戦争と神学者(5)

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前回までの投稿では、戦前日本の軍国主義イデオロギーを体現したかのような「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」(以下「書翰」。全文はこちら)とカール・バルトの神学の関係を見てきました。そこでは、当時日本で絶大な影響のあったバルト神学が天皇制イデオロギーと強引に結びつけられている姿を見ることができます。ここで生じるのは、明治以来ドイツ神学の影響を大いに受けてきた日本のキリスト教会において、なぜドイツの教会闘争に当たるような運動が出て来なかったのか、という疑問です。これにはいくつかの理由が考えられます。

一つは日独のキリスト教会がそれぞれの社会の中で置かれていた立場の違いです。古屋安雄氏(『日本の神学』)は、ドイツ教会闘争は国家と余りにも癒着した教会をどうただしていくか、という教会内の問題であったのに対し、日本の場合はマイノリティのキリスト教会、しかも敵国であるアメリカ系の教会がいかに弾圧から身を守るか、ということが問題であったと述べています。

次に、日本教会がそもそもナショナリズム的傾向を持っていたことが挙げられます。金田隆一氏(『昭和日本基督教会史』)によると、それは日本キリスト者自身が有していた「内なる天皇制」ともよべる精神構造です。古屋氏は、書翰はもちろん、当時の国家情勢の中でやむにやまれず書かれた文章ではあるが、それでも日本教会が以前から持っていたナショナリズム、また英米のキリスト教に対する批判がこの戦争を契機に顔を出したものではないかと述べています。

たとえば教団統理富田満は1943年2月1日に高知教会において行った講演の中で、米国が日本にキリスト教を植え付けたのは帝国主義の手先としてであったと述べ遺憾の意を表すると共に、教団創立と共に日本のキリスト教は「現在は何処の国の世話になることもなく純粋な日本キリスト教として信仰上日本のものとなつたのである。・・・我々は何処々々迄も日本人たる自覚を前提としてキリスト教を信仰し倫理道徳を通じ天皇陛下に帰一し奉るべきである」と述べました。

さらに、日本人の思想的特質ということも考えなければなりません。大塩清之助氏は丸山真男の『日本の思想』に依拠しながら、日本教会の体質的な弱さの原因を、異質なものを平然と結合する日本人の「精神的雑居性」に求めています:

日本のキリスト教は、「精神的雑居性の原理的否認」(イエスのみが主である!!)を要請する真理を奉じつつも、日本に対して「それを執拗に迫る」ことをせず、むしろ「この風土と妥協させる」ことによってかろうじて自己を保存して来たのだと言わざるをえない(少なくとも敗戦までは)。(大塩清之助「教会の罪の告白―日本キリスト教団の戦争責任をめぐって」『福音と世界』1967年1月号、22頁。強調は原文。)

そして大塩氏は続けて、このような精神的雑居性を偶像礼拝性と言い換え、「戦争責任の罪は、このような日本的体質を持ったわれわれが、その偶像礼拝の罪を真に心から悔い改めることをせず、イエスのみが主であるとの福音の絶対性に服従できなかった罪である」というのです。

このような「精神的雑居性」はキリスト教とナショナリズムの融合を容易にします。佐藤敏夫氏も丸山の同書に言及しつつ、過去と正面から対決することなく、新しいものを取り入れるため、キリスト教の受容が上滑りなものになってしまったと論じています。危機が訪れると、沈潜していたナショナリズムが顔を出してくるのです(古屋安雄他『日本神学史』)。

以上のポイントは互いに関連しあっています。日本においてキリスト教は常に米英という「敵国の宗教」と見なされがちであったため、教会はそのような疑惑を常に打ち消す必要に迫られていきました。それは裏を返せば、国家への歩み寄りという誘惑に常にさらされていたということです。このことと、明治以来の教会が持っていたナショナリズムの流れが合わさったとき、「日本的キリスト教」運動につながっていきました。そして日本人の「精神的雑居性」は、そのような、論理的には困難と思えるキリスト教とナショナリズムの融合をよりいっそう容易にしたと想像できるのです。

さて、書翰に表れているような日本の神学の問題には、以上の理由のほかに、神学的な理由もあるように思われます。それは偶像礼拝のとらえ方に関する日独教会の違いです。バルメン宣言やドイツ教会闘争において見られるような信仰の戦いはアジアの各国でも見られました。しかし、同様の戦いは戦前の日本教会では、美濃ミッションのようなごく一部の例外を除いて見られませんでした。その大きな理由の一つは、明治以来の日本キリスト教会が持っていた、偶像礼拝に対する批判的態度の弱さであったと考えられます。

「唯一の真の神以外の存在を神としない」という十戒の第一戒(出エジプト20:3)こそ、ドイツ教会闘争で告白教会を支えた神学的バックボーンだったのであり、バルトや、同じくナチズムに抵抗したボンヘッファーといった神学者は繰り返し第一戒の重要性を強調していました 。バルメン宣言でもそれをキリスト論的に言い換えた形で、イエス・キリストこそが唯一の、すべての主であることが宣言されています。キリストのみがすべての主であり、国家であれ人間であれ、キリスト以外の存在がその座に座ることは許されないというのです。しかし書翰においてはまさにこのキリストの主権性がないがしろにされています。ボンヘッファーはヒトラー暗殺の陰謀に加わったかどで逮捕され、終戦の直前に処刑されましたが、1944年に獄中で書いた「十戒の第一の板」と題する文章の中で、「日本のキリスト者の大部分は、最近、国家の皇帝礼拝に参加することが許されていると宣言した」ことに触れ、これを批判しています 。

松村重雄氏は教団では伝統的に贖罪信仰の強調が見られる反面、キリストの贖罪が個人の罪の赦しという内面の領域に限定され、キリストは教会の主、世界の主、全被造物の主であるという面が強調されてこなかった点に、戦前の教会が天皇制国家に追従してしまった原因の一端を見ています(「バルメン宣言と日本基督教団信仰告白」『福音と世界』2005年5月号、22頁) 。

