神がデスヴォイスで歌うとき(5)

するとヨハネが答えて言った、「先生、わたしたちはある人があなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちの仲間でないので、やめさせました」。
イエスは彼に言われた、「やめさせないがよい。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」。
(ルカの福音書9章49-50節)

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まずは次の歌の歌詞をお読みください(英語からの私訳です):

自分の魂の救いについて、考えたことがあるのか
それとも、死んだら墓場で終わりと思っているのか
神はおまえの一部なのか、それとも頭の中の観念に過ぎないのか
キリストは学校の教科書に載っていた名前に過ぎないのか

死について考えるとき、息苦しくなるか、それとも冷静でいられるのか
教皇が苦境に立つのを見たいのか、彼は馬鹿だと思っているのか
でも俺は真理を見いだした。そうさ俺は光を見て、変えられたんだ
人生の終わりに、おまえが独りぼっちでおののくとき、俺は準備ができているのさ

それともおまえは仲間に何と言われるか恐れているのか
おまえが天の神を信じていると知った時に
奴らは批判する前に気づくべきなんだ
神が愛への唯一の道だってことを

群れがどこに向かって暴走しようとも従うしかない
おまえの心はそんなにちっぽけなのか
死を前にしたとき、それでもおまえはあざけって言うのか
太陽を拝んだほうがまだましだと

キリストを十字架につけたのは、おまえのような奴らだったのだ
おまえが持っていた意見が唯一の選択肢だったとは悲しむべきことだ
最期が迫ったとき、神など信じないと言えるほど、確信があるのか
チャンスがあったのに、おまえは拒絶した。もう後戻りはできない

神は死んでいなくなったという前に、もう一度考えてみるがいい
目を開けて分かってくれ、神しかいないってことを
神だけがおまえをすべての罪と憎しみから救える方なんだ
それともまだ、すべてをあざ笑うつもりか? そうか!それなら、もう手遅れだ

さて、これはいったい誰の歌か、ご存知でしょうか?

これはヘヴィーメタルの創始者とも呼ばれるイギリスのバンド、Black Sabbath“After Forever”という曲です。1971年発表のアルバムMaster of Realityに収録されています。かなり辛辣な口調で語られてはいますが、ここに見られるのは明らかにキリスト教的なメッセージです。実際、この曲はクリスチャンバンドのストライパーによってもカヴァーされています:

ブラックサバスは典型的な悪魔主義のメタルバンドだと思っている人には驚きかも知れませんが、彼らの曲にはキリスト教的な歌詞を持つものが少なくありません。たとえば “War Pigs” という曲では、戦争を仕掛けて人々を殺している権力者たちが、世の終わりに神のさばきを受けることになると警告しています。

ブラックサバスの中心的作詞者であるGeezer Butler はローマカトリック教徒として育てられ、15-16歳くらいまでは熱心に教会に通っていたそうです。その後教会からは離れたようですが、キリスト教には好意的な姿勢をとり続けています(こちらのインタビューを参照)。

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1970年のブラックサバス。左端がGeezer Butler

このシリーズでは、これまで明確にクリスチャンであることを前面に出しているヘヴィーメタルを取り上げてきましたが、今回はセキュラーなメタルの中にあるキリスト教的要素について考えて見たいと思います。

前回も書いた内容と重なりますが、「メタルは悪魔的」という一般的なイメージは、多分にレコード会社の販売戦略と関係があります。つまり、社会の「良識ある」保守的な人々にショックを与えるような過激なイメージを売り物にすることで、反抗的な若者たちの心をつかみ、レコードやコンサートの売上を伸ばそうとしたのです。今日で言う「炎上商法」と同じようなものです。

ブラックサバスの場合も同様のイメージ戦略がなされたことが分かっています。彼らのデビューアルバムのアートワークに逆さ十字が使われたのは、バンドの悪魔的イメージを強調しようとするレコード会社の提案でしたが、バンドのメンバーにはこのアイデアが気に入りませんでした。ドラマーのBill Wardはこのことについて語ったインタビューで、ブラックサバスが悪魔主義のバンドであることを明白に否定しています。実際、バンドの写真には下のようにメンバーが通常の十字架を身につけているものもあるのです。

