以前、アメリカの旧約聖書学者ピーター・エンズの著書 『確実性の罪(The Sin of Certainty)』 を取り上げ、信仰と疑いについて考察しました(こちら)。先日エンズが配信しているポッドキャスト “The Bible for Normal People” でこのテーマが取り上げられていたので、紹介します。
B4NP Podcast Episode 12: “Faith and Doubt: No, You’re Not the Only One”
この中でエンズは、もう一人のホストであるJared Byasと、クリスチャンの人生における、不確実性や疑いの意義について語り合っています。詳しくは実際にポッドキャストを聴いていただきたいと思いますが、いくつか心に残った要点を自分なりにまとめてみました:
- 疑いを持つことはクリスチャン生活の一部であり、異常なことではない。それは現実生活の中で不可避的に起こってくることである。霊的成長は何らかの種類の苦しみなくしては起こらない。
- 信仰とは神についての確実な知識を持つことではなく、不確実性の中で、それでも神に信頼することである。「何を」信じるかではなく、「誰に」信頼するかが大切。正しい神学を持つことによって、神の臨在を保証できるというのは幻想である。
- 疑いや不確実性が信仰生活の一部であることは、聖書自体が証ししている。(ポッドキャストでは、詩篇89篇や伝道者の書が例として挙げられていました。)古代イスラエルの信仰は「神と格闘する」信仰であった。信仰と疑いの問題について、旧約聖書は今日の信仰者に多くを教えてくれる。
- 信仰の葛藤について率直に、オープンに語り合える環境が必要である。教会が疑いを抑圧し、それについて語り合う機会を奪っているのは憂うべきことである。
最後にエンズは、疑いを抱えて苦しんでいるクリスチャンに対して、「あなたは独りではない」と語りかけます。「疑うことは罪である」と教えられてきたクリスチャンの多くは、実際に疑いの現実に直面すると、自分だけが異常なのではないかと悩むことがあります(エンズ自身もそうだったようです)。それに対してエンズは、疑いを持つことは正常なクリスチャン生活の一部であり、歴史上多くのクリスチャンが通ってきた道であること、それについて一人で思い悩むのではなく、そのような問題について裁くことなく理解を持って受け止めてくれるコミュニティを見つけることが大切であると語ります。
ところで、この紹介記事だけ読むと、かなり深刻な内容のポッドキャストであるかのような印象を受けるかもしれません。確かに扱われている主題はシリアスなものですが、エンズとバイアスはユーモアを交えながら親しみやすい切り口で語ってくれていますので、とても聴きやすいものになっています。(注意:エンズは独特のユーモアのセンスを持っており、しばしば真面目な口調で皮肉なことを言ったりするので、彼の語り口に慣れない人は戸惑うかも知れません。)
ちなみに、このポッドキャストはしばしばゲストを迎えての対談が行われています。聖書学者が多いですが、それだけにとどまらない多彩なゲスト陣もこのポッドキャストの魅力になっています。これまでのゲストには、Rob Bell, Richard Rohr, Rachel Held Evans, Walter Brueggemann, Mike McHargue (Science Mike), Amy-Jill Levine, Kent Sparks, Daniel Kirk, Benjamin Sommer がいます。英語のポッドキャストですが、聖書に興味のある方は一聴をおすすめします。