サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。
(使徒行伝9章26節)
クリスチャンメタルは、その始まりから論議を呼ぶ存在でした。そしてそれは、Marcus Mobergが指摘するように、キリスト教会内での論争と、一般のメタルコミュニティの中での論争という、「二重の論争」の様相を呈していたのです。
一般のメタルコミュニティにおいては、クリスチャンメタルは布教目的のプロジェクトであって、音楽的には既存のメタルバンドの貧弱なコピーに過ぎないという批判が根強くあります。けれども、30年以上の歴史を経てクリスチャンメタルは多様化と発展を遂げてきており、その批判が正当なものであるかどうかは個別に判断していくべきものでしょう。
より興味深いのは、キリスト教会内での批判です。Mobergによると、このことを理解するためには、1980年代半ばのアメリカ社会をとりまく歴史的文脈を考える必要があります。
当時ヘヴィーメタルは大衆音楽シーンにおいて空前の成功を収めていましたが、それと同時にアメリカ社会の保守派によるメタルへの攻撃も激しさを増しました。これは、1980年代初頭から始まる、保守とリベラル間の「文化戦争 culture wars」の一環と考えることができます。1985年には当時上院議員だったアル・ゴア元副大統領の夫人らを中心としたPMRC(Parents Music Resource Center)が設立され、子どもに聴かせるのに不適切とされる歌詞を含む音楽CDに警告表示をつけるよう音楽業界にも働きかけましたが、その中で多くのヘヴィーメタルバンドの楽曲が非難の対象となりました。
そのような社会的風潮の中で、アメリカの保守的キリスト教会ではメタルという音楽形式そのものが罪深いあるいは悪魔的なものであるという主張がなされていくようになります。Mobergは、このようにして保守派から投げかけられたメタルの「悪魔的」イメージが皮肉にも実際に主流派のメタル文化の中に取り込まれて固定化されるようになっていったと論じています。ミュージシャン本人の思想とは関係なく、商業的成功のために悪魔的イメージを売り物にするバンドも出てきました。
さらに歴史をさかのぼると、このようなメタル批判はそれ以前からアメリカの保守的キリスト教会内に存在していた、クリスチャンロック批判という、より広いムーヴメントの一部とみなすことができます。クリスチャンロックの批判者は、若者を虜にするロックンロールのパワーはサタンから来ているものであり、それを「贖う」ことはできない、と主張しました。このような、メタル以前からあったキリスト教会内の反ロック的風潮は、クリスチャンロックの草分け的存在であるLarry Normanが1972年に発表した“Why Should the Devil Have All the Good Music” という曲の歌詞に良く反映されています。
この歌の中でノーマンは、「いい若い者がロックバンドで何をしているのだ」という批判に対して、「自分が演奏している音楽に何も悪いものはない。なぜ悪魔がすべての良い音楽を独占しなければならないのか?」と応えています。ここから分かるように、争点はロックという音楽自体が反キリスト教的なものなのかどうか、つまり、特定のスタイルの音楽は必然的に何らかのイデオロギーを反映しているのか、それともすべての音楽は価値中立的なものか、ということです。そしてこの争点は、クリスチャンメタルを巡る論争でも本質的に同じものです。
メタル批判の中で、ヘヴィーメタルが聴く者の精神に悪影響を及ぼし、うつや自殺に陥らせるという主張がなされてきました。有名なケースでは、1985年にアメリカの二人の若者がイギリスのメタルバンドJudas Priestのアルバムを立て続けに聴いた後に自殺を図り、一人がその場で、もう一人が後に死亡した事件で、二人の両親はそのアルバムが自殺を促すようなサブリミナルメッセージを発信していたと主張して、バンドを相手取って裁判を起こしました(1990年に無罪判決)。けれどもこの裁判で争点になったのは当該アルバムのメッセージであって、メタルという音楽形式そのものについてではないことに注意しなければなりません(そしてもちろん、Judas Priestはクリスチャンバンドではありません)。
統計的には、メタルファンの中に、うつを抱えている人々が多いということは言われています。けれども、因果関係の矢印がどちらを向いているのかは定かではありません。彼らはメタルを聴いたからうつになったのでしょうか、それとも、もともとうつ的傾向のある人々がメタルのような激しい音楽を好むようになるということでしょうか?