このように、日本の教会が犯した最大の罪というのは、戦争協力というよりはむしろ、天皇を現人神としてキリストと同列いやその上に置いてしまった、偶像礼拝の罪であると言わなければなりません。と言うよりも、キリストの絶対的主権性という点において妥協し、国家に屈従した教会が、侵略戦争への積極的加担という道に突き進んでいったのは必然であったと言えるのです。律法の中で一番大切な戒めは何かと訊ねられたイエスは、神を愛することと、隣人を愛することの二つをもって答えられました(マルコ12:28-31)。この二つは表裏一体であり、切り離すことができないのです。真の意味で隣人を愛するには、まことの神を神として愛し礼拝することが必要不可欠です。この点で妥協をした教会によって作成された書翰がまさにこの隣人愛の教えを逆用して、その対極に位置する戦争への協力を呼びかけた事実は重大であるといえます。

もうひとつ注目しなければならない問題点は、日本教会がアジアの諸教会に対して持った傲慢の罪です。書翰はくりかえし、国体に基づく日本精神の土壌の上に成立した「日本国自生のキリスト教」の卓越性を宣伝しています。そして、この日本的キリスト教こそが世界を救うのだといいます。書翰で言われているアジア諸国の一致は決して日本と他の国々の対等の関係によるものではなく、あくまで盟主としての日本に他国が追従するというものであって、そのような関係はキリスト教においても前提とされています。

つまり、ここで起こっていたことは、ただ単に日本基督教団が当時の国家権力に妥協し屈従させられているというだけではありません。それと同時に教団は、日本政府と同じ側に立って、アジア諸国のキリスト教会に対して自らの優越性を誇示しているのです。つまりそこには、偶像礼拝の罪と並んで高慢の罪があったと言わなければならないのです。これは今日の日本キリスト教会全体の課題でもあると思われます 。

次回最終回では、これまでの内容を総括し、戦争と神学、そして神学者の関係について考察したいと思います。

(続く)

戦争と神学者(4)

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前回は、「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」(以下「書翰」。全文はこちら)における、カール・バルトの神学の影響について考察しました。書翰にはバルトからの著作の引喩が多く含まれ、彼の神学からの影響を随所に見ることができます。それでは、当のバルト自身の戦争との関わりはどのようなものだったのでしょうか?

1933年にアドルフ・ヒトラーが政権を奪取すると、キリスト教会の統制をもすすめていきました。ナチスに迎合する国粋主義的・民族主義的なキリスト者たちによる「ドイツ的キリスト者信仰運動」は力をつけていき、ヒトラーの下での教会の一元化を目指していきました。彼らはユダヤ人の公職からの追放を定めた「アーリア条項」を教会にも導入することを求めていきます。

Berlin, Luthertag

「ドイツ的キリスト者」の集会(Wikimedia Commonsより)

1933年11月13日、ベルリン体育館において、ドイツ的キリスト者の全国大会が二万の参加者を集めて開かれました。この中で急進派のラインホルト・クラウゼは「ナチスの党旗を打ち振る熱狂的な聴衆にこたえて長広舌をふるい、国家社会主義の精神を基盤とする宗教改革の成就に協力できない牧師の追放、あらゆる非ドイツ的なものを礼拝と信仰告白、なかんずく旧約聖書から削除すること、東洋的な歪曲からの福音の解放、民族と種の論理に適合するキリスト教の根底としての英雄的なイエス像の建設を提唱して、満場の熱狂的な拍手を浴びた」 といいます(森平太『服従と抵抗への道―ボンヘッファーの生涯』 [新教出版社、1964年] 、99頁)。この描写は日本における「皇紀二千六百年大会」を彷彿させます。

このような動きに反対するキリスト者たちは1934年5月バルメンにおいて「告白教会」を形成し、その神学的指針として「バルメン宣言」と後に呼ばれる宣言を行いました。バルトはこの宣言の起草者であり、彼はこの後も告白教会の理論的指導者であり続けたのです。

この宣言は六つのテーゼからなりますが、その土台となる中心的告白(第一テーゼ)では、キリストのみが唯一の主であること、第二テーゼでは、このキリストの支配領域に含まれない領域はないことが告白されます。ここでは偶像礼拝を禁じた十戒の第一戒の重要性が再確認されています。第三テーゼでは教会の使命について、第四テーゼでは教会の職位について、第五テーゼでは教会と国家との関係について、第六テーゼでは教会への委託について語られていきます 。この「バルメン宣言」が教会と国家との関係という問題に関して、書翰と対極に位置するのはいうまでもありません。バルトはその後ヒトラーへの忠誠宣誓を拒否して、1934年にボン大学教授の職を奪われます。そして翌年スイスに追放されると、国外から教会闘争を援助していくことになるのです。

1938年に書かれた「義認と法」においてもバルトは「国家そのものが、根源的・究極的にイエス・キリストに属している」と述べています。バルトはすべての国家が悪であるとは言っていませんが、国家が「デーモン化」つまり自己を絶対化することがいつでも起こりうるということに対して警鐘を鳴らしています。そしてそのような場合に教会が受けるべき栄光は、書翰が力説しているような「宗教報国」ではなく、「キリストに従うことによって受ける苦しみ」であるといいます 。「義認と法」には他にも次のような内容が見られます:

hypotassesthai(従う)ということは、決して教会とその肢々が、国家権力の意図と企てを、それが義認の宣教を護ろうとする代りに禁じようとする場合にも、自ら肯定し、自発的にそれを促進するということを、決して意味しえない。(カール・バルト「義認と法」『世界思想教養全集21 現代キリスト教の思想』井上良雄訳 [河出書房新社、1963年] 、201-202頁)

