私はふだんあまり映画を観る方ではありませんが、先週の金曜日に、11月に日本公開される映画「パウロ~愛と赦しの物語」(公式サイト)の試写会に行ってきました(ご招待くださったいのちのことば社様に感謝します)。日本公開前の映画ですので、その内容を細かく紹介することは控えたいと思いますが、試写を観た感想を簡単に記したいと思います。
この映画は使徒パウロの最後の日々を描いたものです。皇帝ネロによって帝都ローマのクリスチャンたちは壮絶な迫害を体験していましたが、その中で捕らえられたパウロは死刑を宣告され、牢獄で死を待つ身となっていました。そんなパウロを福音書記者ルカが訪れるところから話は始まります。ストーリーはこの二人と、ローマのクリスチャンたち、そしてパウロを収監するローマ人の看守長を中心に展開していきます。
聖書に取材した映画というと必ず取りざたされるのが、「その内容は聖書に忠実なものか?」ということですが、これはそう単純な問題ではありません。映画という形で首尾一貫したストーリーを作りあげるためには、聖書が直接言及していない部分について想像で補う必要が必然的に出てきます。また、ストーリーの歴史的背景について、専門家の間でも意見の分かれる部分は少なくありません。したがって、この種の映画を観るときには、これはあくまでも聖書を題材にした歴史ドラマであり、学問的なドキュメンタリーではないことを頭に置いておく必要があります。私たちは映画で描かれているすべての話が本当に起こったと信じるべきでもありませんが、その史実性について重箱の隅をつつくような批判をすることも的外れだと思います。そういったことを踏まえた上であえて言いますと、この映画が想定している歴史的事実関係については、個人的に意見の違う部分もありつつ、おおむね納得できるものでした。
(ただし、違和感を覚える部分がなかったわけではありません。重箱の隅をつつかないと言いながら一つだけ挙げると、第二テモテ4:19ではエペソにいるはずのプリスカとアキラがローマ教会の指導者として登場する点などです。映画では彼らがローマのクリスチャンたちを連れてエペソに逃れていく際にこの手紙を携えて行き、テモテに渡すという設定になっているので、パウロはそこで彼らによろしく伝えてと書いた、と考えられなくもありませんが、やや苦しいです。他には原作の問題と言うよりは日本語字幕の問題と言えるものもあり、英語の台詞で “Kingdom” と言われている部分が字幕では「天国」と訳されていたのはいただけなかったです。けれども、これらの問題はこの映画の価値を大きく損なうものではありません。)
上に書いたように、ストーリーの細部を詳述することはしませんが、個人的に印象に残った点を二つほど挙げたいと思います。第一は、信仰者の葛藤がリアルに描かれていることです。この映画はパウロや初代教会のクリスチャンたちを、鋼のようにゆるがぬ信仰を持って平然と殉教していく聖者のように描いてはいません。神の恵みと赦しについて雄弁に手紙で書き記したパウロ本人が、死ぬ間際まで過去に犯した教会迫害の罪について葛藤し続けたという描写は、人によっては違和感を覚えるかもしれませんが、私はあり得ないことではないと思いました。むしろ、そのようなパウロの人間的弱さがしっかりと描かれているからこそ、その一方で見せる彼の強固な信仰が、彼自身の人間的な力を超えた神からの賜物であることをうまく表現できていると思いました。
また一部のクリスチャンたちがローマへの暴力的抵抗を試みようとするくだりも、実際にそのようなことが行われた可能性は低いと思いますが、そのような誘惑を覚えたクリスチャンがいたことは十分あり得ることだと思います。ここでも私たちは、史実がどうであったかということではなく、現代人に対して語られる信仰のメッセージとしてこのストーリーを受けとめる必要があるでしょう。そして、「暴力に対して暴力で対抗すべきか、それとも愛と赦しをもってそれに打ち勝つのか?」ということは、クリスチャンであるとないとを問わず、現代人に対する重要な問いかけであると思います。
第二に、この映画は使徒パウロの殉教という、初期キリスト教史の重要な転機を描いている点に注目したいと思います。古代教会の伝承によると、同時期に使徒ペテロもローマで殉教したことになっています(この映画ではペテロについてほとんど触れていないのがもう一つの不満でした)。キリストの生き証人である初代教会の重要な指導者たち(パウロの場合は復活のキリストとの出会いが決定的な体験となりました)が相次いで世を去っていく歴史的現実の中で、直接イエスを知らない世代のクリスチャンたちが使徒たちの信仰をどう継承していくか、ということが重大な問題となりました。それに対する一つの答が、使徒たちの教えを文書の形で書き残していくことでした。この映画では、獄中のパウロの口述を元にして、ルカが使徒行伝を執筆していったという設定になっています。ルカ文書の成立時期について私は映画とは異なる立場にありますが、当時のクリスチャンたちの置かれていた状況と問題意識を考える上では興味深いテーマだと思います。映画は、パウロの遺書と言えるテモテへの第二の手紙の朗読をバックに、彼が処刑されるシーンで幕を閉じます。
この映画は、クリスチャンにとっては新約聖書の世界をいきいきとイメージさせ、信仰について多くのことを考えさせてくれるものです。同時にこれは単なる宗教映画ではなく、「暴力と愛」という普遍的なテーマを扱ったドラマとしても観ることができます。その意味では、いろいろなキリスト教的フィルターのかかっていないノンクリスチャンの方がそのメッセージを素直に受けとめられる部分があるかもしれません。そういった意味で、幅広い層の方々に見ていただきたい映画です。
こちらのサイトでは、映画の予告編、メイキング映像、ルカを演じたジム・カヴィーゼルのメッセージを視聴できます。