Equipper Conference 2016に向けたルカ文書の入門コラムとその補足、その7回目はルカの語る「救い」について考えます。
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ルカが語る福音の物語⑦ 「ルカ文書における救い」
ルカ文書の重要な主題の一つは「救い」です。ルカ福音書のクリスマス物語では、ベツレヘムで生まれたイエスが「救い主」と呼ばれています(ルカ2章11節)。神に献げるために幼子イエスが神殿に連れてこられたとき、シメオンはイエスを抱いて言います。
「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、 みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが 万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、 御民イスラエルの光栄です。」(ルカ1章29-32節)
ここで注目すべきなのは、イエスにおいて実現しようとしている神の救いはすべての人のためのものだ、と語られている点です。イエスはイスラエルだけでなく、全人類に救いをもたらすお方です。3章6節でもルカはイザヤ書を引用して「こうして、あらゆる人が、 神の救いを見るようになる。」と述べています。
福音書においては、イエスのミニストリーはユダヤ人にほぼ限定されていました。しかし、使徒の働きでは、福音が異邦人にも宣べ伝えられていき、福音書における約束が成就していくのを見ることができます。使徒の働きの結末部分でパウロははっきりと、「神のこの救いは、異邦人に送られました。」と語っています(使徒28章28節)。
そして、このようにして救いがイスラエルから始まってすべての民族に広められていくということは、実は旧約聖書の時代から神によって計画されていたことなのです。使徒の働き13章47節でパウロとバルナバはイザヤ書49章6節を引用しつつ、「なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。 『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。 あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」と語っています。
ルカ文書は、神がアブラハムに与えられた、「地上のすべての民族は、 あなたによって祝福される。」(創世記12章3節)という約束が、歴史の中でどのように展開していったかを描いているのです。
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<ブログにおける補足>
コラムでも書いたように、ルカの救済論の特徴は「すべての人に与えられる救い」という、その普遍的な視野です。その中で大きな意味を持っているのは、イエスを通して神から与えられる救いはユダヤ人だけでなく異邦人にも分け隔てなく与えられる、ということでした。
しかし、それだけではありません。ルカ文書では、神の救いは社会のあらゆる階層にいる人々にも与えられることが繰り返し強調されていきます。聖書学者たちは、ルカが新約記者の中でもとりわけ社会的弱者に対して大きな関心と共感を寄せていることを指摘してきました。
公生涯のはじめに、ナザレでの説教において、イエスはイザヤ書61章を引用しつつ、次のように語りました。
「主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、
わたしを聖別してくださったからである。
主はわたしをつかわして、
囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
打ちひしがれている者に自由を得させ、
主のめぐみの年を告げ知らせるのである」
(ルカ4章18-19節)
イエスはこの預言がご自分において実現したと語ります(21節)が、メシアとしてイエスに与えられた使命とは、「貧しい人々に福音を宣べ伝える」ことでした。平地の説教でもイエスは「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。」(ルカ6章20節)と語っています。福音や神の国はまず何よりも貧しい人たちのためのものだというのです。ジョエル・グリーンによると、ルカにとっての「貧しい人々」はただ単に経済的貧困にあえいでいる人々だけでなく、より一般的に社会の中で疎外され、不利益を被っている人々をさしています。しかし、もちろんそこには経済的貧困者も含まれていました。ルカ文書ではラザロ(16章19-31節)やエリコの盲人(18章35-43節)、レプタ二つを献金したやもめ(21章2-3節)などの貧しい人々が肯定的に描かれています。
もう一つのグループは女性たちです。当時の男性中心的な社会にあって、ルカ文書は女性に対するあたたかいまなざしに満ちています。マタイ福音書の降誕物語がヨセフの視点から描かれているのに対して、ルカの降誕物語はマリアを中心に描かれ、彼女が模範的な信仰者として描かれています。また、ルカはイエスにしたがった大勢の女性の弟子たちについても度々言及しています。その中には、マグダラのマリアやヨハンナ、スザンナ(8章2-3節)、それにベタニヤのマルタやマリア(10章38-42節)が含まれます。これらの女性たちはイエスの十字架刑を見守り(23章27、49節)、イエスの復活の最初の証人となったのも女性たちでした(24章1-11節)。
またイエスは当時のユダヤ人社会で、特に宗教的に潔癖な人々から嫌われていたような人々とも愛をもって交わりました。その中には取税人や「罪人」と呼ばれる人々(グリーンによると、彼らは社会的アウトサイダーを表します)も含まれていました。イエスのそのような行動はユダヤ人指導者からの批判を招くことになりますが、イエスはまさにそのような人々のために自分は来たのだと言います(5章32節、19章10節)。ザアカイ(19章)はそのような救いを受けた典型的な人物ということができるでしょう。また使徒行伝でピリポはエチオピア人の宦官に福音を伝えます(使徒8章26-39節)が、宦官はユダヤ教においては疎外されたグループの一つでした(申命記23章1節参照)。
ルカ文書においてはまた、子どもも肯定的に描かれています。ルカは福音書記者の中で唯一、イエスの少年時代のエピソードを語ります(2章41-52節)。イエスは小さな子どもたちを喜んで受け入れただけでなく、弟子のモデルとされました(ルカ18章15-17節。9章47-48節参照)。
そして、当時の多くのユダヤ人にとって神の救いから除外されていると考えられていた異邦人やサマリヤ人に対しても、ルカはたいへん肯定的に描いています。異邦人宣教の重要性についてはコラムに書いた通りですが、サマリヤ人についても、ルカ文書では「よきサマリヤ人」のたとえが語られ(ルカ10章30-37節)、病がいやされてイエスに感謝するために帰ってきたサマリヤ人がおり(17章11-19節)、多くのサマリヤ人が福音を受け入れています(使徒8章5-25節)。
このように、ルカは当時のユダヤ人社会の周縁部にいる人々、言い換えれば神の恵みからは最も離れていると思われていたような人たちに救いが訪れるさまを繰り返し描いていることが分かります。グリーンはルカの救済論の特徴として、社会的立場の逆転(status reversal)ということを指摘しています。このことは、降誕物語におけるマリアの賛歌(Magnificat)においてはっきりと述べられています。
主はみ腕をもって力をふるい、
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
権力ある者を王座から引きおろし、
卑しい者を引き上げ、
飢えている者を良いもので飽かせ、
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。
(ルカ1章51-53節)
コラムでも述べたように、ルカは神の救いはすべてのものであることを強調しており、救いは社会的弱者のためだけのものではないことが分かります。しかし、特にこの世で虐げられている人々に対して神がいかに恵みを与えてくださるかをルカが強調しているところに、この世のものとはことなる神の国の価値観が表されているように思います。神の救いがこの地上に現されるとは、神の義が世界に実現していくことを含んでいるのです。
(続く)