神の救いの全体像(「舟の右側」新年メッセージ)

舟の右側」誌の2018年1月号に新年メッセージの寄稿依頼をいただき、「神の救いの全体像」と題して書かせていただきました。まだ新年には少し早いですが、雑誌自体は25日に発刊になりましたので、記事のさわりだけをご紹介します。

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使徒行伝20章でパウロがエペソ教会の長老たちに語った訣別説教の中で、彼はエペソでの3年間の伝道活動を総括し、「私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせた」と語ります(27節)。

パウロがエペソ教会の人々に伝えたメッセージは、「神のご計画のすべて」でした(新改訳2017の訳。第3版では「神のご計画の全体」)。これは何を指しているのでしょうか? 彼は同じ説教の中で、このことばを「神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰」(21節)、「神の恵みの福音」(24節)、「御国」(25節)、「神の恵みのことば」(32節)などさまざまな表現で言い換えています。いずれにしても重要なのは、パウロは「神のご計画のすべてを、余すところなく」伝えるために、3年の月日を費やしたということです。このメッセージは、たとえば「イエス・キリストを信じれば罪が赦されて天国に行ける」というような、短い命題の形に要約できるものではなく、旧約聖書に描かれている神の救いの歴史と、使徒たちによるイエス・キリストについての証言の全体を表していると思われます。つまり、パウロがエペソの人々に詳しく宣べ伝えたのは、天地創造からイスラエル、イエスを通して終末の完成に至る、壮大な神の救いのナラティヴの全体だったのです。

このことは初代教会にとって旧約聖書がいかに重要な意義を持っていたかによっても裏付けられます。新約聖書のさまざまな書巻を読むときに、たとえばルカ文書のように異邦人の読者を主な対象にしていると思われる書であっても、旧約聖書への直接・間接的な参照がおびただしくなされていることに驚かされます。新約記者たちは、たとえ異邦人クリスチャンであっても旧約聖書の詳細な知識を持っている(あるいはそれに関する解説のできる人が教会にいる)ことを前提に書いているのです。上に引用したような「矮小化された福音」の問題点は、それがイエスの物語のバックストーリーとしての旧約聖書の重要性をそぎ落としてしまっているところにあります。

このメッセージの後半では、聖書全体のナラティヴをどういう構造のもとに見ることができるか、ということについて書きました(これについては、聖書のグランドナラティヴに関する過去記事を参照してください)。注意していただきたいのは、ここで示した7部構成のアウトラインはあくまでも、聖書のナラティヴの全体像を理解するための助けに過ぎず、実際にそのナラティヴを読んで学んでいくことの代用にはならないということです。

メッセージの全体をお読みになりたい方は、ぜひ「舟の右側」の新年号を手にとってくださればと思います。他にも多くの興味深い記事が掲載されています。

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