藤本満先生によるゲスト投稿シリーズ、第5回目です。
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5 伝承と聖書の関係――語られ、聞かれた「言葉」の意義
5回目と6回目は、言葉は、「書かれる・読まれる」以前に、まず「話される・聞かれる」という常識論(私としては)を記してみます。筆者は、この2回も、『その諸問題』への直接的応答を念頭においていません。しかし、逐語霊感説(言語霊感説)の陥りやすい問題に言及しようとする試みです。「神の言葉はまず語られ、聞かれた言葉である」と言うとき、もちろん、書き下された言葉(聖書)に神の霊感が直接に及んでいることを否定することでも、その真実性を減じることでもありません。しかし、言語霊感と言いつつ、あまりにも霊感を「書かれた言葉に限定して」聖書信仰を理解しようとすると、まず神の言葉は話されたもの、語られたもの、聞かれたものであるという大前提を見逃す傾向が生まれることを2回にわって考えてみます。
第5回目の今回は、「書かれた言葉」である聖書を逐語霊感的に論じる場合に、軽視しがちな「伝承の意義」を考えます。そして次回は、言葉が語られる・聞かれるということの本質から「聖書と説教」の関わりに言及してみます。
なお本稿には、先のベン・ウェザリントン、またヤロスラフ・ペリカンの『聖書は誰のものか?――聖書とその解釈の歴史』の第一章から、さらには近年大きな反響を呼んだリチャード・ボウカムの『イエスとその目撃者たち――目撃証言としての福音』から、筆者が教えられたことが多く含まれています。
- 語る神、それを聞く民
聖書の神が「語る」神であることは、明らかです。口があっても語ることができない偶像とは違い、目には見えない神が、私たちに呼びかけ、語られます。創世記から始まって、神が何かを「書かれた」のは、十戒の石の板にいたって初めてのことです(出エジプト31:18)。つまり「時差」として、聖書の場合、記者が記述する以前に、神が語っておられ、人はその言葉を聞いています。
「主はアブラムに言われた。『あなたは、あなたの土地……を離れて、わたしが示す地に行きなさい」(創世記12:1)
「主はイサクに現れて言われた……」(同26:2)
「見よ、主がその上に立って、(イサクに)こう言われた」(同28:13)
アブラハム、イサク、ヤコブの神は、まずはじめに彼らに現れて、語ります。
預言者の時代になれば、預言者は神より言葉を授かり、それを「語る」ことを使命とします。
「主のことばがサムエルに臨んだ」(Ⅰサムエル15:10)
「その夜のことである。次のような主の言葉がナタンにあった」(Ⅱサムエル7:4)
「朝ダビデが起きると、主のことばがダビデの先見者である預言者ガドにあった」(Ⅱサムエル24:11)
「そのとき、ソロモンに次のような主のことばがあった」(Ⅰ列王記6:11)
「イザヤがまだ中庭を出ないうちに、次のような主のことばが彼にあった」(Ⅱ列王20:4)
「このエレミヤに主のことばがあった」(エレミヤ1:2)
「祭司エゼキエルに主のことばが確かに臨んだ」(エゼキエル1:3)
イザヤの場合もよくわかります。セラフィムはイザヤが預言を書き記す手に触れたのではなく、彼が語る唇に触れました。
「彼(セラフィム)は、私の口にそれを触れさせて言った。『見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された」(イザヤ6:7)
中には、預言者が即座に言葉を書き留めるように言われている箇所もあります。「わたしがあなたに語ったことばをみな、書物に書き記せ」(エレミヤ30:2)。ここで書き留めた目的は、エルサレムにとどまっていたエレミヤが、遠くバビロンに捕囚に連れて行かれた民に言葉を届けるため(29章)、そして将来、捕囚を終えて帰還してくる将来の民に言葉を残すためでした。
新約聖書ではどうでしょう。「神の言葉」(logos tou theou)という表現は、新約聖書の書物やテクストを指していません。この表現は、旧約聖書全体を指すか、多くは「福音そのもの」を指しています。
神の言葉が福音そのものであるというとき、それは語られ、聞かれた福音です。Ⅰテサロニケ2:13は明確にそのことを示しています。
「……あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています」
神の言葉は、パウロが語った言葉で、その言葉をテサロニケの教会の人々は「神の」言葉として聞きました。このような場面でのパウロの意識は明確です。それは、自らが聖霊の感化を受けて「神の言葉」を語っているというものです。決して、自分の言葉、自分の確信を伝えているのではありません。もっと客観的な言葉を「語る」ことを自覚しています。
