大学での講義

今年度の前期、名古屋にある名城大学の非常勤講師として「キリスト教文化論」の講義を担当しました。試験の採点も終わり、一区切り着いたので、この経験について振り返ってみたいと思います。

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「キリスト教文化論」は昨年度から新設された外国語学部国際英語学科の2年生が学ぶ選択科目の一つです。将来国際人として活躍していくためには他国の宗教文化の理解が重要だということで設けられたものです。(ちなみに同じく選択科目の「イスラム教文化論」を担当されているのは、著名ジャーナリストの池上彰先生です。)私はもともと名城大学とつながりがあったわけではありませんが、知人の紹介を通して非常勤のお話をいただき、教えることになりました。

今年度の授業は、私の本業のスケジュールに合わせて無理を言って土曜日の1限目という変則的な時間帯にしていただいたため、最初はどのくらいの学生が登録するのか皆目見当もつきませんでした。大学の事務の方からは、もしかしたら数人しか集まらないかもしれませんと言われていましたが、結果的には20名以上の学生が登録してくださり、ほとんどの学生が最後まで熱心に出席し続けてくれました。

学生の大多数はキリスト教とはほとんど接点のない人々でしたので、予備知識はゼロであることを前提として、キリスト教の教えと歴史、そしてそのさまざまな文化的表現についてごく入門的な内容を概観しました。わずか15回の講義では、いろいろな主題を広く浅くカバーすることしかできませんでした。学生の中にはクリスチャンが少なくとも1名いましたし、キリスト教系の学校に通っていた学生も数人いましたので、すでにキリスト教についてある程度知識のあった人にはもの足りない内容だったかもしれません。

この種の授業では教える側の先入観や立ち位置をまず明らかにすることが重要だと思いましたので、最初の講義では自分がプロテスタントのクリスチャンであることを伝え、その意味で完全に客観的な立場を取ることは不可能であるけれども、なるべく他教派についてもバランスの取れた説明を心がけようとしていることをお話ししました。

他者との意義ある関係はまず相手を「知る」ことから始まります。今回の講義で特に注意したのは、キリスト教の多様性を知ってもらうことでした。一口にキリスト教といっても、長い歴史の中で形成されたいくつもの流れがあり、共通する部分を持ちながらも、多くの主題についていろいろな立場や考え方があること、特に日本のテレビやインターネットで目にする「キリスト教」の姿はそのごく一部を切り取ったものに過ぎないこと、そして今日ではキリスト教はもはや「西洋の宗教」ではなく、アジアやアフリカなどにも多くの信者をもつ、グローバルな宗教であることをお話ししました。そして、キリスト教が異なる文化的背景をもつ諸民族に受け入れられ、2000年も存続・発展してきたのは、多様なコンテクストに適応する柔軟性を持っていたからだということを伝えました。

上にも述べたように、学生の大多数はキリスト教について学ぶのは初めてだったようですが、全体的にとても興味を持って学んでくれたと思います。実際、近い将来に留学を予定していて、そのためにキリスト教について知っておきたいという学生が何人もいました。また国際英語学科ということで、英語のレベルは一般の大学生よりも高く、授業で英語のテキストや動画をそのまま使用しても特に問題はありませんでした。そういう意味ではとても教えやすいクラスでした。

この授業では試験の他に学生に好きなテーマを選んでレポートを書いてもらいました。取り上げられたテーマとしては、イースターやクリスマス、キリスト教式の葬儀や結婚式、カトリックとプロテスタントの違い、キリスト教系の学校、日本とキリスト教の関係などがありました。人気があったのはキリスト教音楽に関するもので、ゴスペルやグレゴリオ聖歌、CCMやクリスチャンメタルなどについてのレポートがありました。ユニークなテーマとしては、「食」という観点からキリスト教を考えたもの、エクソシズム(悪魔祓い)や日本におけるキリスト教の迫害の歴史などをとり挙げたものがありました。それぞれの興味や関心が反映されていて、とても興味深く読ませていただきました。こんなふうに、自分に関心のある分野を入り口にして、キリスト教に関心を持っていってもらえたらと思います。

最後のクラスでは無記名で授業の感想を書いてもらいました。授業をすすめる上での技術的な面でのいくつかの改善要望もありましたが(これらは来年の講義に活かしていこうと思っています)、全体的にとても肯定的なフィードバックをいただいて大いに励まされ、感謝しています。その一部を紹介します:

「最初はキリスト教の概要について勉強すると思っていたのですが、もっと細かい興味深い内容で、とても楽しかったです。また、我々にも関心の持てるような内容でとてもありがたかったです。私は映画が好きなので、キリストにまつわる映画をこれから見ていきたいと思います。」

「この授業を受けるまでは、キリスト教=ザビエルというイメージくらいしかなかったけど、授業を受ける中で、キリスト教といっても様々なものがあり、おもしろかった。」

「毎週土曜日で大変だなと思っていたけど、授業が楽しかったので苦ではなかった。普段あまり関わることがないキリスト教について学べたので、海外に行く時に少しでも役立つといいなと思う。」

「実際に留学に行く前にキリスト教について学べてよかった。」

「無宗教の自分にとって学ぶことや心を打たれるようなものが多かったため、この授業を受けることができたのはすごくよかった。」

「私は、この講義を受ける中で、キリスト教が発展していく中で、どのようにして受け入れられていったのかを意識しました。実際、私たちが知っているキリスト教というのは、『キ』の時にも満たない程、表面的なものばかりで、クリスチャンがどう考えているのか、聖書とはどういうものなのか、その重要性について知ってはいませんでした。しかしながら、今回キリスト教を学んだ上で考えるキリスト教は明らかに違うことに気づきました。例えば、聖書の中身がアジアでも広がっているということです。今回、学ぶ機会があったことに感謝して生きていきたいと思います。」

「キリスト教について、クリスチャンの方がここまで客観的な視点から教えてくれることはめったにないことだと思います。しかし、だからこそクリスチャンでないわたしも、キリスト教と自分の間に壁を感じることなく、学ぶことができました。」

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一般の大学でクリスチャンでない学生に教えるのは初めてのことで、最初はとても緊張しましたが、結果的にはとても楽しく有意義な時を持つことができて感謝しています。毎週土曜日の朝一番に名古屋に出かけていくのは大変でしたが、真新しい名古屋ドーム前キャンパスで若い人たちと接していると、毎回元気を分けていただきました。この若者たちが将来、世界中の人々と実りある関係を築く国際人として活躍していくことを心から願っています。