Even Saints Get the Blues(信仰者と嘆きの歌)(3)

その1 その2

アメリカ・ミシシッピ州クラークスデール。ハイウェイ61号線と49号線の交わる十字路に、一人の男が立っていた。時刻は真夜中を回ろうとしていた。男は手に使い古したギターを持ち、何かを、あるいは誰かを待っていた。男の名はロバート・ジョンソン。彼は悪魔と契約を結ぶためにそこに立っていた。おのれの魂を売り渡し、それと引きかえに、ほかの誰にもまねのできないギターの演奏技術を手に入れるために――

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20世紀のポピュラー音楽史に名を残すブルース・マン、ロバート・ジョンソンをめぐるこの「クロスロード伝説」はあまりにも有名ですが、そこには数々の曖昧さが残されています。まず、この逸話の主人公はロバート・ジョンソンではなく、もともとはトミー・ジョンソンという別のブルース・マンの話として語り継がれていたものだといいます。しかしロバートは、自らの超絶的ギターテクニックを売り込むために、すすんでこの「悪魔に魂を売ったギタリスト」のイメージを広めていったのかもしれません。

また、この伝説と絡めて語られることの多いジョンソンの「クロスロード・ブルース」の歌詞には、悪魔はいっさい登場しません。それどころか、この歌の中でジョンソンは十字路にひざまずいて、主なる神に祈りを捧げているのです。

I went to the crossroad, fell down on my knees
I went to the crossroad, fell down on my knees
Asked the Lord above “Have mercy, now
Save poor Bob, if you please”

十字路に行って、ひざまずいた
十字路に行って、ひざまずいた
天におられる主にお願いしたんだ。「どうかお慈悲を―
あわれなボブを、どうぞお救いください」

クロスロード伝説をめぐる曖昧さは、そのままブルースという音楽の持つアンビバレントな性質をよく表しています。ブルースはジャズやロックといった現代のポピュラー音楽の源流であり、20世紀後半以降の音楽に決定的な影響を与えた重要なジャンルです。けれども、しばしば酒や女について歌うブルースは、もう一つの黒人音楽である霊歌(スピリチュアル)と対比して語られてきました。いわく、「霊歌は神の音楽、ブルースは悪魔の音楽」「霊歌は教会音楽、ブルースは世俗音楽」というわけです。しかし、ジェイムズ・コーンはその著書『黒人霊歌とブルース』の中でそのような単純な二分法をしりぞけ、ブルースは「世俗的霊歌」であると主張します。

残念ながら、多くの教会人が最初ブルースを下品でわいせつな歌であるといって断罪したことは事実である。だが、それは彼らはブルースを正しく理解しなかったためである。もしブルースが適切な視点のもとで見られるなら、その気分は霊歌のエートスに非常に近いことが明らかになる。実際、ブルースと霊歌は同じ経験基盤から生まれ出たものであって、いずれも相手の注釈なくしては黒人的生の適切な解釈たりえないというのが、わたしの主張である。(184頁)

言うまでもなく、ブルースはアメリカ南部における黒人たちの悲惨な歴史的経験から生まれてきた音楽です。19世紀後半から20世紀前半にかけて、南北戦争後の奴隷解放、南部再建期、そして人種隔離法と移りゆく時代の中で、黒人たちの味わった苦しみを歌った「嘆きの歌」がブルースなのです。ヨーロッパからアメリカに渡ってきたピューリタンたちは旧世界をパロのエジプトになぞらえ、新大陸を約束の地、またシオンと見なしました。しかし、奴隷にされた黒人たちにとっては、アメリカこそ白いパロが支配するエジプトにほかならなかったのです(Stephen Nichols, Getting the Blues, p. 135)。ミシシッピ・デルタのプランテーションで重労働に従事していた黒人たちは、土曜日の夜になるとジューク・ジョイントと呼ばれる安酒場に集まり、ブルースを歌い、踊って、つかのまの慰めと楽しみを得ていました。

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綿花畑で働かされる黒人たち

ブルースとは何か?そう訊ねられたある老ブルース・マンは答えました。「ブルースは真実だ(”The blues is truth.”)」。ブルースの本質は、人生の苦しみや人間の醜さといった真実をありのままに語り歌うことにあります。これは旧約聖書の次の言葉に通じるものがあります。

わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある。(伝道者7章15節)

