和服についての雑感

長女がこの夏から海外に留学することになり、その前に家族写真を撮ることになりました。昔からの知り合いの写真家にお願いして、家族のポートレート写真や一人ひとりの写真、仕事用のプロフィール写真など、場所を変えてたくさんの写真を撮っていただきました。

その中で、かねてからの願いであった、和服姿の写真を撮る機会がありました。

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photo by Kats Mizuno

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photo by Kats Mizuno

今回撮影してくださったカツ・ミズノさん高校の写真部の顧問もしておられますが、たいへんな腕前をお持ちの写真家です。ここで紹介できないのが残念ですが、家族の記念となる素晴らしい写真をいくつも撮ってくださいました。朝から夕方まで一日がかりの撮影でしたが、暑い中私たちに付き合ってくださり、本当に感謝しています。

撮影に使わせていただいたのは、新城市内に江戸時代から残る「望月家住宅」で、国の重要文化財に指定されている古民家です。ここは以前妻が地元のケーブルTVの取材で訪れたことがありますが、今回はミズノさんの紹介で使わせていただきました。私たち家族を快く迎えてくださったご当主の望月様にも、この場を借りて御礼申し上げます。

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アメリカ人の妻は昔から和服が好きでいくつか持っていますが、長女も留学先での日本文化紹介の一環として着付けを習いました。そのことが妻のブログに書かれています。

私も何年か前から和服に興味を持ち、時どき家で着ています。自己流ですが、男物の和服は少しインターネット等で調べれば一人で簡単に着られるようになりますので、外出用ではなく気軽に普段着として楽しんでいます。洋服を着る時とは扱い方や立ち居振る舞いが違ってくるので最初は戸惑いましたが、慣れてくると、見た目が美しいだけでなく、非常に着心地も良い、日本人の体格と日本の風土にあった服だということを実感しています。

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photo by Kats Mizuno

遠藤周作は、「西洋の宗教」として日本に伝えられたキリスト教を、日本人の身体に合わないお仕着せの「洋服」にたとえ、それを日本人の身の丈にあった「和服」に仕立て直すことを生涯追究した人でした。彼が最終的に提供しようとした「和服のキリスト教」についてはいろいろな評価がなされてきましたが、彼が目指したこと――古代中近東で誕生し、西洋文化の中で育まれてきたキリスト教を日本の文化に定着させること――の重要性は、キリスト者なら誰もが認めることと思います。

私たちは誰も、文化的真空の中に生きることはできません。必ず何らかの特定の文化の中に生きています。他の文化よりも優れた特権的地位を有する「聖なる文化」があるわけではありません。そうではなくて、私たちは自分たちの生きている文化のただ中でキリストを主として受け入れ、その文化にキリストの香りを染み込ませていくように召されているのではないかと思います。ちょうどパウロの時代に、ユダヤ人はユダヤ人のまま、異邦人は異邦人のままで、キリストにあって一つにされたように。

17  ただ、各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態にしたがって、歩むべきである。これが、すべての教会に対してわたしの命じるところである。 18  召されたとき割礼を受けていたら、その跡をなくそうとしないがよい。また、召されたとき割礼を受けていなかったら、割礼を受けようとしないがよい。 19  割礼があってもなくても、それは問題ではない。大事なのは、ただ神の戒めを守ることである。(1コリント7章17-19節)

実際には、今の日本で日常的に和服を着ている人は少数派でしょう。その意味で和服は失われつつある日本文化と言って良いかもしれません。ですから、クリスチャンが和服を着ることでキリスト教が日本に根付くようになるなどというナイーヴな話をしているのではありません。けれども、キリスト者が伝統文化の中にさまざまな良いものを見つけ、それを生活にとりいれていくこともまた、自然な信仰の表現であり、神の恵みに対する感謝の応答となりうるのではないか――そんなことを考えています。

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