もし国家に対する誓約が、全体的誓約(トタリテーツァイト)として(すなわち、事実上或る神人という意味と力を持っている名前に対して義務を負わせるものとして)、したがって神の御言葉の自由を脅かす国家権力に対する積極的な順応を意味する場合、そしてそのことによってキリスト者にとっては、教会と教会の主に対する裏切りを意味する場合には、そのような国家に対する誓約は、(国家に対する尊敬の故にこそ)なされることは可能である。(同上、206-207頁。強調は原文)

ここにも書翰とは180度異なる神学が見られます。このような内容を当時の日本のキリスト者は知らなかったのでしょうか?驚くべき事に、実は知っていたのです。バルトの「義認と法」は日本のキリスト者の一部で熱心に学ばれ、部分的には一般に紹介されました 。書翰の中心的作者と考えられる山本和もこの論文を深い感動を持って熟読したと戦後語っています。

日本の神学者たちはバルトのナチスへの抵抗運動、またドイツ教会闘争について、当初からかなり詳しい情報を持っていたことが分かっています。その中には、バルメン宣言についての情報、バルトのボン大学追放とバーゼルへの赴任、スイスに追われたバルトが継続した反ナチ闘争についての情報も含まれていました。これらの情報を桑田秀延、熊野義孝、福田正俊らの神学者、牧師たちが精力的に紹介していったのです 。また、エーゴン・ヘッセル宣教師は1931年に来日してバルト神学の紹介に努めていましたが、ナチスによって東アジア・ミッションから解任されて後は、「在日ドイツ告白教会の《在外牧師兼日本宣教師》」として宣教活動を続けました 。

このようにバルトや告白教会についての情報は入ってきてはいたものの、それが日本の神学界に実質的な影響を及ぼすには至りませんでした。バルト神学は、日本においては「屈折」した受容のされ方をしていくのです 。

書翰の選考委員であった熊野義孝は当時の日本の代表的な神学者であり、バルト神学を早くから日本に積極的に紹介した神学者の一人です。彼は1932年に『弁証法的神学概論』を著していますが、すでに1926年の時点でバルトに関する論文を書いています(『福音新報』掲載の「神と世界との限界―カール・バルトの神学に就いて」) 。熊野はバルトの神学をどう受けとめたのでしょうか。熊野の神学一般に対する見解は、現実的政治的情況における神学と、思想としての神学を区別するもので、神学と社会との関わりについては重要視しないというものでした。バルトに関しても同様だったのです 。

またもう一人の代表的バルト主義者松谷義範は日独の国情の違いを理由に、日本の神学者は「バルトの政治的運命と彼の神学とを(中略)区別して学ぶべきものを学び、我らが日本といふ特殊な国に置かれていることを考えつつバルトの神学を考究する」ようになったと書いています (宮田光雄『国家と宗教―ローマ書十三章解釈史=影響史の研究』 [岩波書店、2010年] 、419頁より引用)。

このような傾向に対して、すでに1934年の段階で、植村環が「神学の危機」と題する一文をもって警告を発しています。ここで植村は日本のキリスト教会において「西欧諸国の学説は盛んに輸入らせるけれども活きた宗教運動としてそれが発展して来ない」ことを嘆じ、特にバルト神学の受容について、「今現にバルトの思想の研究家を以て任ずる人々でも、果たしてバルトの如く、基督を生命として信仰の中心に置き、之に生きつゝある経験を発見し、世を覚醒せしめつゝあるものがあるであらうか。研究は研究、自己の生活は生活と言ふのでは心細い」と批判し、「今や我が国神学の危機である」と結論づけています (『福音新報』1934年3月8日号)。

1934年の時点でこうであれば、その後政治統制が強まる一方の日本におけるバルト受容については推して知るべしです。こうして原誠氏が言われるように、「日本の戦時下においてバルト神学は、沈黙の神学、すなわち一方的な絶対的な啓示による救済の神学として、いわば後退のための、沈黙のための神学となった」のです 。これは、日本においてバルト神学が圧倒的な人気を博した理由がまさにその「徹底性(Radikalität)」にあったことを考えると 、実に皮肉なことと言わざるをえません。バルト神学の徹底性は、日本においてはあくまでも神学理論上のそれに留まり、実践の領域において貫徹されることはなかったのです。

このような日本における自らの神学の受容について、バルト本人はどう思っていたのでしょうか。彼は1940年9月に、ヘッセルに宛てて書かれた手紙の中で、最近松谷から日本語への翻訳許可を求められた彼の著作リストの中には、政治問題に関する論文が一切含まれていないと言うことに苦言を呈しています 。さらに戦後になっても、『福音主義神学入門』日本語版への序(1962年)においてバルトは、北森嘉蔵『神の痛みの神学』の「日本的キリスト教」を批判しています。彼は「神学者の思考がある種の国民的特性を有する」ということを認めつつ、北森が「日本的な固有性を持ちながら、『日本的』ではなくて、福音主義的であり、聖書に根ざし、世界教会的に妥当するようなひとつの神学を目ざ」すことを期待しています 。ここで彼は勿論、ドイツにおける「ドイツ的キリスト教」の試みの失敗のことを念頭に置いて言っているのです。

このように、書翰に表れているような「バルト神学」とバルト本人の立場とは全く相容れないものであることが分かります。次回はなぜこのようなバルト神学の「変質」が起きたのか、日本における神学の問題点を考察します。

(続く)

戦争と神学者(3)

前回は、「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」(以下「書翰」。全文はこちら)の内容を概観しました。今回は、神学という視点から本書翰を考察してみたいと思います。その中で特に、スイスの改革派神学者カール・バルト(1886-1968)の神学が本書翰に及ぼした「影響」について考えます。ここで「影響」と「」をつけているのは、それが本当の意味でバルトの真意・神学を正しく受けとめたものか、疑問があるからです。