「私たちは……神のことばに混ぜ物をして売ったりせず、誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです」(Ⅱコリント2:17)
これは旧約聖書の預言者が神の言葉を授かって、それを宣べ伝えているのと同じ意識です。
またパウロは、こうして語る「神の言葉」を「福音」と言い替えて、Ⅰコリントの手紙の中で次のように記します。
「1 兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。2 私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます」(Iコリント15:1-2)
宣べ伝えられ・聞かれる福音は、2節にありますように「ことば」です。それは「書かれた言葉」を指すのではなく、パウロが直に語った言葉です。人々はそれを聞き、その言葉を信じて救われ、その言葉を堅く保って、さらにそれを伝えていきます。
ヘブル書13:7でも、語られた「神の言葉」が強調されています。「神のことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、覚えていなさい。彼らの生き方から生まれたものをよく見て、その信仰に倣いなさい。」
このように新約聖書が成立する以前から、新約聖書における「神の言葉」は語られていました。そして、まさにそのように語られた神の言葉が「生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができ」(同4:12)るというのです。
- 伝承があって当然
「イエスの言葉のうちで早くから書き記されて広まっていたのは、口承の礼拝式文となっていた少数の定型句であった」と言われています。(ペリカン『聖書は誰のものか?』、31頁)。
「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。……この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」 (Ⅰコリント11:24-25)
主イエスはこの言葉によって「聖餐」を制定したと原始キリスト教会は理解していました。パウロがそう書き記しているのは、イエスの死後20年後ぐらいのことです。パウロは福音書のどこからも引用していませんので、福音書はいずれもパウロ書簡よりも後代のものと考えられています。
では、本格的に「書き記す」という作業がいつ頃始まったのでしょうか。福音書の記者ルカは、自分が福音書を書き下ろすにあたって、当時の状況を以下のように記しています。
「私たちの間で成し遂げられた事柄については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人たちが私たちに伝えたとおりのことを、多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています」(ルカ1:1)
イエスの働きから始まって、ここに至るまで、数十年が経過しています。その間、口頭の伝承が存在し、そしてそれを断片的でも、少しまとまった形でも書き記された資料も存在していたことでしょう。
使徒の働きの中で、パウロがミレトスに集まったエペソの長老たちへの告別説教のなかで、イエスの言葉を引用します。
「主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべき……」(使徒20:35)
この主イエスの言葉は、福音書に出てきません。ですから、イエス語録的な資料は他にもあったことは明らかです。ヨハネの次の言葉からもそのような可能性を推察できるでしょう。
「イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない」(ヨハネ20:30)
口頭の伝承にしろ、断片的な文書資料にしろ、初代教会が27の書物を決定する以前、約3百年もの間、正典に入る27巻の書物の他に、口頭の伝承、あるいは断片的な文書は存在していたことになります。エルサレム司教キュリロス(在位350~386頃)は、洗礼式文中のキリスト教信仰告白を引用して、「これから申し上げる信仰の要点をあなたがたは暗唱し、心を込めて朗読し合うように、お願いします。それを紙に書き付けてはいけません。むしろ心に刻みつけて暗唱しなさい」と教えています。司教は、キリスト教の秘儀が迫害のなかでローマ帝国の手に渡ってしまうことを危惧していました。迫害下にある原始キリスト教会が、礼拝の秘儀、キリスト教の教えに関わる文章をローマ帝国から守るために、口頭の伝承は重要な役割を果たしていたと言えるでしょう。
- 伝承の意義をどのように評価するのか?
