神がデスヴォイスで歌うとき(3)

わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。
(1コリント9章19-23節)

その1 その2

そもそも「クリスチャンメタル」とは何でしょうか? クリスチャンメタルについての研究書を著したMarcus Mobergによると、クリスチャンメタルとは次の3つの要素を持つメタルミュージックのことです:

1.そのメッセージ(特に歌詞)がキリスト教的であること
2.ミュージシャンがクリスチャンであり、その信仰を公表していること
3.その音楽がクリスチャンのネットワークを通して制作され流通していること

Mobergはこのうち3番目の要素については重要度は低いとしており、一般的には最初の2つの要件を満たしていることが必要と考えられることが多いです。特にキリスト教会においては2番目の要素はかなり重視され、たとえばキリスト教書店でCDを販売するかどうかに影響します。しかしこの点は問題を含んでいます。あるクリスチャンミュージシャンが後になって信仰を捨てた場合、彼または彼女は「クリスチャンアーティスト」ではなくなります。では彼らがまだクリスチャンであった時に発表した録音はその時点で「クリスチャンミュージック」でなくなるというのはおかしな話です。それに、そもそもある人が真正の信仰を持っているのかどうか、第三者に判定できるものでしょうか?

そのような理由で、私は個人的にはキリスト教的な歌詞を持ったヘヴィーメタルを「クリスチャンメタル」と広く定義したいと思います。ここで言う「キリスト教的な歌詞」についても、第1回で語ったように幅広い内容を考えることができます。

歴史的に言うと、クリスチャンメタルの起源は1970年代後半のアメリカにあります。その中でも、一般の音楽界でも最初に大きな成功をおさめ、今日に至るまで最も有名なクリスチャンメタルバンドとなったのは、1983年にカリフォルニア州で結成されたストライパー です。

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神がデスヴォイスで歌うとき(2)

人は外の顔かたちを見、主は心を見る。
(1サムエル記16章17節)

その1

クリスチャンメタルについて書いていますが、このシリーズは単なる音楽の趣味について語っているのではありません。また特定の音楽的嗜好を読者に押しつけようとするものでもありません。むしろ、ふだんヘヴィーメタルを聴かない人々、あるいはメタルというジャンルについて特定の固定観念を持っておられる方々にこそ読んでいただきたいと思っています。それは以下のような理由によります。 続きを読む

神がデスヴォイスで歌うとき(1)

またわたしは、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。
(ヨハネの黙示録14章2節)

私は音楽を聴くのが好きです。いわゆる「キリスト教音楽」だけを聴くわけではありませんが、広い意味で神への信仰を表現した音楽を多種多様なスタイルで聴くのが好きです。クラシック、ジャズ、ポップス、民族音楽・・・イエス・キリストへの信仰が実にさまざまなスタイルで表現されるのを耳にするにつけ、神の創られた世界と教会の豊かな多様性に触れる思いがします。そんなわけで、このブログでも過去にU2ブルースメシアニック・ジューの賛美など、いろいろな音楽を取り上げてきました。

さて、そのような多様な「キリスト教音楽」の中で、私がとりわけ関心を持っているひとつのジャンルがあります。それはクリスチャンのヘヴィーメタル、いわゆる「クリスチャンメタル」です。 続きを読む

進化(深化)する信仰(2)

前回の記事)

今年に入って、レイチェル・ヘルド・エヴァンズの新刊Inspired(『霊感された書』)が発売されることを知り、早速予約注文して読みました(正確に言うと、多くの部分はキンドル版の音声読み上げ機能を使って通勤途中に聴いたのですが)。

今回彼女が取り上げた主題は、ずばり聖書です。本書はこんな書き出しで始まります。

昔むかし、あるところに、魔法の本を持った少女がいました。――

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進化(深化)する信仰(1)

先進的な仕事をする学者や思想家はたくさんいます。しかし、すぐれた思想家が必ずしもすぐれた書き手であるとは限りません。逆に、たとえその道の専門家でなかったとしても、現代の重要な思想を自らの人生経験のうちに内面化して、平易な文章をもって表現することに長けた人々もいます。キリスト教界で言えば、最先端の神学をより身近で親しみやすい形で一般のクリスチャンに紹介する、そんな人々の役割はたいへん重要なものだと考えています。なぜなら、神学は象牙の塔に閉じこもるのではなく、教会に仕えるものでなければならないと思うからです。

私にとってそんな魅力的なクリスチャン著述家の一人が、レイチェル・ヘルド・エヴァンズです。 続きを読む

神とともに創造する

前回の記事からずいぶん間が空いてしまいましたが、聖書における創造概念についてもう少し考察を進めてみたいと思います。

ジョン・ウォルトン師の中心的主張は、聖書が語る創造の概念は物質的なものというよりは、機能に中心的な重点が置かれていると言うことです。そのような機能的創造概念が旧新約聖書全体に渡って見られることは、前回も述べたとおりです。

今回考えてみたいのは、そのような創造の主体は誰か?ということです。もちろん、第一義的にはそれは唯一の神であることは言うまでもありません。しかし、同時に、神はその創造のわざ――つまり、世界に機能と秩序をもたらすこと――に参加するように被造物(特に人間)を招いておられるのではないかと思うのです。

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