Karl Barth

カール・バルト

バルトの神学は1925年頃から日本に紹介され始め、1930年代以降にその影響は決定的なものとなり、多くの神学者がバルトの影響を受けたのみならず、西田幾多郎、三木清、和辻哲郎といったキリスト教会外の思想家たちにまで注目されるに至りました。そもそも日本の教会はドイツ神学の影響を多く受け、戦後の若い神学者たちによって日本神学の「ゲルマン捕囚」からの解放が叫ばれるほどでしたが 、その中でもひときわ大きな影響力を及ぼしたのがバルトだったのです。

ここで特にバルトに注目する理由は、今述べたような、日本神学界における彼の絶大な影響力のためばかりではなく、書翰の中にバルト神学の影響が濃厚に表れているからです。実際、書翰の文章の随所にバルトの著作からの借用、ないしバルト的表現が見出され、特に1928年に出た『ピリピ書注解』への引喩が目を引きます。ちなみに同書の訳者は書翰の二等入賞者であり、日本における熱烈なバルト主義者であった山本和(かのう)です。そして問題は、そのようなバルトの神学が天皇制賛美と戦争協力の道具として用いられたことです。

シリーズ第1回で、本書翰は懸賞募集で当選した複数の候補作をもとに作成された事を述べましたが、具体的に誰の文章がどのように用いられたかについては、今日も謎に包まれています(二等となった鮫島と山本の二人は戦後いずれもこの書翰が自分のものであることを否定しています)。

一條英俊氏は『福音と世界』誌上において、この問題について詳細な検討を行いました(「大東亜書翰と『バルト神学』上」『福音と世界』2005年4月号、「同下」2005年5月号)。以下の考察は同氏の論文に負うところが大です。それによると、書翰の中に山本が後年訳出したバルトの『ピリピ書注解』からの借用と思われる表現が散見されるだけでなく、書翰の内容自体も山本の戦後の著作とも通ずるものがあります。また、書翰の内容は、山本が愛読していた『ピリピ書注解』に、表現だけでなく構成まで類似しているというのです。ここから、一條氏は山本が教団首脳部の指示を受けて、他の入選者の原稿を参考にしつつ書き下ろしたと結論づけています 。その上で書翰には教団首脳部の指示に従って『国体の本義』などから天皇制賛美の内容が補強されて完成されたものとします。書翰の最終版は選考委員の熊野義孝、序文を書いた富田満教団統理、発行責任者である総務局長鈴木浩二ら教団首脳部が関わり、さらに文部省の意向にも神経をとがらせながら作成されたと考えられます 。

それでは、書翰に盛り込まれたというバルトの神学は、国体を護持し大東亜戦争に突入していった当時の日本軍国主義のイデオロギーと適合するものだったのでしょうか。その答えは否です。一條氏は「書翰はバルト神学をダシに使っただけというほかない」と述べています 。バルトの神学が書翰の中でどのように「ダシに使」われているかについての詳細は同氏の論文に譲るとして、ここでは、書翰の根幹をなす二つのテーマについて見てみたいと思います。書翰の中心的メッセージは二つに絞られます。第一は東アジア諸国のキリスト者に対して一致を呼びかけること、第二はそのようにして一致したキリスト者が、天皇の権威の下にあって大東亜共栄圏建設に邁進するよう促すことです。これらの神学的裏付けがバルト神学を援用することによってなされているのです。

第一の一致という主題について、書翰はまず第1章でエペソ書を引きつつ次のように語ります:

「汝ら召されたる召しにかないて歩み、平和の繋ぎ(靭帯)のうちに勉めて御霊の賜う一致を守れ」(エペソ書四・一、三)。兄弟たちよ、われらは牛が力を合わせて犂を牽くように、この強靭なる紐を牽いてゆかなくてはならぬ。

ここで目を引くのは、「平和の繋ぎ」ということばと関連させて牛が力を合わせて犂を牽くイメージが語られていることです。ところがこれとよく似た箇所を、バルトの『ピリピ書注解』に見出すことができます:

幾人もの《たましい(心)》―それはいかにもまさに争い合っている《たましい(心)》にすぎない―が言わば共通の軛の下に繋がれて、いっしょに同じ犂を引かなければならない。これこそ《平和の絆》(エペソ四・三)であり、ちょうど今真剣に争い合って不和になっている心を結合しうる唯一のものなのである。( 『ピリピ書注解』山本和訳 [新教出版社、2003年]、62頁)

ここから、書翰の著者がバルトの『ピリピ書注解』を意識していたことが推測されます。しかも、バルトのこの文章は、ピリピ2章2節の注解の中に見出されるものですが、まさにこの句が書翰の第4章で引用されているのです:

使徒パウロがピリピの教会に勧めているように、われらはキリストの慰めによって呼びかけられている者として同じ愛と同じ思念とを懐き一つとならなければならない。われらは敵性国民らのキリスト教にのみならず、われらの自らの中にも、自己に立ち、己れを高しとし、他を己れに優れりとなしえぬ罪が「唯一つの事」(ピリピ二・二)を念おうと欲せざる人間固有の分裂的遠心作用が働いていることを人間存在の秘奥の底に認めざるをえない 。

「唯一つの事」はギリシア語to autoの訳ですが、文語訳の「思ふことを一つにして」とは異なるユニークな訳です。ところがバルトはピリピ書のこの箇所をまさに「ただ一つの事das Eine」と訳しているのです。書翰はこのようなピリピ2章2節のバルト的解釈を援用して、東アジアのキリスト者に「唯一つの事」を思うようにと呼びかけていますが、そこでの「唯一つの事」とは、「大東亜共栄圏の建設」に他ならないのです。一條氏は、このピリピ書からの引用こそが「バルトと書翰をつなぐ”決定的な絆”」であると述べています。