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このことの教訓は大きいと思います。キリスト教会がメタルバンド(他のどんな大衆文化についても同様ですが)について、彼らが実際にどのようなメッセージを発信しているのかを詳しく吟味することなく、バンド名やアルバムのカバーアート、曲のタイトルといった表面的な情報だけで性急に「悪魔的」というレッテルを貼って非難するなら、それはレコード会社の販売戦略にまんまと踊らされていることになるのです。それだけでなく、実際に彼らの音楽を知る人々からは、「教会は表面だけを見てヒステリックに見当違いな攻撃をする頭の固い人々」という、ありがたくない評判を得ることにもなるでしょう。したがって教会は、表面的な情報にとらわれることなく、個々の楽曲の内容を吟味していく必要があります。

さて、キリスト教会が評価することができる、一般のヘヴィーメタルのメッセージ内容は、いくつかのカテゴリーに分けることができると思います:

1.キリスト教や神に対する信仰を歌ったもの

これについては説明は不要でしょう。冒頭に挙げたブラックサバスの “After Forever”はその典型です。一般のメタルやロックでストレートな宗教的内容が歌われることは稀ですが、ないわけではありません。メタルではありませんが、U2は最も有名な例の一つです。意外に思えるかもしれませんが、セキュラーなメタルバンドで活動しているミュージシャンの中にも、クリスチャンは何人もいます。したがって、神やキリストへの信仰を歌うメタルの楽曲が存在してもおかしくないのです。

また、明確にキリスト教的な内容でなくても、より一般的に神への信仰を歌ったものもあります。たとえばIron Maiden“Hallowed Be Thy Name” では、絞首台に引かれていく男の心理が描かれていますが、歌詞は死を前にした男の、神や永遠のいのちへの希望や疑いをめぐる心の揺れを丹念に描いていきます。そして曲のラスト(死の瞬間?)では「主の祈り」にある「御名の尊まれんことを(”Hallowed Be Thy Name” )」の祈りが繰り返されて終わります。

ちなみにアイアンメイデンは、一連のおどろおどろしいアルバムアートや “The Number of the Beast”(黙示録13章に出てくる「獣の数字」)という曲名(アルバムタイトルにもなりました)から来るイメージによって、1980年代にはアメリカの「モラル・マジョリティ」等の保守系キリスト教団体から「悪魔主義のバンド」という烙印を押され、彼らのレコードを破壊する反対運動まで起こりました。けれどもバンドのメンバーはサタニズムの非難を繰り返し否定してきましたし、メンバーの一人(ドラマーのNicko McBrain)はクリスチャンだそうです。そして実際には、アイアンメイデンの歌詞は文学や歴史に題材を求めたシリアスなものが多いように思います。中には聖書的イメージに満ちたものもあります(たとえばこちらの解説を参照)。

2.この世の悪の現実について歌うもの

これは数としてはもっとも多いかも知れません。メタルの歌詞では、戦争や暴力、死、犯罪といった、世界にある悪の現実、また悪魔の存在についてリアルに描写することがしばしばあります。そして、そのことのゆえにメタルは「暗くてネガティヴな音楽」として批判されてきました。しかし、それはあまりにも短絡的な考え方です。

この世の悪の現実を直視し、それを描写すること自体は悪いことではなく、むしろ必要なことです。聖書の中にはそのような悪の描写が頻繁に出てきますが、だからといって聖書を否定するクリスチャンは誰もいません。また、悪魔について書いてある本がすべて「悪魔的」というわけでもありません。大切なのは、その悪の現実についてどのような態度を取るかです。問題となっている歌の歌詞は、それが描いている悪を礼賛し、悪魔を礼拝するよう呼びかけているのでしょうか、それとも悪を断罪し、リスナーに悪を避けるように呼びかけているのでしょうか?もし後者であるなら、そのような歌はクリスチャンが聴いてもまったく問題ないと思われます。

過激なステージパフォーマンスで有名なAlice Cooperは祖父が伝道者、父は牧師という家系に生まれ、彼自身もクリスチャンです。彼はインタビューの中で、「私が書いたほとんどすべての内容は、『善と悪がある。悪を選ぶな』ということだ」と語っています。(ちなみにアリス・クーパーについては、クリスチャンブロガーのFrank Violaも書いています。)

