確かさという名の偶像(1)

私が個人的に最も敬愛する現代の神学者の一人はグレゴリー(グレッグ)・ボイドGregory A. Boyd博士です。ボイド師はミネソタ大学、イェール大学とプリンストン神学校に学び、以前は米国ミネソタ州セント・ポールにあるベテル大学で神学の教鞭をとっていました。同地にあるWoodland Hills Churchの創立者・主任牧師であり、私たち家族がセント・ポールに住んでいた時には同教会の礼拝に出席し、ボイド師と個人的にお交わりする機会も与えられました。私の知るボイド師は大変気さくな温かい人物で、イエス・キリストへの愛と福音宣教の情熱にあふれた素晴らしい信仰者であり、そして非常に有能な神学者でもあります。

DSC_1840-003(Photo from ReKnew)

ボイド師には専門的な神学書から一般向けの書籍まで多数の著作があり、その主題も多岐にわたっていますが、彼の神学は日本ではまったくと言っていいほど知られていないのが現状です。そこでこのブログを通して、少しでも日本にボイド神学を紹介できたらと考えています。

その手始めとして、今回のシリーズでは、ボイド師が2013年に出版したBenefit of the Doubt: Breaking the Idol of Certainty(『疑うことの益:確実性という偶像を打ち砕く』)という本の紹介という体裁を取りながら、真に聖書的な信仰のあり方とは何かということについて考えていきたいと思います。

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同書の内容については次回からくわしく見ていきますが、その前にお断りしておくことがあります。読者の中には、これから紹介していく師の神学について違和感や拒絶感を持つ方が出てくるかもしれません。けれども、自分が慣れ親しんできた神学やものの見方と異なる意見を条件反射的に拒絶するのではなく、ひとまず先入観を捨てて相手の主張に耳を傾け、はたしてそれが筋道の通ったものであるかどうかを考えてみることは、とても大切なことであると思います(このことについては過去記事をご覧ください)。結果的にボイド師の意見に同意するかしないかは重要な問題ではありません。また、師の神学のある部分には同意できるけれども、別の部分は受け入れられないということも当然あると思います。私自身、すべての点においてボイド師と同意見であるということはありませんし、それはどんな神学者に対してもまずありえないことです。今回のシリーズが、読者の方々の神学的思索を深め、自らの信仰のあり方を問い直し、異なる立場の信仰者との実りある対話を育んでいく一助となればと願っています。

最後に少しだけ本書の主題に触れて、次回への橋渡しとします。題名から推測されるように、本書の主題は「信仰と疑いの関係」です。多くのクリスチャンは「疑いは信仰の敵である」と考えています。「強い信仰を持つ」ことは「疑いを持たない」ことと同義であると思われています。しかし、ボイド師によると、このような信仰理解は聖書的なものではないどころか、さまざまな弊害を持っているのです。これはあるクリスチャンにとってはかなりショッキングな主張であるかもしれません。ボイド師はなぜそう主張するのでしょうか?次回からその内容をくわしく見て行きたいと思います。

(続く)