N・T・ライト著『驚くべき希望』紹介(のようなもの)

近年著書の邦訳ラッシュが続いている英国の聖書学者N・T・ライトですが、このたびまた新しい訳本が出ました。『驚くべき希望:天国、復活、教会の使命を再考する』(中村佐知訳・あめんどう。原題はSurprised by Hope)です。ライトについては、以前『クリスチャンであるとは』の翻訳が出たときに、当ブログでも紹介したことがあります(こちら)。本書『驚くべき希望』の日本語版出版に際して、私も少しばかりお手伝いをさせていただいた関係で、あめんどう様より見本を頂戴しました。感謝します。

SBH

本書は専門的な学術書ではなく、一般向けの書ではありますが、翻訳にして500頁近くになりますので、近寄りがたいと感じる方もおられかもしれません。巻末には山口希生先生による簡潔な解説もついていますので、そちらで全体像を掴んでから読み進めていくと良いかもしれません(こちらでも読むことができます)。このブログでは、本書の内容を細かく紹介していくというよりは、この本をきっかけにいろいろと考えたことを書き綴っていきたいと思います。

上の出版社サイトにも掲載されていますが、そこで書いた推薦文をここにも掲載します。

人は死んだらどうなるのか、人類と地球の未来について、聖書は何を教えているのか? ……クリスチャンも含め、多くの人が抱いている終末論の「常識」を聖書から鋭く問い直すライト教授の手際は、いつもながらじつに鮮やかで説得力があります。けれども本書は単なる神学書ではありません。読者は聖書が提示する驚くべき希望のヴィジョンに感銘を受けるにとどまらず、その希望を胸に「今を生きる」力をも受け取ることができるでしょう。

ここにも書いたように、本書のテーマは「終末論」です。けれども、この言葉は一般の人にはなかなか分かりにくく、いろいろな意味で誤解を招きやすい言葉ではないかと思います。

「終末論」は一般的には「終わりについてのことがら」と理解されています(英語のeschatologyという言葉も、「終わりの」を意味するギリシア語のeschatosから来ています)。したがって、「終末論」とは「世の終わりについての聖書の教え」のことだと多くの人は考えています。けれども、これは厳密に言うと正しい理解ではありません。なぜなら、聖書によると、世界は終わることがなく、永遠に続いていくからです。「終わり」を迎えるのは、あくまでも私たちが知っている現在のこの世界のあり方であって、未来のある時点ですべてが滅びてなくなってしまうわけではありません。

確かに聖書は将来のある時点に世界に起こる劇的な大変化について述べており、それについて「終わり」という表現が使われることがあります。けれども聖書の終末論はただ単にこれから歴史の中で何が起こるか、ということだけではなく、歴史全体がどのようなゴールに向かって進んでいるか、という目的論を含んでいます。(実際、新約聖書が現在の世界の「終わり」について語るときには、「完成・成就」を表すtelosやsynteleiaが用いられることが多いです。)それはすべての消滅ではなく、新しい天と地の到来であり、神による被造世界の刷新です(その意味で、聖書の終末論は創造論と密接な関係があります)。そこで神と人をめぐる物語の一つの章は終わりますが、物語自体は終わることなく、永遠に続いていきます。(ちなみに、聖書が語る「新天新地」とは、物質から遊離した純粋な霊の世界でもなければ、無時間的な永遠世界でもありません。)

したがって、聖書の「終末論」は第一義的には「終わり」について述べているのではなく、むしろその主眼は神が導く「新しい始まり」にある、と言えます。(実際、私は個人的には「終末論 eschatology」という用語自体がほんとうに適切なものかどうか、疑問に思っています。)私たちが聖書から学ぶべきなのは、世の終わりに何がどのような順番で起こるかという「終末の青写真」や、現在世界に起きている出来事の中にその「しるし」(たとえば「反キリストの出現」など)を見出そうとする思弁的議論ではない、ということです。むしろ、私たちが目を留めなければならないのは、神がこの世界を新しく造りかえようとしておられること、その働きがイエス・キリストにおいてすでに始まっていること、私たちもその働きに招かれていることなのです。

このような視点の転換をすることによって、「終末」に関する私たちのイメージは大きく変わると思います。多くの人は「終末」というと、世界の破滅や人類滅亡といった陰鬱なできごとを思い浮かべます。(同じ理由でヨハネの黙示録を敬遠する人々がクリスチャンの中にもいます。)けれども、それを「新しい時代の始まり」ととらえるなら、終末をより肯定的に捉えることができるのではないかと思います。ですから、ライトの本のタイトルにも使われている「希望」という言葉は、聖書の終末論のキーワードたりうるのです。

