神がデスヴォイスで歌うとき(6)

さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、小羊をおおかみの中に送るようなものである。
(ルカ10章3節)

その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。
(黙示録7章9-10節)

(過去記事

一般の音楽界では、1980年代に今では「古典的」とも呼ばれるヘヴィーメタルのスタイルが英米を中心に全盛期を迎えました。1990年代に入るとグランジやオルタナティヴロックの台頭によってメインストリームから後退しましたが、メタルはその後も他ジャンルの要素を取り入れながら、驚くほど多くのサブジャンルに細分化していきました。そのうちのいくつかを列挙すると、スラッシュ、デスメタル、ブラックメタル、パワーメタル、シンフォニックメタル、プログレッシヴメタル、ニューメタル、ドゥームメタル、フォークメタル、はては日本のBabymetalに代表されるような「カワイイメタル(Kawaii metal)」と呼ばれるジャンルまであるようです。これらのサブジャンルについては、他にいくらでも情報源はあると思いますので、ここでは説明を割愛します。詳しく知りたい方はご自分で調べてみてください(手始めにこちら)。メタルは地域的にも広がりを見せ、英米からヨーロッパ全域、そして全世界にメタルは拡大していきました。つまり、メタルは世界の大衆音楽の中で、主流とは言えなくとも確固たる地位を確立していると言えます。

クリスチャンメタルはこのような一般のメタルの展開の後を追うように発展していきました。現在では、多様なサブジャンルのほぼすべてにクリスチャンメタルは存在します(クリスチャンカワイイメタルの存在は確認できていませんが・・・)。そしてここでも、以前述べた様式的整合性を見ることができます。各クリスチャンメタルバンドは自分たちが属しているサブジャンルのスタイルに忠実に従いつつ、キリスト教的メッセージを発信していきました。

そしてこのように多様化してきたクリスチャンメタルバンドの中には、メインストリームで商業的成功を収めるものも出てきました。中でもニューメタル(ヒップホップやオルタナティヴなど多様なジャンルを取り入れたメタル)のP.O.D.(Payable on Death)が2001年に発表したSatellite は大ヒットを記録し、同バンドはクリスチャンメタルとしてはストライパー以来の成功を収めることになります。このアルバムは米同時多発テロが発生したのとまさに同じ9月11日に発売されましたが、テロの衝撃に揺れるアメリカ社会でシングル “Alive”のポジティヴな歌詞は大きな支持を集めました(こちらを参照)。

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その一方で、よりダークでアンダーグラウンドな方向に向かったクリスチャンメタルもあります。このシリーズタイトルを「神がデスヴォイスで歌うとき」とつけましたが、実際クリスチャンのデスメタルバンドも多数存在します。しかしこのような方向性を持ったクリスチャンメタルの中でも、もっとも極端なケースはクリスチャンブラックメタルと言えるでしょう。

「アンブラックメタル」とも呼ばれるこのサブジャンルは、ある意味でクリスチャンメタルの極北と言えます。これまでの記事で、クリスチャンメタルがいかに一般のメタル文化においても、キリスト教会においても二重の意味で異端児扱いされてきたかを見てきました。そのようなクリスチャンメタルの中でも、最も激しい論議を呼んだのがこのクリスチャンブラックメタルでした。

そもそもブラックメタルというサブジャンルは、北欧のノルウェーを中心として盛んになったスタイルで、その始まりから反キリスト教のイデオロギーを前面に押し出したムーヴメントでした。その中からは、実際に教会への放火や殺人の罪で逮捕される者まで出てきました。したがって、クリスチャンメタル一般を許容する人々にとってさえ、クリスチャンがブラックメタルを演奏するということは考えられないことでした。けれども同時にブラックメタルはある特定の音楽的スタイルを持っていましたので、クリスチャンの中でそのスタイルを用いて信仰を表現したいという人々が出現したのです。

史上最初のクリスチャンブラックメタルのアルバムは1994年にリリースされたHordeHellig Usvart でした。ノルウェー語のタイトルを英訳するとHoly Unblackになりますが、これはDarkthroneというブラックメタルバンドの “Unholy Black Metal”という曲名の意味を逆転させたものだそうです。