前回引用した詩篇88篇は数ある嘆きの詩篇の中でも特に暗い内容を持ったものです。通常嘆きの詩篇と言われるものでも、最後には神への賛美や感謝で終わるものがほとんどですが、この詩篇は最後までそのような肯定的な転機が訪れることなく、嘆きのまま終わっています。これはまさにブルースそのものであると言えます。この詩篇自体にはハッピーエンディングはありません。苦しみからの解放は「いまだ」訪れていません。詩人はそれが必ず訪れることを信じていますが、それを安易にでっち上げようとはしません。

ここには世界に存在する不条理な悪の現実を冷徹に見つめるリアリストの目があります。これは聖書の見落としてはならない側面であると思います。聖書は確かにこの世界を超えた世界について語り、この世界をつくりかえる救いの希望を語りますが、それと同時にこの世界に厳として存在する悪や罪や苦しみから目を背けようとはしません。聖書にはゴスペルもあればブルースもあるのです。信仰者はブルースに時として描かれる罪深いライフスタイルを肯定するわけではありませんが、この世の真実を伝えるものには、注意を向けていく必要があります。なぜなら、福音とはこの世界の生きた現実に関わるものだからです。ブルースは堕落した世の真実を表すと同時に、私たち自身のうちにある罪をも示し、間接的にそこからの救いを指し示しています。ゴスペルとブルースは黒人の歴史的経験から派生した兄弟のような関係にある音楽です。ブルースは地上の悲惨な現実を直視し、ゴスペルは神の国の希望を歌いますが、どちらが欠けても真理の全体をとらえることはできません。私たちは罪や悪といった世界のネガティヴな側面を飛び越えて、一足飛びに神の国にたどり着くことはできないのです。

スティーヴン・ニコルズはその著書『Getting the Blues』の中で、ブルースは私たちに、罪を犯して神から離れてしまったアダムと自己を重ねさせ、堕落した人間性という普遍的な真理に目を向けさせると言います。ブルースはエデンを追われたアダムとエバによる、嘆きの歌です。しかしそれは真理の一部でしかありません。ブルースは同時に私たちに第二のアダムであるキリストにも目を向けさせるというのです(p. 121)。ニコルズはブルースに表されているこのような思想を「マイナー・キーの神学」と呼んでいます。もし世の中に短調の音楽が存在せず、すべて長調のものばかりだとしたら、私たちの音楽体験はどんなに貧しいものになっていることでしょうか。

しかし、ブルースの嘆きは単なる絶望のうめきではありません。その奥底には希望のしらべが響いています。コーンは言います:

ブルースの希望は、黒人的経験の歴史的現実に基いている。ブルースは、いつの日か事態は今のようではなくなるという信念を表白している。(中略)ブルースとは生きられた経験、アメリカ社会の諸矛盾との出会い、だがそれによって征服されることへの拒絶を意味している。ブルースが絶望であるというのは、ただそこには現実を隠ぺいしようとする試みがないという意味においてだけである。(『黒人霊歌とブルース』229頁)

ブルース・ミュージシャンたちはしばしば、自分たちが置かれている悲惨な境遇から逃れて、遠くへ旅立っていく希望について歌います。たとえばロバート・ジョンソンは「Sweet Home Chicago」で次のように歌います:

Oh, baby don’t you want to go?
Oh, baby don’t you want to go?
Back to the land of California
To my sweet home Chicago

ああベイビー、行きたくないかい
ああベイビー、行きたくはないか
カリフォルニアの地へ
懐かしのわが家、シカゴへ帰ろうよ

ここで、奇妙なことにジョンソンは”Back to the land of California”「カリフォルニア」帰ろうと歌っていますが、これは次の行の「シカゴへ帰ろう」という文句とつじつまが合いません。カリフォルニアとシカゴは明らかに全く別の場所ですので、カリフォルニアに帰ると同時にシカゴに帰ることはできません。これはアメリカの地理を知らない南部の黒人であるジョンソンが混乱して歌っているのでしょうか?おそらくそのような理由からでしょう、エリック・クラプトンら他のミュージシャンはここの歌詞を”Back from the land of California”と変えて歌うことがあります。これなら、「カリフォルニアからシカゴのわが家へ帰ろう」という内容になり、一応の筋は通ります。