このような悪への断罪というメッセージはいつもストレートな形で表現されるわけではありません。時には悪の現実がただ描写されて終わっているかのように思える歌詞もありますので、リスナーの側では背後に隠された意図を読み取る(聴き取る)努力が必要になってきます。

一例を挙げると、Metallica“Master of Puppets” という曲は、ドラッグを描いた曲であると言われています。この曲では歌い手(バンドの作詞者兼ヴォーカリストであるJames Hetfield)がドラッグの立場で一人称でリスナーに語りかける体裁をとっていますが、その内容はドラッグ(I)が人間(you)を奴隷化し、滅ぼしていく様を描いた、たいへんダークなものです。曲中で直接的に歌われるわけではありませんが(語り手はドラッグ自体なのですから当然ですが)、その背後にあるヘットフィールドのメッセージは明白です:麻薬に手を出すな、ということです。つまり、この曲は「ドラッグでハイになって楽しもうぜ」という麻薬礼賛の曲とは正反対のメッセージを発しているのです。これはちょうど、戦争の悲惨さをとことんリアルに描写した映画の方が反戦のメッセージをより効果的に伝えられるのと似ています。

メタルは大衆音楽の中でもよりポピュラーなロックやポップスに比べてアンダーグラウンドな位置づけにあるせいか、「セックス、ドラッグス&ロックンロール」といった快楽主義的な内容の歌詞ばかりでなく(もちろんそのような曲を好んで歌うバンドもありますが)、よりシリアスにこの世の悪を見つめる曲が多いように思います。これはブルースについても言えることですが、社会の悪を暴いて糾弾するような内容の歌は、たとえ表面的にはネガティヴに見えようとも、悪の現実を直視してそれを乗り越えようとする聴き手の応答を促す点で、クリスチャンにとっても無視できないものであると思います。個人的には、この世に満ちている悪や悲惨さから目を背けて、ひたすらハッピーなラヴソングを歌うポップスの方が、よほど人間の精神を堕落させるものがあると思います。

3.キリスト教会の堕落や偽善を批判する内容のもの

宗教はメタルの楽曲に頻繁に登場するテーマです。しかし多くの場合、それは(キリスト教国において)体制側に立って人々を抑圧しているとみなされるキリスト教への批判、というネガティヴな形で表現されます。これもまた、「メタル=反キリスト教」という一般的イメージを強化するのに役立っています。

しかし、注意深く歌詞内容を吟味していくと、それらの曲の多くはキリスト教そのものへの批判と言うよりは、聖書の教えから逸脱したキリスト教会の堕落や偽善、カルト的な極端な信仰への批判という内容であることが分かります。

ふたたびメタリカを取り上げますと、多くのクリスチャンは彼らの “Leper Messiah” (Master of Puppets収録)や “The God That Failed”(Metallica [通称ブラックアルバム]収録)という曲名を見ただけで、反キリスト教的バンドと切り捨ててしまうかもしれません。しかし前者は金儲けのために宗教を利用するテレビ伝道者を批判したものであり、後者は極端で誤った信仰による悲劇について歌っています。ヘットフィールドは厳格なクリスチャンサイエンスの信者の家庭に生まれ育ちましたが、彼が17歳の時に母親ががんになりました。けれども彼女は神癒を信じて治療を拒否し、結局亡くなってしまいました。この悲劇によってヘットフィールドの心に残された深い傷が、”The God That Failed”には表現されているのです。

また、アイアンメイデンの“For the Greater Good of God”では、ボブ・ディランの“With God on Our Side”にも似たスタイルで、戦争に加担するキリスト教会の姿が歌われています。その中で歌い手(Bruce Dickinson)は宗教指導者に対して「さあどうか教えてくれ、いのちとは何か、愛とは何かを」と問いかけます。これは口先でいのちや愛の尊さを説きながら、実際には戦争に協力している教会に対する痛烈な皮肉となっています。そして曲のラストでは、キリストが十字架にかかって死なれたのは人々が再び苦しむことがないためだったのだ、と歌われています。つまりこの曲もまた、イエスの十字架の真の意味を理解しようとしない現代のキリスト教会への批判になっているのです。

