ルカ文書への招待(8)

      

8回にわたってEquipper Conference 2016に向けたルカ文書の入門コラムとその補足をお送りしてきましたが、今回がいよいよ最終回になりました。カンファレンスに参加しない人々にとっても、ルカ文書に興味を持っていただけるきっかけとなれば幸いです。

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ルカが語る福音の物語⑧ 「すべての主であるキリスト」

8回にわたって、ルカ文書(ルカの福音書と使徒の働き)について概観してきました。ルカはイエスと教会の物語を、地上における神の救いのご計画の現れとして描いています。そして、そのストーリーは、地中海世界におけるローマの支配という歴史的現実を背景として展開していきます。

「福音」とは、イエス・キリストを通して神の国、すなわち神の王としての支配が地上に訪れつつあることについての「よい知らせ」です。そのメッセージは、個人の心の問題だけに関するものではなく、地上の現実のあらゆる側面に関わってきます。政治もその例外ではありません。現代のような「政教分離」という考え方は聖書時代の人々にはなかったのです。

ローマ帝国の権力の頂点に立つのは皇帝でした。ローマ皇帝は「主」「救い主」などの称号をもってたたえられ、時には神としてあがめられていました。そのような世界にあって、ルカは帝国の辺境であったユダヤの地に貧しい幼子として生まれ、十字架につけられて死んでよみがえったナザレのイエスこそが世界のまことの王であることを語ります。ルカはローマ皇帝ではなく、このイエスこそが「すべての人の主」(使徒10章36節)だというのです。クリスチャンとは、このイエスを自分の、また世界の主と信じ、従い、宣べ伝える人々のことです。しかし、イエスはローマ皇帝と同じような意味で「王」また「主」なのではありません。イエスは力をもって他者を押さえつけるこの世の支配者とはことなり(ルカ22章25-26節)、いのちを捨てて私たちを愛してくださった王なのです。

ルカの描く福音の物語は、パウロがローマ帝国の首都にたどりつき、皇帝の膝元で神の国(王国)を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えたという描写で終わっています(使徒28章31節)。「神が王であり、イエスが主である」――これはすべての人に与えられた希望のメッセージであり、時代を超えて今日の私たちにも語りかけているのです。

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<ブログにおける補足>

イエスは主である」という簡潔なフレーズは、キリスト教のもっとも基本的な信仰告白と言ってもよいと思います。しかしこれは単なる宗教的・神学的信念の表明ではなく、政治的なニュアンスも含んだメッセージです。イエスが主であるとは、文字通りこの世界の主権者であるということを意味しています。もちろん、新約聖書は地上の政治的権威を尊重し、基本的には従うようにと教えています(たとえばローマ書13章)が、この世界の究極的主権者はいかなる人間的支配者でもなく、イエス・キリストであるというのが、その主張なのです。

ルカのナラティヴはこのことをいろいろな形で表現しています。たとえば、ルカ福音書の降誕物語では、ベツレヘムに誕生した幼子イエスが皇帝アウグストゥスを賛美するために使われたキーワードを用いて描写され、ルカがイエスと皇帝を意図的に対比して描いていることを暗示しています。つまり、ルカがこの降誕物語で読者に伝えたいのは、本当の世界の主はローマ皇帝ではなくイエスだということです(これについては、「本当は政治的なクリスマス物語」を参照ください)。

ルカは新約記者の中で唯一、ローマ皇帝に名指しで言及していますし、その二部作のナラティヴで展開するできごとは、しばしばローマ史のコンテクストの中に位置づけられています(ルカ2章1-2節、3章1-2節、使徒11章28節、18章2節)。しかし、ローマ帝国はルカにとって単なる福音の物語の背景を提供しているだけではありません。ルカにとって、この世界はさまざまな政治的・宗教的権威によって支配されていますが、究極的にはその権力はサタンに行き着くものです(このテーマについては、こちらの過去記事をご覧ください)。

神の国(神の王としての支配)は地上を支配する「サタンの王国」に侵攻する――これがルカのナラティヴをとおして伝えられるメッセージです(たとえばルカ11章14-20節、使徒26章18節を参照)。したがって、神の国の福音はこの世の権威にとっては脅威となるのです。ただし、コラムでも書いたように、神やイエスの王権はこの世のものとはまったくことなる種類のものであることも、忘れてはなりません。

使徒行伝におけるイエスの昇天記事には、次のように記されています:

イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。(使徒1章10-11節)

ルカは教会の時代をイエスの昇天と再臨によって枠づけています。イエスは天に昇って「主」とされました(使徒2章36節、10章36節)。したがって、イエスが再び来られる時は、その主権が全世界に対して及ぼされる、万物の回復の時となります(使徒3章20-21節。1コリント15章24-28節参照)。教会はこの終末的希望を抱きつつ、主であるイエスの証しをする神の民の共同体です。

そして、ルカが描く教会の姿は、今日のキリスト教会にもつながっていくものです。使徒行伝のナラティヴは、パウロがローマ帝国の首都で神の国と主イエス・キリストを宣べ伝えた、という開かれた形で終わっていますが、ルカの描いた福音の物語は、使徒28章で終わったのではなく、主であるキリストが「地のはてまで」証しされるまで(使徒1章8節)、続いていくのです。

christ_pantocrator

全能者キリスト(ハギア・ソフィアにあるモザイク)