ところが『ピリピ書注解』で当のバルトは次のように述べています:

ただ一つの事は、いずれにしてもある人間的な、わたしの、あなたの、彼の真理とか義などではない。さらに、交わりの中に統合された人間的諸真理ともろもろの義―それらの間にはさてまあ寛容が支配しなければならぬはずだが―の総体でさえもないであろう。それどころか、後で示されるように、これらの個々人にとって真理と義であるものいっさいの、神的根源が支配すべきである 。(前掲書、61頁。強調は原文)

ここから明らかなように、「大東亜共栄圏の建設」といった人間の政治的理想がパウロのいう「唯一つの事」であるなどとは、バルト本人は到底認めるはずのないものです。書翰はバルトの釈義の一断片を文脈を無視して取り出し、自らの目的のために利用していると言わざるをえません。

次に、なぜ一致団結した東アジアのキリスト者が日本の軍事政策に従わなければならないのかを説いた第2章の冒頭で、書翰はピリピ4章8節「おおよそ真なること、おおよそ尊ぶべきこと、おおよそ正しきこと、おおよそいさぎよきこと、おおよそ愛すべきこと、おおよそよき聞こえあること、いかなる徳、いかなる誉にても汝らこれを念い」を引用します。

書翰の論理は次のような筋道をたどります。この「おおよそ尊ぶべきこと」とは「単に教会の中なる諸徳について言っているのではなく、教会の外の一般社会の中にあるかのごときもの」である。そして「分裂崩壊の前夜にある個人主義西欧文明が未だ一度も識らなかった『おおよそ尊ぶべきもの』が、東洋には残っている」と続け、最終的にはこれは「世界に冠絶せる万邦無比なるわが日本の国体」に他ならない、だから東アジアのキリスト者もこの日本の国体を思念し、尊敬するようにと結論づけるのです。つまり書翰では、パウロのいう、教会外にある「おおよそ尊ぶべきもの」が日本の国体と直結されているのです。

では、ピリピ書のこの箇所に関するバルトの解釈はどうでしょうか。確かに彼はパウロが「ちょうどローマ書一三章が国家に対する尊敬を命じているように、そのようにここでも、すべて人間的に真なるものや善なるものいっさいに対する尊敬を、キリスト者たちに命じている」といいます(152頁) 。ここだけ見ると、バルトの解釈は書翰の主張と一致するか、少なくとも許容しているようにも見えます。一條氏も「この個所の釈義はバルトらしくない。」と書いておられます。一方、訳者である山本はまさにこの部分に注をつけて「バルトを文化否定の危険神学と烙印したのは、昭和初年期の幼稚性、原始素朴な錯覚であった。この神学的釈義に基づいてこそ、日本におけるキリスト教的文化形成が一つの課題となる」と述べているのです(163頁)。

しかしその後の箇所でバルトは、「しかし善についての知識は、ただ善が誡めである場合、しかもその戒めが守られている場合にのみ、神認識である」と警告しているのです(152頁。強調は原文) 。つまり、ここでバルトが言っていることは、この世で尊ばれているものをキリスト者が尊重しつつも、それをよく吟味して、それが神からの誡めに合致する限りにおいてそれを実行せよと言うことです 。ここから、キリスト者が日本の国体とその遂行する侵略戦争を尊び実行するということは、バルト本人の意図から大きく外れたものと言わなければなりません。

たしかにローマ書13章に言及したバルトの文言は、書翰の趣旨に都合の良いように解釈できる余地を残しています。しかし、この『ピリピ書注解』はヒトラーによる政権奪取前の1928年に書かれたものであることを覚えなければなりません。ここでバルトが念頭に置いている国家とはヒトラーのナチスではなくその前のヴァイマール共和国でした 。ナチス時代の1938年に書かれた「義認と法」では、キリスト者の国家に対する服従には限度があることをバルトははっきりと述べているのです。

そもそも神の絶対的主権性を強調するバルトの立場が、書翰の趣旨に適うものでないことは明白です。実際にバルトは同時代のドイツにあって、ヒトラー政権に追従する「ドイツ的キリスト者運動」に対して断固として拒否の姿勢を貫いたのです。次回はバルト本人の戦争との関わりについて見ていきます。

(続く)

戦争と神学者(2)

前回は、「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」(以下「書翰」。全文はこちら)の成立事情について概観しました。今回はその内容を見てみたい と思います。

富田満統理による序文では本書翰が「現代の使徒的書翰」と称され、この後もしばしば同様の書翰を送る計画があることが記されています。

第1章ではまず、日本基督教団という形で「一国一教会」となった日本の教会と、アジア諸地域の教会との連帯が語られます。日本教会とアジアの教会を結ぶ「紐帯」の一つは、英米という「共同の敵」に対する戦いであり、大東亜戦争が米英の植民地主義からアジア諸民族を解放する「大聖戦」であり、「サタンの凶暴に対する一大殲滅戦」であると語られます。そこでは米英のキリスト教会がいかに堕落しているかが語られ、米英に対する日本の戦いは「神の聖なる意志」によるものであるとされていきます。この章で米英のキリスト教はパウロがローマ2:17-22で攻撃している「ユダヤ的キリスト者と同一の型にはまった」ものだとされています 。

(パウロが上の箇所で言及している「ユダヤ人」がはたして「ユダヤ的キリスト者」をさすのか、それともユダヤ人一般を指すのかという釈義上の問題はおくとして、ここで書翰がユダヤ人に対して否定的な視点をもっていることは間違いありません。書翰の末尾近くでは、キリストをさして「かのイスラエル民族によって捨てられ、天地の主なる神によって栄光の中に証示され給える者」といった表現も見られます。これは同盟国であったナチス・ドイツのユダヤ人迫害と関係しているのかもしれません。)