けれども、私はジョンソンは地理的な思い違いからではなく、意図的にあのような歌詞にしたのではないかと考えています。つまり、この歌におけるカリフォルニアやシカゴは実在の場所を示すのではなく、人種差別的なジム・クロウ法の支配するミシシッピ・デルタで白人からの抑圧にあえいでいるジョンソンたち黒人にとっての理想郷(天国、神の国)を表す暗喩ではないかと思うのです。実際、北のシカゴと西のカリフォルニアは、南部から逃れていく黒人たちの移住先として人気のある場所でした。つまり彼は「(地獄のようなミシシッピから)カリフォルニアへ、シカゴへ帰ろう」と歌っているのです。これを「カリフォルニアからシカゴへ帰ろう」としてしまうと、どちらの場所も卑近な地上的存在へと引き戻されてしまうばかりか、南部に生きるジョンソンの生活の座から遊離した、まったく薄っぺらな歌になってしまいます。

それはともかくとして、ブルースには希望があります。それは多くの場合世俗的な表現で歌われ、神や聖書といった内容は出てきません。にもかかわらず、それはこの世界を超えたところからの救いを求める魂の叫びを内包しています。霊歌がしばしば彼岸的な救いの希望を歌うのに対して、ブルースはこの地上が変革されることを求めます。ブルースはしばしば社会的不正を糾弾し、白人からの抑圧にプロテストします。ブルースは神の国が今この地上に訪れることを待ち望む音楽なのです。ゲイリー・バーネットは『The Gospel According to the Blues』の中で、N・T・ライトらを援用しつつ、地の変革が福音の本質に含まれていることにふれ、ブルースにはその希望が含まれていると論じています。

ブルース・ミュージシャンたちとキリスト教との関係は複雑です。彼らの多くは幼少時代に教会で信仰を培われた体験を持っていますが、その後は教会から離れたり、教会と世俗音楽の世界を往ったり来たりした者もいます。彼らが経験していた苦難に対して、当時の教会は満足する答えを与えることができなかったのです。そこで彼らはブルースを通して、答えを得ようとしました。ブルースもまた、必ずしも彼らの疑問に答えたわけではありません。彼らは答えが得られなくても、問い続けたのです。しかし、教会から離れた者たちも、必ずしも神から離れたわけではありませんでした。ブルースは人生の真実を歌うものであり、そこには教会の中で語られることのない真実も含まれていました。そして、すべての真実は神の真実です。サン・ハウスはブルース・ミュージシャンになるか説教者になるか迷ったあげく、前者を選びましたが、それでも神について歌い続けました。

そんな中、ブルース・ミュージシャンとして生きながら、その音楽を通して信仰をはっきりと表現していった人々もいました。ブラインド・ウィリー・ジョンソンは生涯ギター弾き語りの伝道者として歩み、世俗的なブルースは一切録音しませんでしたが、驚異的なスライド・ギターのテクニックを駆使した彼の音楽スタイルだけでなく、人生もブルースそのものでした。幼少期に視力を失った彼は貧苦にあえぎ、晩年には住んでいた家が全焼し、その廃墟に暮らしているうちに病死したといいます。ジョンソンの「主よ、私は泣かずにいられません(Lord, I Just Can’t Keep from Crying)」という歌は、彼の心からの叫びだったのでしょう。

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ブラインド・ウィリー・ジョンソン

ジョンソンの「Dark Was the Night, Cold Was the Ground」という曲は、1977年に打ち上げられたヴォイジャー探査機に搭載されたレコードにバッハやベートーヴェンとともに収録されたほど高い評価を受けている歌ですが、それは「Dark was the night, cold was the ground / on which my Lord was laid.(夜は暗く、私の主が横たえられた地面は冷たかった)」という歌詞を持つ讃美歌に基づいたもので、キリストの死についての曲です。ジョンソンが歌ったイエスは、「悲しみの人」(イザヤ53章3節)でした。

しかし、マイナー・キーの神学は絶望では終わりません。夜の後には朝が、苦しい一週間の労働の後には日曜日が、十字架の後には復活がやってくるのです。ニコルズは、「ブルースは、日曜日が来ることを待ち望みつつ、土曜日の夜に歌う会衆である」と言います(Getting the Blues, p. 171)。ブルースは土曜の夜の音楽です。キリストは金曜日に十字架につけられました。そしてよみがえりの日曜日はまだ来ていません。けれども夜明けは確実にやってきます。ブルースは冷たい墓に横たわるキリストとともに、暗闇の中であけぼのを待ち望む音楽です。十字架の苦しみを経験した者だけが、すべての望みが失われたかに見える闇夜を過ごした者だけが、復活の喜びを本当に味わうことができるのでしょう。ブルースという音楽は、そんなことを考えさせてくれます。

悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。(マタイ5章4節)