聖書の終末論が重要なのは、それが遠い将来何が起こるかを教えているだけでなく、それが私たちに、今をどう生きるかについて教えているからです。クリスチャンであるとないとにかかわらず、人間の生き方はその人の終末理解に影響されます。つまり、終末論は倫理を規定するのです。たとえば、やがてこの地上の世界は滅びてなくなり、人々はどこか別の世界に移されると考えるか、それとも神がこの地上を新しく作り変えてくださると考えるかによって、現在私たちが地球環境にどう働きかけていくかが変わってくるでしょう。

聖書の「終末」に起こるとされている重要なできごとは、悪に対する神の最終的勝利です。現在の世界が抱えている最大の問題は、「神が創造したこの世界に、なぜ悪が存在するのか?」というものではないかと思います。聖書の終末論は、この「悪の問題」を神がどう解決されるのか、という神義論の問題と関わっています。その意味で、聖書の語る「終末」とは、「この世界に対する悪と死と罪の支配の終わり」と言うこともできるかもしれません。けれどもこれは、悪しき地上の世界から天上の楽園へ逃れていくということではなく、悪が支配するこの地がいつの日か神によって変えられるという希望なのです。古いブルースの歌詞にあるとおりです:

Trouble in mind, I’m blue
But I won’t be blue always
‘Cause I know the sun’s gonna shine
In my back door someday

私の心には悩みがある 私は憂鬱だ
でもいつまでもそうではない
いつか私の家の裏口にも
陽の光が射し込む日が来る

ここで歌われている希望は、「死んだら悲しみのない天国に行ける」というものではなく、この地上(「私の家の裏口」)で神の祝福の光に照らされる日が来る、ということです。ジェイムズ・コーンが言うように、アメリカ黒人のブルースは「地上的でかつ終末論的な故郷を探究している」のです(『黒人霊歌とブルース』)。

ここにはライトが語る終末論とも通じる部分があると思います。本書でライトは、この物質的世界を軽視するギリシア的な二元論を徹底して批判しています。彼は「人は死んだら霊魂が天国に行く」という通俗的な天国観を批判し、終末における肉体の復活と物質的な新天新地の到来を強調します。霊と物質(肉体)を対立するものと見て、前者を後者より優れたものとする考え方は、物質的なこの世界を神のよき作品と見る聖書的創造論とは異なりますが、このようなギリシア的思考様式は驚くほど深く伝統的なキリスト教理解に根付いてきました。

たとえば、C・S・ルイスのナルニア国物語はたいへん良質なキリスト教的寓話(アレゴリー)と言えますが、最終巻の『さいごの戦い』で描かれる永遠の世界の描写は、プラトンのイデア論の影響を色濃く受けています。実際、登場人物のディゴリー・カーク教授は主人公たちがたどり着いた永遠のナルニアについて、「これはすべて、プラトンのいうところだ。あのギリシアのすぐれた哲学者プラトンの本に、すっかり出ているよ。やれやれ、いまの学校では、いったい何を教えているのかな?」とコメントしています。ルイスと比較されることもあるライトですが、この点に関しては大きく違う理解を持っていると言えるでしょう。

もう一つライトが強調しているのは、上のポイントとも関係していますが、キリストの復活の中心性です。十字架につけられて死んだナザレのイエスが三日目に肉体をもってよみがえったという復活のできごとは、キリスト教信仰の土台であると言えますが(1コリント15:14-19)、ライトは『驚くべき希望』でもこの点について詳しく論じています。イエスが肉体をとってよみがえったという歴史的できごとは、神が歴史の目的に向かう最終段階をすでに開始された証拠であり、したがってここまで述べてきたような終末の希望、世界の刷新の希望が単なる机上の空論ではなく、信じるに足るものであることを確信させてくれるものでもあります。イエスの復活はやがて天と地が一つにされる未来のリアリティが、時代を先取りして突如この世界に侵入してきたできごとと言えるでしょう。

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この記事はライトの著書の紹介と言うよりは、終末論についての私の個人的な関心をとりとめもなく書き綴ったものになってしまいましたが、いずれにしても聖書の終末論はただ単に「世の終わりに何が起こるか」という未来予知に関する情報を提供しているのではなく、創造論、倫理、神義論という重要なテーマと結びついていることは確かです。『驚くべき希望』はこれらの問題も扱っています。推薦文に書いたように、本書は抽象的で無味乾燥な神学の教科書ではなく、私たちの生き方について考えさせてくれる良書だと思います。