もう一つの「紐帯」は、日本とアジアの教会は共に主イエス・キリストに属する存在だということです。書翰では、主イエスの「己れの如く汝の隣りを愛すべし」という隣人愛の教えを取りあげて、「大東亜共栄圏の理想は、この主の隣人愛の誡めを信仰において聞き、服従の行為によって実践躬行することをわれらに迫る」と主張します。そしてエペソ4:1、3(「汝ら召されたる召しにかないて歩み、平和の繋ぎ[靱帯]のうちに勉めて御霊の賜う一致を守れ」)を引用しつつ、この目的のために一致するよう呼びかけます。

第2章では日本とその国体がいかにすぐれたものであるかが宣伝されますが、「おおよそ真なること、おおよそ尊ぶべきこと、おおよそ正しきこと、おおよそいさぎよきこと、おおよそ愛すべきこと、おおよそよき聞こえあること、いかなる徳、いかなる誉にても汝らこれを念い」(ピリピ4:8)の聖句から、大東亜戦争遂行の理想という「おおよそ尊ぶべきもの」に心をとめるように促します。そして「全世界をまことに指導し救済しうるものは、世界に冠絶せる万邦無比なるわが日本の国体である」と主張します。そしてこの国体の指導の下に新しい政治秩序を東亜に建設することは「神の国をさながらに地上に出現せしめること」であるといいます。この章の文言は日本の国体があたかも神と同一視されているかのような印象を与えます。

第3章で書翰は日本基督教団の成立にふれ、なぜこのような「一国一教会」が生まれる必要があったのかを論じます。それは欧米の宣教師の影響から解放された「日本国自主のキリスト教」を打ち立てる必要性があったからであるといいます。その先駆者として内村鑑三の言葉「世界は畢竟キリスト教によりて救わるるのである。しかも武士道の上に接木せられたるキリスト教に由りて救われるのである」が引用されます。そして日本のキリスト教会の歩みを「キリスト教は日本武士道に接樹され、儒教と仏教とによって最善の地ならしをされた日本精神の土壌に根を下ろし花を開き結実していったのである」と振り返り、その成功が「わが国体の本義と日本精神の美しくして厳しいものが遺憾なく発揚せられた事実」によるものであると誇ります。

日本基督教団の成立はそのような流れのクライマックスとして位置づけられています。そのくだりを少し長いですが引用します:

しかして遂に名実とも日本のキリスト教会を樹立するの日は来た、わが皇紀二千六百年の祝典の盛儀を前にしてわれら日本のキリスト教諸教会諸教派は東都の一角に集い、神と国との前にこれらの諸教派の在来の伝統、慣習、機構、教理一切の差別を払拭し、全く外国宣教師たちの精神的・物質的援助と羈絆から脱却、独立し、諸教派を打って一丸とする一国一教会となりて、世界教会史上先例と類例を見ざる驚異すべき事実が出来したのである。これはただ神の恵みの佑助にのみよるわれらの久しき祈りの聴許であると共に、わが国体の尊厳無比なる基礎に立ち、天業翼賛の皇道倫理を身に体したる日本人キリスト者にして初めてよくなしえたところである。

かかる経過を経て成立したものが、ここに諸君に呼びかけ語っている「日本基督教団」である。その後教団統理者は、畏くも宮中に参内、賜謁の恩典に浴するという破格の光栄に与り、教団の一同は大御心の有難さに感泣し、一意宗教報国の熱意に燃え、大御心の万分の一にも応え奉ろうと深く決意したのである 。

ここでは1940年の全国信徒大会と翌年の教団創立が振り返られていますが、ここから書翰がこれら一連の動きをどう位置づけていたかが分かります。すなわち、日本人キリスト者のよって立つ基礎が日本の「国体」にあること、また教団の存在目的が「宗教報国」にあることが明言されています。「一国一教会」としての日本基督教団の成立は、このような認識と目的意識の下になされたものでした。

たしかにこの章は日本からさらに範囲を拡げて「大東亜のキリスト教」を樹立する必要についても述べられていますが、この章の大部分は「日本キリスト教」の自画自賛で占められており、またここで設立を目指されている大東亜共栄圏そのものが実質的には日本帝国による支配ということを意味するのであれば、この「大東亜のキリスト教」が意味するものは結局日本的キリスト教のアジア諸国への押しつけと見ても良いでしょう。

この章の末尾には、「一国一教会」の統一達成の一環として、「在来の諸学校が教団立神学校として統一され」たことが報告されていますが、この短い箇所には神学教育にまで政府の統制が及んでいた事実が示唆されています。

最終章である第4章では、再びピリピ書に言及しつつ、アジアのキリスト者に対してもう一度一致を呼びかけ、「隣人愛の高き誡命の中にあの福音を聞き信じつつ大東亜共栄圏の建設という地上における次の目標に全人を挙げ全力を尽さなければならぬ」と語り、「汝らキリスト・イエスのよき兵卒としてわれらと共に苦難を忍べ」(2テモテ2:3)の聖句をもって書翰を閉じています。つまり、結局のところ、アジアにおけるキリスト者が一致してなさなければならぬ働きとは、大東亜戦争の遂行ということなのでした。

以上が書翰の内容ですが、これは募集要項の指針に正確に沿ったものであることが分かります。ここでは日本の天皇制イデオロギーと戦争の遂行を神学的に正当化しようとする試みが見られます。宮田光雄氏はこれについて次のように述べています:

この「共栄圏書翰」が出された時点では、日本軍占領下の各地では、当初抱かれた《解放軍》への期待はすでに破れ、過酷な占領軍政にたいする民衆的抵抗運動が活発化し始めていたことが知られている。「書翰」の疑似使徒的勧告は、そうした民族主義的な独立への動きにたいして、教団がキリスト教的宣撫工作の一翼を担うにいたったことを暴露するものである 。(『国家と宗教―ローマ書十三章解釈史=影響史の研究』、476頁)