このような批判に対して、キリスト教会はどう応えるべきでしょうか? 私は彼らの批判には当たっている部分もあり、教会はそれを率直に認めて悔い改めるべきではないかと考えます。

4.神学的な問題を提起するもの

最後に、メタリカからもう一曲、 “Creeping Death”を取り上げます。

(メタリカは「思索する人のヘヴィーメタルバンド( “the thinking man’s heavy metal band”)」と呼ばれ、クリスチャンバンドではありませんが、いろいろと考えさせられる深い歌詞を持った曲が多くあります。メタリカとキリスト教の関係については、こちらの本に収められたPaul Martens“Metallica and the God That Failed: An Unfinished Tragedy in Three Acts”という論文を参照してください。)

“Creeping Death”は1984年に発表されたメタリカのセカンドアルバム、Ride the Lightningに収録された曲です。この曲のテーマは、旧約聖書に描かれた出エジプトの物語です。モーセに率いられたイスラエルの民がファラオの下で奴隷になっていたエジプトから脱出する前夜、主の使い(「滅ぼす者」出エジプト記12章23節参照)がエジプトの地をゆき巡り、エジプト人の長子を殺したというストーリーです。

この曲で特異なのは、このできごとが神から遣わされた「滅ぼす者」の視点から描かれている点です。イスラエルの民は神によって奴隷状態から解放される、しかしその「救い」はエジプト人の長子が虐殺されるというできごとを通して実現するという、不吉な予告がなされます。そして「滅ぼす者」は、「我は忍び寄る死なり」と宣言するのです。

“Creeping Death”が提起しているのは、上に挙げた “Leper Messiah” や “The God That Failed”とはまったく異なる種類の問題です。ここで歌われているのは、キリスト教会の堕落ではなく、聖書そのものが内包している、神義論という神学的問題なのです。イスラエルの民を救うためにエジプト人の長子を虐殺するような神は、果たして正しいと言えるのか、そのような血なまぐさい神のイメージを、新約聖書の愛のイエス像とどのように調和させることができるのか?――これは古くからある神学的難題であり、今日も多くの神学者たちが取り組んでいる問題です。メタリカはそれを無味乾燥な神学的論文としてではなく、スラッシュと呼ばれる激しいメタルのスタイルを通して、聴く者の面前に突きつけてくるのです。

もちろん、信仰者ではないヘットフィールドにとっては、これはキリスト教の神概念そのものに対する挑戦であるのかも知れません。けれどもクリスチャンとしても、この曲は重大な神学的問いかけとして受けとめることができると思います。これは単純に答えの出る問題ではなく、ずっと格闘し続けて行くべき問題です。けれども、まさにこのようにして神に問いかけつつも信頼し続けていく姿勢こそが、あるべき信仰者の姿ではないかと思うのです(こちらの過去記事を参照)。その意味で、メタリカの”Creeping Death”は私にとって「最も神学的なメタルソング」だと言えます。

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以上のごく限られたサーベイを通して、一般のヘヴィーメタルの中にも、キリスト教会が耳を傾ける価値のあるメッセージを見いだせることがお分かりいただけたのではないかと思います。

最後にいわずもがなの断り書きをしておきますが、私はこの記事で取り上げたバンドがクリスチャンバンドであると言っているのでも、それらのバンドの音楽のすべてを無条件で推薦しているのでもありません。当然、ここで取り上げたバンドのすべての曲のすべての歌詞をチェックしているわけでもありません(それは各人が自分の責任において判断すべきことです)。しかし、(他のサブカルチャーも同様ですが)セキュラーなメタルミュージックの中には、ここで挙げた例のように明確なキリスト教的メッセージを持つものや、キリスト教の立場から共感できるもの、クリスチャンが真摯に受けとめ考察すべきものなどが多くあります。「世俗のメタル=悪魔的」と十把一絡げに否定するのではなく知恵をもって良いものと悪いものを見分けていく態度と識別力を身につけることが必要であると思います。なぜなら、もしかしたらそのような媒体を通しても、神は語りかけておられるかもしれないからです。

(続く)