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史上初のクリスチャンブラックメタルアルバム、Hellig Usvart

ノルウェー語のタイトルから、このバンドはノルウェー出身のように見えますが、実際にはオーストラリアのクリスチャンミュージシャン、 Jayson Sherlock のソロプロジェクトでした。ただし彼は身元を隠して匿名でこのアルバムを発表しました。そしてそれが賢明な選択であったことはすぐ明らかになったのです。

Hellig Usvartの明確にキリスト教的、反サタニズム的歌詞を持ったアンブラックメタルは、「正統派」ブラックメタルコミュニティを激怒させました。彼らの目には、このような音楽はブラックメタルへの「冒涜」と映ったのです。事態はレコード会社にHordeの正体を明かすように迫る脅迫状や殺害予告が送りつけられる騒ぎにまで発展しました。けれどもHordeが切り拓いた道を、多くのクリスチャンブラックメタルバンドが歩むようになっていったのです。

アンブラックメタルでは、クリスチャンメタルのキーワードである「様式的整合性」がもっとも衝撃的なかたちで現れています。クリスチャンのブラックメタルバンドは、ブラックメタルの音楽スタイルだけでなく、バンドのロゴやアルバムデザイン、さらにはコープスペイントと呼ばれるメイクアップまで含むヴィジュアル要素も取り入れたからです。

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ノルウェーのアンブラックバンド、Antestor

ここまで過激なクリスチャンミュージックを受け入れられる人は限られているかもしれません。けれども、彼らの音楽を好むかどうかは別として、その目指しているところは理解することができるのではないでしょうか。アンブラックメタルのミュージシャンたちは、その過激な音楽形式を通してキリスト教信仰を表現し、ブラックメタルのサブカルチャーに生きる人々に対して――時には文字通り命がけで――福音を伝えようとしているのです。

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クリスチャンブラックメタルは極端なケースでしたが、P.O.D.のようなポピュラーなメタルであれ、アンブラックのようなアンダーグラウンドなものであれ、これまで見てきたのと同じ原則を見ることができます:音楽そのものは価値中立なもので、どのようなスタイルのものであっても、そこにキリスト教的なメッセージを乗せることは可能だ、ということです。

クリスチャンメタルは韓国や台湾、インドネシアなどアジア諸国にも存在しますが、その性格から言って当然キリスト教の盛んな国々で盛んであり、そもそもクリスチャンが少ない日本ではほとんど知られていないと言ってもいいと思います。そんな日本で数少ない(もしかしたら唯一の)クリスチャンメタルバンドImari Tones(伊万里音色)があります(バンドのサイトによると、彼らは日本初のクリスチャンヘヴィーメタルバンドだそうです)。スタイル的には1980年代風の古典的ヘヴィーメタルで、これまでに何枚ものアルバムを発表しておられますが、残念なことに今年3月にベーシストとドラマーの方が脱退し、現在新体制への移行期間にあるようです。今後の展開に期待するとともに、将来日本にもこのようなクリスチャンメタルバンドが増えてくることを願っています。

 

このシリーズではあえてキリスト教会ではマイナーなメタルというジャンルを取り上げましたが、他の音楽ジャンルでも同じようにクリスチャンのミュージシャンたちが活躍しています。おそらく世界にあるすべての音楽ジャンルにおいてキリスト教音楽は存在しているか、将来存在するようになるでしょう。キリスト教の視点からすれば、すべての音楽の究極的源泉は神にあり、それは神をたたえるために人類に与えられた賜物だからです。人はクリスチャンになると、自分の慣れ親しんだ音楽(それは母国語にもたとえることができるかも知れません)を用いて信仰について表現し、神を賛美したくなるのです。今やメタルは音楽の世界の共通語の一つであり、メタルを愛する人々は世界中にいます。ですから、これからもクリスチャンメタルは演奏され続けていくことでしょう。

(終わり)