キリストの復活・昇天・原始キリスト教会の誕生から正典各書の記述にいたるまでの「時間的な距離」が伝承を生み出すことになります。そして、そのような伝承が初代教会の中に浸透していたことがわかります。そこに様々なキリスト教信仰のあり方や教義の広がりが見られることも事実です。
たとえば、20世紀に発見されることになったナグ・ハマディ文書(コプト語の写本)には、イエス語録として有名な『トマスの福音書』が入っています。グノーシス主義の影響が強く、正統的なキリスト教の目から見れば、正典に入ることができないことは明確です。しかし当時の世界を垣間見ることができる古代キリスト教文書とみなすことはできるでしょう。
あるいは、カイサリアのバシレイオス(330~375頃)は、十字を切る、東方に向かって祈るなどの敬虔な所作は、聖書の命じるところではないが、意味のない習慣ではなく、使徒の時代からキリスト教に伝わる「書かれていない伝承」であって、その権威は「書かれて聖書に保存された使徒伝承」と同じように権威があると述べています(参照ペリカン、34-35頁)。
言うまでもなく、プロテスタントは、ルターとカルヴァン以来、旧約聖書39巻、新約聖書27巻「のみ」を正典として受け入れ、キリスト教の教えと実践の規範を聖書のみに限定しました。これに対して16世紀の対抗宗教改革のトリエント会議(カトリック)は、他の伝承をまとめた外典を含めた書物にも正典的権威を与え、かつ書かれていない伝承(礼拝秘儀、マリア崇敬、聖人崇敬、等々)もキリストご自身から口頭で弟子たちに教えられ、あるいは聖霊の霊感によって教えられてきたとの教令を出しました。
このような背景から「伝承」と聞いただけで、それを退ける傾向は福音派だけでなく、プロテスタント一般にも妥当すると思います。伝承から正典への道筋はあまりにも複雑で、これを論じることは筆者の能力をはるかに超えています。
しかし、口頭、あるいは部分的に筆記された資料が、正典各書が書き下される以前に存在していたことは、特にルカ1:1から考えても、イエスの時代から数十年経過していたという「時差」を考えても、明らかなことでしょう。そこで以下に、伝承が存在することの積極的な意味づけを記すことにします。
先に述べましたように、逐語霊感説・言語霊感説は、書かれた言語に焦点を当てるがあまりに、言葉はそもそも話され、聞かれるものであったという現実を二の次にします。つまり聖書は各書の記者が聖霊から直接に霊感を受けて、それを記したということに議論を集中させてしまって、実は書き下される以前に、イエスによって、神によって直に語られた言葉があり、さらにそれを口頭で伝え、保存してきたという「伝承」の過程を考慮せず、いきなり霊感によって記述されたテクストが生まれたかのように結論づける傾向があります。
語られた言葉がすぐにそこで筆記される(書記のような存在をもって)場合もあるでしょう。ローマ16:22に見るように、パウロには代筆者がいて、手紙はすぐに書き下されたと考えられます。しかし同時に無視してならないのは「語り継がれる」という口伝伝承や文書資料の「可能性」です。「聖書のみ」であったとしても、神が語られ、事をおこされ、そして聞かれ~伝えられ~記されという複層的なプロセスを考慮に入れなければ、「文書として読まれ、解釈されるだけの聖書」となってしまいます。「語られ・聞かれる」という概念は、大切に考えなければなりません。それは神御自身が語る神であり、聖書の文化が礼拝を大切にし、語ること・歌うこと・祈ること・聞くことを重要視してきたからです。
本稿ではリチャード・ボウカムによる大著『イエスの目撃者たち――目撃証言としての福音』を紹介することで、福音主義の聖書信仰が伝承にどのような意義を見いだすことができるのかを考えてみます。しかしこの本は高価でなかなか手にすることはないでしょうから、彼が関西学院大学神学部で行った講演を参考文献にあげておきます(「イエスの思いで:目撃者証言と伝承」『神学研究』第64号)。ボウカムは口頭の伝承を含めて、目撃者たちの伝承が、福音書を書き上げる素材になっていることを考えています。もちろん、それは最終的に聖書の記者が文章を書き下ろすときに働いた聖霊の働きを減じることを意味していません。
ただ覚えておくべきは、神の言葉としての聖書は、「書き下ろされた」という時点で始まっているのではなく、「語られ・聞かれ」「行われ・目撃された」時点で始まっているということです。
- 福音主義聖書観から見るボウカムの意義
いったいボウカムは何を主張しているのでしょう? 彼の主張そのものはそれほど難しくないのですが、その主張を起こしている新約学の背景は、とても複雑です。その複雑な背景を、「恥ずかしいほど」単純に説明してみます。マルコの福音書は誰の手によって記されたのでしょう? 19世紀まで古典的な理解が存在していました。2世紀のヒエラポリスの主教であったパピアスが、ペテロの通訳を務めていたマルコが、ペテロの教えをもとにして福音書を記したという証言を残しています。
