記された旧約聖書を超えています。イエスは旧約聖書を権威ある神の言葉として引用されますが、しかし引用された言葉は、イエスと父なる神との直接的な関係の中で、主が御自身の宣教の働きを意識して解釈されたと考えるべきでしょう。

したがって、イエスは旧約聖書を権威ある神の言葉であると認めていても、その言葉をそのまま逐語的に御自身にあてはめておられたわけではありません。イエスにとっての聖書の権威は、御自身が聖書を超えているゆえに、私たちが旧約聖書を釈義するようなわけにはいきません。

  • 旧約の律法を逆転するケース

主イエスはマタイ5:38~39で、次のように言われます。

「『目には目を、歯には歯を』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います……」

ここでイエスは明確に出エジプト21:24、レビ24:20、申命記19:21の報復の原則を引用しておきながら、それとは別の、「あなたの右の頬を打つ者には左の頬をも向けなさい」と、逆の原理を提示されます。これをもって、イエスが旧約聖書の律法を廃棄されたと考えることはできません。丁寧に述べるなら、次のようになるのではないでしょうか。

主イエスは律法が与えられた旧約聖書の時代において、それが神が啓示された言葉であると認めた上で、この旧約聖書の神の戒めが、神の国ではもはや該当しないと宣言されました。「目には目を」の同等報復律法は過剰な報復(倍返し)を避けるために与えられた、報復の限界を定めた律法だと言われています。しかし、神の国の到来と共に、イエスは報復の原則についての旧約の教えに「権威を与えることはしなかった」ということです。それはモーセの時代に神の言葉であった重要な教えが、イエスの到来によって、以前と同じような権威で扱われるべきではないというのです。

  • 食事律法(マルコ7:1~23)

市場から帰ってきた者が手を洗わずに食事をするという論争の中で、主イエスは、旧約聖書の権威のもとに生きるユダヤ社会にあって、決定的に新しい原則を打ち立てられました。人を汚すのは、その人が何を食するかではなく、その人の心の中にあるものが外に出現して汚すと(7:15)。ここでイエスは旧約聖書の特定の箇所を引用しておられませんが、これによってレビ記11:1~28、申命記14:3~21の食事律法の規定は覆されてしまいました。

のちにペテロが四つ足の獣を食べるように言われたとき、彼は即座に「主よ、そんなことはできません」(使徒10:14)と抵抗します。それほどまで、食事規定は旧約聖書に生きる者にとって不可侵の戒めです。それは、昔の人の言い伝えではありません。食事律法は現代の正統的ユダヤ教に至るまで、徹底的に厳守されています。にもかかわらず、イエスはこの教えを神の国にあって不要なものとみなされました。

マルコは、イエスが定められた食事の原則に対して、わざわざコメントをつけます。「こうしてイエスは、すべての食物をきよいとされた」(マルコ7:19)。換言すれば、イエスは旧約聖書が汚れた食物であると教える権威を否定して、それはもはやイエスに従う者たちには適用されないと宣言されました。

  • 一点一画?

「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します」(マタイ5:18)とのイエスの宣言も、丁寧な扱いが必要です。一点一画ですから、それは一字一句以上に律法の権威が重んじられています。しかも、「天地が過ぎ去るまで」、「すべてが実現するまで」、と律法の永遠的な権威を主イエスは主張しています。そこだけを抜き書きして、多くの無誤論の方々は、聖書の言葉は一点一画に至るまで永遠に神の言葉であり、なおかつ無誤であるとイエスは信じていたと断言します。

しかしながら、現実に、イエスは平気で旧約聖書の食事律法の限界を口にされ、また使徒たちは非常な戸惑いを乗り越えて、旧約聖書の食事律法の権威に背を向けてイエスの言葉に従いました。

結果的に、マタイ5:18は、律法が神から与えられた権威ある規定であることを認めつつも、その律法の言葉の有効性は、絶対的なものではなく、相対的であり、最終的にはイエスの働きによって「成就」(5:17)され、すべての食物がきよいものとなった、と使徒たちは理解しました。食事に関する「律法の一点一画」は、それがすでに成就したという新約聖書の現実の中で解釈され、旧約聖書の時代と同じ権威はもはや持っていないとキリスト者は考えてきました。

これらの例は、イエスが旧約聖書の権威に否定的であったことを何ら意味していません。しかし、上述のように、イエスが選択的に旧約聖書を解釈され、時に乗り越え、あるいは成就されたという箇所を考慮すれば、イエスが認められた旧約聖書の「権威の永遠性」を杓子定規に唱えることには無理を感じます。

ましてや、イエスが旧約聖書の権威を認められたことを根拠に、シカゴ声明のように旧約聖書は歴史的にも科学的にも誤りがないなどと、話をどんどん発展させることは、ウォーフィールドに端を発する無誤論の飛躍しすぎた論法でしょう。聖書信仰を奉ずる者であっても、冷静に考えれば、そのような極論を用いることに躊躇を覚えるのではないでしょうか。

  • 初代教会が放棄した律法規定

初代キリスト教会は、旧約聖書の律法の重要事項のいくつかを放棄します。その代表が、割礼、安息日規定、食事規定、そして動物のいけにえに関する律法です。これからのことは、新約聖書に明快ですので、いまさら記すまでもないでしょう。パウロは私たちを「アブラハムの子孫」(ガラテヤ3:29)と呼んでおきながら、私たち異邦人キリスト者が割礼を受けることに反対しました(ガラテヤ2:3~5)。使徒たちは、当初、土曜日(安息日)礼拝を捧げていたと考えられています。しかし、主の復活を記念して日曜日が「主の日」となります。これが礼拝日を意味したかは定かではありませんが、早くから日曜日に礼拝を捧げたとしても、不思議ではありません。なぜなら、曜日の問題だけでなく、ユダヤ教の祭りも彼らを縛ることはありませんでした。

食べ物と飲み物について、あるいは祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批判することがあってはなりません(コロサイ2:16)

食事規定については既述のとおりです。ヘブル人への手紙は旧約聖書の動物のいけにえの律法がキリストの十字架によって成就され、廃止されるべきものとみなしています(特に8:13、10:9)

私たち、異邦人キリスト者はこれらの展開を当然のこととして受け止めてしまいますが、ユダヤ人キリスト者にとっては、これらの変更は神の民のアイデンティティーの放棄に等しいものでした。これらの規定は旧約聖書の神の律法において周辺的なことではなく、民族のありかたそのものを規定していました。ですから、ペテロのようなユダヤ人がキリストに従い、新しい一歩を踏み出したからと言って、旧約聖書が汚れた動物と規定しているものを食べることは、旧約聖書の神の言葉に逆らうだけでなく、1千年も積み上げられてきた民族の伝統と宗教性を放棄することになります(使徒10:10~16)。しかし、ペテロは食事規定を放棄します。しかも使徒の働き15章のエルサレム会議のように、ユダヤ人キリスト者の全体会議が、白熱した義論の末、「教会」として異邦人キリスト者に旧約聖書の様々な律法規定を課さないという決断をします。彼らにとって旧約聖書はまぎれもなく神の言葉そのものでした。しかし、教会は、旧約聖書のある箇所の権威を、しかもその重要な一部を、自らに適用しないという決断をしました。

さて、このような重大な場面で、初代キリスト教会は旧約聖書を引用しています。つまり新約聖書は旧約聖書を引用して、それを新たに解釈することによって、新約聖書のステージを開始しています。そこで、第8回の論考で、初代キリスト教会がどのように旧約聖書を解釈していったのか、その解釈原理を検討してみます。

(続く)