ここに、1940年の皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会におけるプロテスタント教会諸教派の合同という決議に基づき、翌年成立した日本基督教団が戦時中に到達した一つの姿を見ることができるのです。

次回は、特に神学的視点からこの書翰の内容を考察してみたいと思います。

(続く)

戦争と神学者(1)

今年2015年は太平洋戦争終結70年目の節目の年にあたりますので、戦争と神学の問題について書いてみようと漠然と思っていました。そんな中で、最近ネット上で戦時中に書かれた一つの文書が相次いで取り上げられました(ここここここ)。「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」がそれです。この書翰については以前から関心がありましたので、これについて何回かに分けて書いていきたいと思います。

日本のキリスト教会の戦争責任については繰り返し議論されてきましたが、神学者の戦争責任、あるいは、戦争において日本の神学が果たした役割については、比較的注目されることが少ないのではないかと思われます。時として、神学という理論的な営みは価値中立的なものであって、政治や社会の動向とは無関係な、純粋に客観的なものであると思われることがありますが、実際には神学はその神学者が生きている時代や社会の影響を完全に逃れることはできません。このシリーズでは、戦時中の日本の神学者が、日本政府の軍国主義的政策、またそのイデオロギーに対してどのように対応していったかについて見ていくことにします。

そこで中心的に取り上げていこうと思うのが、冒頭にも述べた「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」(以下「書翰」と略記します)です。これは1944年復活祭に発行されたもので、その全文はインターネット上に公開されており、こちらで読むことができます。

なお、このシリーズでは書翰をめぐる歴史的状況を扱う関係上、日本基督教団についての記述が大きなウエイトを占めていきますが、私の目的は特定の教団を批判することにあるのではなく、ましてや戦時中の日本基督教団と現在の同教団を同一視するものでもなく、この書翰に典型的に表わされている問題を日本のキリスト教会全体の問題として共有し、その将来の歩みのために役立てていこうとするものであることを予めお断りしておきます。

書翰の歴史的背景

最初に、この書翰の成立事情について簡単に振り返ってみたいと思います。まず、書翰の差出人である日本基督教団は1941年6月24 日に、日本国内のプロテスタント34教派が合同して誕生しました。これは、宗教団体への統制を強めていった日本政府の意向を受けての設立であり、その前年の1940年10月17日に「皇紀二千六百年」を記念して行われた全国信徒大会での決議に基づくものでした。

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皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会

創立総会では、教団に属するキリスト者の第一の務めは「皇国」に忠誠を尽くすことであると宣誓され、翌年1942年1月には、初代統理富田満は伊勢神宮に参拝して、天皇家の祖神とされるアマテラスに教団の設立を報告しました 。つまり、日本基督教団の成立過程は、天皇制イデオロギーとナショナリズムの影響を色濃く反映したものであることが分かります。

次に、書簡の受取人とされるキリスト者たちが住むとされた「大東亜共栄圏」ですが、これは、東アジア・東南アジアの諸国が日本を盟主として団結し、欧米列強の植民地支配から脱し、共に助け合って発展していくという、新しい世界秩序の理想を表した言葉です。

「大東亜共栄圏」という言葉が初めて公の場で用いられたのは、1940年8月の松岡外相の談話で、日満支を中心に仏印、蘭印その他を含む自給自足圏を指す言葉として用いられたのが最初であるとされています。真珠湾攻撃の4日後にあたる1941年12月12日の閣議によって、この度の戦争を「大東亜新秩序建設を目的とする戦争」という意味で「大東亜戦争」と呼ぶことが決定されましたが、最初から明確な概念があってそのために戦争をしたわけではありませんでした 。その理想の中に、建前としては「東亜諸民族の独立」という内容が盛り込まれていくことになります。

1943年11月5-6日に東京において「大東亜会議」が開かれ、そこで「大東亜共同宣言」が調印・発表されました。この会議には中華民国、タイ、満州、フィリピン、ビルマ、インドの代表が出席しました。この宣言の中では、大東亜戦争の原因は米英の「飽くなき侵略搾取」にあるとし、大東亜を「米英の桎梏より解放すること」を戦争の目的として規定されています 。書翰の内容がこの線に沿ったものであることをこの後確認していきます。

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大東亜会議に参加した各国首脳

書翰の成立過程

太平洋戦争の戦況が次第に悪化して行く中、1943年5月17日付で、教団の全教会に宛てて懸賞募集が行われました。『教団時報』昭和18年6月15日号に掲載された募集広告は次の通りです(強調は引用者):

御稜威の下、皇軍将士の赫々たる武勲の裡に、大東亜共栄圏の確立しつつあるは、我等の最も感激又感謝に堪へざる所である。これと共に現地の人々に我日本の立場を理解せしむる事の極めて重要なるは勿論にして、我々日本基督教徒は進んでこの重大任務を荷ふべきである。就ては、我々日本基督教徒は、今度共栄圏内の基督教徒に向つて懇篤なる書翰を寄せたい。乃ち先づ我日本の国体の尊厳無比なる所以を説き、日本の大東亜共栄に関する理想抱負を明かにし、次いで日本基督教の確立、日本基督教団の成立を報ずると共に、信望愛を同じうする基督教徒として、共栄圏内の基督教徒に対して慰安、奨励提携の衷情を吐露する書翰を送らねばならぬ。茲に大方の応募を求むる次第である 。

賞金は一等1,000円、二等500円と、当時としてはかなりの高額であり、本書翰にかける教団指導部の意気込みが伝わってきます。そして「当選書翰は、冨田教団統理者の序文を附し、支那語、比島語、マライ語その他に翻訳し、成る丈速かに大東亜共栄圏内の基督教界各方面へ普及される予定である」とされました 。

