神がデスヴォイスで歌うとき(1)

またわたしは、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。
(ヨハネの黙示録14章2節)

私は音楽を聴くのが好きです。いわゆる「キリスト教音楽」だけを聴くわけではありませんが、広い意味で神への信仰を表現した音楽を多種多様なスタイルで聴くのが好きです。クラシック、ジャズ、ポップス、民族音楽・・・イエス・キリストへの信仰が実にさまざまなスタイルで表現されるのを耳にするにつけ、神の創られた世界と教会の豊かな多様性に触れる思いがします。そんなわけで、このブログでも過去にU2ブルースメシアニック・ジューの賛美など、いろいろな音楽を取り上げてきました。

さて、そのような多様な「キリスト教音楽」の中で、私がとりわけ関心を持っているひとつのジャンルがあります。それはクリスチャンのヘヴィーメタル、いわゆる「クリスチャンメタル」です。

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写真はイメージです

クリスチャンメタルが興味深い理由は、ヘヴィーメタルという音楽ジャンルとそこから派生するサブカルチャーは、キリスト教とは無縁な、いやむしろ相容れないものというイメージが一般的にあるからです。実際メタルバンドの中には明確に反宗教、反キリスト教のメッセージを打ち出しているものも多数あります。したがって、キリスト教会においては、ヘヴィーメタルは「悪魔の音楽」と見なされ、クリスチャンが演奏したり鑑賞したりすべきではないと思われることがしばしばあります。

逆に一般のメタルコミュニティにおいては、キリスト教的なメッセージをメタルミュージックに乗せて発信することは、メタル文化の「反宗教的・反権威主義的エートス」にそぐわないと考えられることがあります。(実際私はクリスチャンメタルのCDがクリスチャンというだけの理由で聴くに価しないと評されたり、「キリスト教的な歌詞を気にしなければ楽しめる」と書かれているのを何度も読んだことがあります。)

このような一般的状況において、クリスチャンメタルはキリスト教会と一般的メタルシーンという両方の世界においてアウトサイダー的な位置づけにあるといえるでしょう。(余談ですが、このような「どちらの世界でもマイノリティ」という立場は、クリスチャンの科学者が時として教会と科学者コミュニティの両方で感じるという疎外感と相通じるところがあるかもしれません。)したがって、ある人々からすれば「クリスチャンメタル」という表現自体、語義矛盾と言えるかもしれません。

ところが実際には、クリスチャンメタルのバンドは星の数ほども存在しているのです(たとえばウィキペディアのリストを参照)。そしてクリスチャンメタルの専門誌やレコード会社、インターネットラジオ、オンラインコミュニティー、レヴューサイトなどもあり、一つの「シーン」を形づくっています。したがって、クリスチャンメタルは宗教社会学的に非常に興味深い現象といえ、海外では専門の研究書も出ています。私自身がクリスチャンメタルに魅力を感じるのは、音楽的関心もさることながら、それが文化現象としてたいへんユニークな興味深い特徴を持っているからであり、またそのような「二つの世界のはざま」で信念を持って強く生きる人々に共感を覚えるからでもあります。

とはいえ、ディストーションのかかったエレキギター、アグレッシヴなヴォーカル、強烈なドラムビートなど、大音量で過激なヘヴィーメタルのサウンドは、聖歌隊による合唱曲のような、一般的な「キリスト教音楽」のイメージとかけ離れたものであることも確かです。そのようなクリスチャンメタルが発するメッセージとはどのようなものなのでしょうか?

「キリスト教音楽」を正確に定義することは難しいですし、私は専門家でもありませんが、一般的にクリスチャンがその信仰を音楽を通して表現しようとするとき、いくつかの主題のパターンを考えることができると思います:

1.直接的に神に向けられた賛美や祈り
2.他の人々に対して自らの信仰を証しするもの
3.世界の現実について、キリスト教の視点から語るもの

これらのどの領域においても、メタルの激しく、時にダークなスタイルに乗せて表現することのできるメッセージは存在します。たとえば苦しみの中で神に助けを求める叫びであるとか、世の中の悪や罪に対して警告するもの、他の信仰者に対して困難の中でも信仰を守り通すように励ます内容、悪魔との霊的な戦いなどです。

一般的に言って、クリスチャンメタルが表現する歌詞内容は、キリスト教信仰の中でも暗い側面に着目したものが多いように思います(もちろんそれだけでなく、明るくパワフルなサウンドに乗せてポジティヴな内容の歌詞を歌うものもあります)。けれども、これまでも当ブログでたびたび取り上げてきたように、悪や罪との激しい戦いや疑い、苦しみの現実などは信仰者の人生に厳然と存在するものであり、それを無視して信仰を持ちさえすれば何もかもうまくいくように装うことは、皮相的で不健全な信仰になりかねません。聖書自体もそのような信仰のダークな側面をしっかりと直視していることが、聖書の中のブルースとも言える「嘆きの詩篇」などにはっきりと表れています(たとえばこの過去記事を参照)。

かつてC・S・ルイスは、「神は我らの快楽においてささやき、良心において語る。しかし神は我らの痛みの中で叫ぶ。痛みは聞く耳を持たない世界を目覚めさせる神のメガフォンである。」と言いました。もしかしたら、クリスチャンメタルは神が現代世界で用いられているメガフォンの一つと言えるかも知れません。

フィンランドのバンド、HBによる「God Has All Glory」

(続く)