このたびヨベルさんから出版された『焚き火を囲んで聴く 神の物語・対話篇』が手元に届きました。
この本はもともと『舟の右側』誌に大頭眞一先生が連載された12回の記事に、12人の「焚き火仲間」が応答すると言うかたちで編まれたものです(ネット上に本書のリンク集もあります)。届いたばかりの本をぱらぱらと見ていますが、キリストのからだの多様性と一致がユーモアを交えながら見事に体現されており、まさに「焚き火を囲んだ対話」というイメージがぴったりだと思いました。他に類を見ない本だと思います。
さて、本書では私も焚き火仲間に加えていただき、大頭先生(本書では「先輩」と呼ぶことになっているようですが・・・)の第5回連載「焚き火のまわりで雪合戦」への応答として、「愛なる神が与えてくださる冒険――オープン神論」という一章を書かせていただきました。
オープン神論についてはこのブログでも「オープン神論とは何か」という連載をしたことがあります(最終回に各回へのリンクがあります)し、その後も折に触れて書いていますが、書籍の形でまとまった文章を出版するのは初めてです。ということで、この言葉を聞いたこともない方々のために、なるべくわかりやすくオープン神論の概要を説明することを試みました。
いくつか鍵となる内容を列挙します:
- オープン神論の考え方がもっともよく理解できるのは、聖書を物語(ナラティヴ)として読む時である。
- 人間は真の意味での自由意志を与えられており、神はそんな私たちとダイナミックでインタラクティヴな関係を持ってくださる。被造物に自由意志を与えられたのは、神ご自身の自由で主権的な決断による。
- 未来は部分的に開かれている(オープンである)。つまり、未来は部分的に可能性として存在しており、そのようなものとして神に知られている。オープン神論は神の全知性を否定しない。
- 歴史は最初からすべてがプログラムされた自動機械のようなものではなく、生身の役者が演じていく現在進行中の生きたドラマである。
- オープン神論の核心は、「神は愛である」という、聖書的な神理解にある。
- この世に悪が存在するのは、愛が可能な世界を創造するために神が冒されたリスクである。
- オープン神論は神の全能性も否定しない。「力」「支配」「王権」といった、聖書に頻出する概念について、その真の意味を聖書から考え直していく必要がある。神の国の支配は、上からの強制によるコントロールではなく、謙遜に仕える愛を通して表される。
さらに詳しい内容については、一緒に収められた楽しい対話の数々とともに本書を読んでいただきたいと思いますが、本章の最後の部分を引用して終わります。
「焚き火のまわりで雪合戦」でも引用されている、「アスランのくだされた冒険にとびこむ」ということばは、私がナルニア国物語で最も好きな台詞の一つです。聖書が証しする全知全能の神は、何よりも愛なるお方であり、私たち一人ひとりを自由な存在として創造してくださいました。未来は部分的に開かれており、人生はリスクもあるけれども、本物の愛の関係が生まれる可能性に満ちた「冒険」です。その大いなる冒険にとびこむよう、神は私たちを招いてくださっているのです。