神の愛を呼吸する祈り

グレッグ・ボイドの著書をシリーズで紹介中ですが、彼のReKnewというミニストリーのサイトで、「不安になった時のための祈り」が紹介されています(元記事はこちら)。これは彼の著書Present Perfectから取られたものです(pp. 69-71)。ボイドはこれを「祈りの訓練prayer exercise」と呼んでいます。これは特に不安を抱えているときだけでなく、日常的に祈るにも良い祈りだと思いますので、要約して紹介します。

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あなたにとって究極的に大切なのは、今この瞬間に神の愛に浸りきることだけであることを覚える。神が人となり、十字架の上でいのちを捨ててくださった完全な愛が今、あなたを包み込んでいることに意識を集中する。

このことは、あなたが過去に達成したことにも、将来達成することにもよらないことを覚える。それは、神がどのようなお方であるか、そしてカルバリーによって定義されたあなたがどういう存在であるかによるのである。この完全な愛には始まりも終わりもなく、脅かされることも、揺るがされることもない。息を吸うとき、神の愛なる臨在とそれに伴うすべての真理を吸い込むことをイメージする。

神の愛を吸い込むとともに、それ以外のすべてのものを吐き出す。神が私のすべての必要を満たしてくださることに信頼する。自分の財産、業績、名声、人間関係等、自分を価値ある存在とするために神以外に頼ろうとする、すべてのものを手放す。

神の臨在の中に憩いながら、今自分が吐き出したものが、昇る太陽の光の中で朝靄が消えていくように、神の変わることのない愛の中で消え去るのを見る

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この祈りを実践すると、不安が軽減されたり、なくなっていることに気づくかもしれません。私も実際に何回か祈ってみましたが、この祈りのポイントは「今この瞬間」ということだと思いました。大多数のクリスチャンは、自分は神に愛されている存在だということは、少なくとも理論上は受け入れています。ただ、そのような神の愛は過去(それは二千年前にイエスが十字架にかかられた時かも知れませんし、自分がキリストを受け入れた「新生体験」の時かもしれません)か未来(新天新地における復活のいのち、あるいは死後の「天国」)の体験に留まり、今現在、ここにいる自分が、そのままで神に愛され、受け入れられ、喜ばれていることは、意外と意識することが少ないのではないかと思います。けれどもボイドは、神の愛が私たちの人生の各瞬間におけるいのちの唯一の源泉となるなら、私たちは過去を悔いることも、将来に対して不安になることもないと言います。いま現在において私たちは満たされ、神に信頼を置いているからです。

これは、単なる自己暗示や心理的トリックではないと思います。私たちはこの世の価値観や思考パターンから解放され、心の一新によって変えられる必要がある、とパウロも教えています(ローマ12章2節)。十字架上のイエス・キリストにおいて啓示された神の愛、そしてそれによって定義される自分の真のアイデンティティを、単なる知的な神学知識ではなく、自分のものとして一瞬一瞬意識しながら生きていくことは、キリストの似姿に変えられていく霊的形成の重要なステップであり、不安から解放されるのはその結果に過ぎないのだと思います。ですから、不安を取りのぞくための単なる霊的「テクニック」としてではなく、このような祈りを日常的に行っていくことは、私たちの霊的成長のためにとても有益なことであると思います。

連載中の「確かさという名の偶像」シリーズでも書いているように(たとえば 14 15)、クリスチャン信仰のポイントは、過去にキリストを信じ受け入れた経験よりも、むしろキリストとの人格的契約関係にあって、今現在どのようにキリストに献身して生きていくか、ということにあります。クリスチャン(教会)は、終末におけるキリストとの婚姻を待ち望む「婚約者」です。キリストの再臨までの「婚約期間」、フィアンセであるキリストの愛を日々実感しながら歩むことができるかどうかは、信仰生活のクオリティを大きく左右する問題だと思います。その意味で、このような祈りの訓練は重要な「花嫁修業」と言うことができるかもしれません。