ところが、19世紀を超えて、この古典的解釈を覆すような主張が次々に現れます。1892年にドイツのマルチン・ケーラーは、マルコの福音書は原始キリスト教共同体が直面していた「受難」を主題に、つまり「受難物語」と呼ばれる伝承を中心に、様々な資料が編集されて出来上がったと考えました。あるいは、1921年にルドルフ・ブルトマンは、この福音書の中心には、神の御子が自らを卑しくして、十字架の死にまで従い、救い主キリストとなり、神はこのメシアにすべての権威をお与えになったという原始キリスト教共同体の「メシア理解」を主題に、編集されていると主張しました。このメシア理解は、ピリピ2:6-11に出てきますが、パウロはここですでに共同体が共有していた信仰告白を引用しています(新改訳2017の段組の仕方にこの事実が反映されています)。
ケーラーやブルトマンらの主張によって「史的イエス」と「信仰共同体のキリスト」が分離してしまいました。つまり、信仰共同体が歴史のイエスについて様々な伝承や情報を取捨選択し、最終的に「共同体」の関心事で福音書を書き下ろしたというのです。したがって、福音書から歴史的な事実(史的イエス)を把握することは困難であると結論づけられてしまいました。
このようなドイツの批評学が用いる「伝承」という概念を、福音主義(聖書信仰)が毛嫌いしたことは理解できます。しかしここでボウカムは、ドイツの批評学の背後にあった「伝承」の誤った理解を指摘します。ドイツの批評学は「伝承」は共同体の中で一人歩きするものと考えました。イエスの目撃者たちの歴史的な証しは、様々な共同体の中できちんと伝えられることはなく、それぞれの共同体は自らの関心事を中心に創造性豊かに福音書を記したと。もし共同体が育んだ「伝承」がそのようなものなら、もはやその歴史的真実性は期待できません。
こうした伝承理解の背景には、ヨーロッパの民族神話の理解がありました。民族神話は、口頭で何世紀にもわたって形を変えながら、定着していったと考えられました。でも、果たして本当にそうなのでしょうか? ヤロスラフ・ペリカンは、20世紀にあって口伝文化や口伝文学の研究が進み、口頭の伝承がまるで伝言ゲームのようなもので、最終的には情報として正確さを欠くことになるという以前の考え方は、すでに覆されたと記しています(25~29頁)。
そしてボウカムは、歴史の「目撃者」という考え方を導入することによって、伝承の誤った理解を崩しにかかります。イエスの公生涯を目撃した者たちは、イエスと共に昇天したわけではない。彼らは地上に残り、伝承の発信源・伝承の提供者となったはずだ。目撃者たちは、イエスの昇天から20~40年を生きて証言者となり、もし伝承やそれに基づく福音書のテクストが、彼らが目撃した事実と異なっていたら、それを指摘し修正を求めたはずだと。つまり、聖霊の霊感だけでなく、目撃者の証言が福音書にしっかりと張り付いていた、というのです。
古代ギリシャ・ローマの歴史著述家たちはみな、著者自身が目撃者であるか、少なくとも目撃者にインタビューして情報を集めていたと。その意味で、優れた歴史著述には、目撃者の生きた証言がふんだんに織り込まれているとボウカムは主張します(彼は古代ギリシャ・ローマの歴史著述のスタイルに詳しい新約学者です)。
ボウカムは福音書に登場する固有名詞に注目します。ヤイロやバルテマイ、あるいはエマオの途上にいたクレオパ(もう一人は名前が記載されていません)、クレネ人シモン、さらには物語に登場さえしない、シモンの息子アレクサンドロとルフォスの名前がどうして記されているのか? それは彼らが原始教会の構成員となり、自分が登場する物語の目撃証言者であったからだと。ユダの裏切りによって12使徒に欠員ができ、それを補充するときに、その人物は「いつも私たちと行動を共にした人たちの中から」(使徒1:22)選ばれなければなりませんでした。それだけ、福音書が記されるにあたって、真実な目撃証言者が求められたということだ、と。
このようにしてボウカムは、「史的イエス」と「信仰共同体のキリスト」というドイツ批評学が作り出した壁を壊して、二つを再度一つにすることを試みたわけです。史的イエスの目撃者たちが、共同体の構成員となり、あるいは共同体に正しい証言を提供し、時に修正し、歴史的に信憑性のある伝承を形成していったと。すると、福音主義聖書観が毛嫌いしてきた「伝承」(話され、聞かれ、記されるというプロセスでは不可欠)は、実はドイツ批評学によって誤った解釈されてきたもので、再び健全な意義を「伝承」に見いだすことができた筆者は考えています。
(続く)