待ち望むということ

今週からアドベント(待降節)に入り、教会暦では新しい年を迎えました。アドベントについてはこちらの過去記事でも書きましたが、二千年前のキリスト降誕のできごとを思い起こすとともに、キリストの再臨を待ち望むという意味があります。そしてまた、信仰者が1月1日から始まるこの世の暦とは異なる時間のサイクルに生きることは、この世の世界観とは異なる神の国の時空に生きることにほかなりません(これについてはこちらの過去記事を参照してください)。

個人的に、今年の待降節は文字通り「待つ」ということの意味を深く考えさせられています。

ルカ福音書の降誕物語では、イスラエルの救いを待ち望む忠実なユダヤ人が何人も登場しますが、興味深いことにそのほとんどが老人です。バプテスマのヨハネの両親であるザカリヤとエリサベツしかり(1章)、そしてシメオンとアンナしかりです(2章)。彼らは若いヨセフやマリヤとともに、メシアを待ち望む敬虔な神の民イスラエルを代表しているわけですが、ルカはこのイスラエルを、神の約束の実現を待ち望みつつ年老いた民族というイメージで描いているように思われます。つまり、福音書の冒頭部分でルカは、イスラエルに対する神の約束の実現が久しく遅れていた――あるいは少なくとも人間の目にはそのように見えた――ことを読者に伝えようとしているのかもしれません。そしてそれは、今まさに到来しようとしている新時代の幕開けに対する期待を高め、ドラマティックな効果をあげています。

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