後者の可能性が高いという研究結果がオーストラリアの大学で出ています。それによると、メタルミュージックを聴くことで、怒りやうつといった否定的な感情を適切に処理することができるということです。実際私も、メタル関係のオンラインコミュニティーで「メタルがあったから自分はこれまで自殺しないで生きてこられた」という発言をいくつか目にしたことがありますし、冬場の日照時間が少なくうつ病患者が多いと言われる北欧諸国でメタルが盛んなことも、このように考えれば納得できます。ちなみに日本語でも、認知神経科学者の中野信子氏がメタルと脳の関係について書かれた、その名も『メタル脳』という興味深い本が出版されています。
私はこの分野の専門家ではありませんので、断定的なことは言えませんが、少なくとも私の知る限り、メタルという音楽形式そのものが精神に悪影響を及ぼすという科学的根拠は見つかっていないようです。だとすれば、クリスチャンがメタルという形式を用いて信仰を表現すること自体には何ら問題はないと思います。
にもかかわらず、今日に至るまでクリスチャンメタルをめぐる「二重の論争」は根強く続いています。そして、ある意味でクリスチャンメタルバンドはそのような論争を呼ぶ立場をすすんで引受け、逆に自らのアイデンティティにしてきた面もあるように思います。
そもそもヘヴィーメタル(そしてその源流となったロック)のミュージシャンたちは、その過激な音楽スタイルを通して既成の価値観や社会秩序(当時のアメリカでは当然キリスト教会も含まれます)に対する「反抗」を掲げ、若者の支持を集めていきました。それを体制側が危険視したのはある意味当然と言えます。クリスチャンメタルは、そのような世俗メタルのキリスト教への攻撃に対する異議申し立てとして登場しました。いわば「反抗に対する反抗」(Moberg)という形を取ったのです。
けれどもクリスチャンメタルのアーティストたちは、反権威的なメタル文化に対してただ単に伝統文化をもって対抗したのではありませんでした。彼らはメタルというサブカルチャーに入っていき、同じ音楽をもって対抗したのです。その結果、彼らは自らの出自である保守的なキリスト教会をも敵に回すことになってしまいました。
私は個人的には、クリスチャンメタルのこのような戦略には、ある程度意図的なものもあったのではないかと推測します。つまり、1980年代の若いクリスチャンたちが自分たちの信仰を表現する手段としてヘヴィーメタルを選んだ背後には、伝統的で権威主義的な主流のキリスト教文化への「反抗」もあったのではないか、と思うのです。これが、前回言い残した、クリスチャンメタルが一般のメタルと様式的整合性をもっている、もう一つの理由です。
20世紀初頭のアメリカにおいて、キリスト教根本主義者たちはますます世俗化する社会とのつながりを断ち、自分たちだけの閉鎖的コミュニティを作ることによって、信仰の純粋さを保持しようとしました。ところが1940年代になると、このような閉鎖的体質に「反抗」する若い世代が現れます。彼らは根本主義者たちと同じような保守的教理に立ちつつも、一般社会とより積極的に関わっていこうとしました。これが「新福音派」、後に単に「福音派」と呼ばれるようになるグループです。
このようにしてアメリカの福音派が出現してきた流れと、クリスチャンメタルが生まれてきた過程には、興味深い共通点があるように思います。つまりどちらのムーヴメントも、自分たちより上の世代のキリスト教会に「反抗」して一般社会の文化とのつながりを求めつつ、主流文化の反キリスト教的価値観には異議申し立てをするという、「両面作戦」を採用したのです。
最大の皮肉は、アメリカにおいて福音派は大きな政治的影響力を持つ保守的社会勢力になっていき、1980年代の論争ではクリスチャンメタルを批判する側になったということです。既存の体制に反発して出現した革新勢力が社会で多数派を占めると、今度は保守に転じるというパターンは、歴史を通して繰り返されてきました。
けれども、変化の兆しはあります。たとえば、クリスチャンメタル/ロックバンドFlyleafの元ヴォーカリストであるLacey Sturmは、福音派を代表するミニストリーであるビリー・グラハム伝道協会に協力して活動してきました(こちら)。彼女が同団体のために歌っている曲はFlyleaf時代に比べてあまりメタル的ではないように思いますが、少なくともクリスチャンメタルに対する福音派の態度が以前に比べてオープンになってきていることは言えるかもしれません。
故ビリー・グラハム師へのトリビュートCDに収録されたLacey Sturmの曲
(続く)