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書翰の募集広告

この募集広告文からすると、この書翰の目的は東アジア諸国のキリスト者に対し、日本が遂行していた戦争に対する理解と協力を求めることであったことが分かります。そしてそのために、日本の国体(天皇を中心とした国のあり方)に基づいた「日本基督教」およびその具現化である「日本基督教団」の成立を伝え、キリスト者としての一致を求めようとするものでした。

また、亀徳正臣は『日本基督教新報』6月3日号に「現代の使徒的書翰」と題する一文を寄せていますが、それによると本書翰は「どこまでも『尊厳無比なる』国体に生まれた日本キリスト教独自の深さと高さと広さを東亜のキリスト者に伝えて、米英的虚偽なキリスト教の誤謬を訂正する宗教改革的意義」を持つものでなければならないといいます。

このような募集に対して75篇の応募があり、選考の結果入選者は次のように決定し、10月28日付で発表されました。一等該当者なし、二等(2名)鮫島盛隆(関西学院宗教主事)、山本和(日本女子神学校)、以下三等3名、選外佳作5名です。入賞者決定(1943年10月)から半年後に、教団の「公同的使徒的」書翰として1944年復活祭の日付で作成、一部は実際に送付されました。書翰の奥付によると、印刷されたのは昭和19年11月15日、発行は同20日です 。この書翰が中国、韓半島、台湾に送られたことは確実視されていますが、その他の地方に、募集広告にあるようにフィリピン語、マレー語などに訳されて送付されたかどうかは疑わしいです 。韓国においては、投獄・追放された牧師以外の、当局に順応した教職者のみに届けられましたが、翌年すぐに終戦を迎えたため、書翰が送られた事実を明らかにすることを好まない者も多く、その存在を知る者は少なかったといいます 。

次回は書翰の内容を概観してみたいと思います。

(続く)

聖書の歴史的コンテクスト

私は神学校で聖書解釈学を教えていますが、学生たちに口を酸っぱくして教えていることは、「聖書解釈はコンテクストがいのちである」ということです。

「コンテクスト」という言葉は「文脈」「前後関係」などと訳されますが、聖書のテクストはその置かれている具体的な文脈の中で解釈してはじめてその意味を正確に理解できるということです。聖書解釈におけるコンテクストには大きく分けて二種類あります。

一つは「文学的コンテクスト」と呼ばれるもので、これは聖書のテクストそれ自体の文脈、すなわち、当該箇所の前後に何が書いてあるか、ということです。(この場合の「文学的」という表現には「フィクション」というニュアンスは含まれません。)たとえば聖書の中には、「神はない」という言葉が出てきますが、だからといって聖書が神の存在を否定しているわけではありません。この言葉はその前後関係、

愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない。(詩篇14篇1節)

という文学的コンテクストに照らして、初めてその意図を十分に受け止めることができるのです。

さて、聖書のコンテクストにはもう一つ、「歴史的コンテクスト」と呼ばれるものがあります。これは「歴史的背景」と言ってもよいですが、特定の聖書のテキストが書かれた歴史的な状況を指します。 聖書は歴史的真空状態の中で書かれたものではありません。聖書記者は聖書を書く時に、読者が当時の歴史的・文化的状況をある程度知っていることを前提として書いていることが多いのです。したがって、現代の読者がその箇所を読んでも、歴史的背景を知らないとそのメッセージをとらえ損なうことがあります。逆に、その書かれた当時の歴史的・文化的状況を知ることは当該箇所の正確な理解を助けることになります。このように、解釈しようとする箇所の歴史的コンテクストを調べることは、聖書解釈の基本的なステップの一つです。

ある時私は聖書解釈学の授業で、いつものように歴史的コンテクストの重要性を教えていました。すると一人の神学生が手を挙げて、次のような質問をしたのです。

「聖書の歴史的コンテクストを調べなければならないということは、聖書のどこに書かれているのですか?」

この質問を受けて私は一瞬答に詰まってしまいました。ある聖書テクストの歴史的コンテキストは、普通は当然ながらそのテクスト自体には含まれません。また、聖書の著者とその最初の読者とは、同じ時代と文化の中に生きていることが多いので、そのような歴史的コンテクストは両者の間ですで共有されており、わざわざ言及する必要はなかったと思われます。つまり、聖書のオリジナルの読者は、聖書を正しく理解するために、今日の聖書学者のようにその歴史的コンテクストを意識的に調査する必要はあまりなかったのです。

一方で、このような質問がなされた意図も分からないことはありませんでした。聖書を信仰と実践の最終的権威と告白する福音主義的キリスト教の立場からすれば、聖書解釈という営みの具体的な方法論(この場合は歴史的コンテクストの再構成)の有効性もまた、聖書に基いて吟味されるべきだ、という考えがあったとしても理解できます。つまりこの学生には、聖書の歴史的コンテクストを調べるという作業は、聖書の外から持ち込まれた異質なものであると感じられたのかもしれません。

非常に興味深い質問だと思いましたので、この問題についてじっくりと考えてみることにしました。その中で見つけたのが次の箇所です。

1 さて、パリサイ人と、ある律法学者たちとが、エルサレムからきて、イエスのもとに集まった。 2  そして弟子たちのうちに、不浄な手、すなわち洗わない手で、パンを食べている者があるのを見た。 3  もともと、パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人の言伝えをかたく守って、念入りに手を洗ってからでないと、食事をしない。 4  また市場から帰ったときには、身を清めてからでないと、食事をせず、なおそのほかにも、杯、鉢、銅器を洗うことなど、昔から受けついでかたく守っている事が、たくさんあった。 5  そこで、パリサイ人と律法学者たちとは、イエスに尋ねた、「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言伝えに従って歩まないで、不浄な手でパンを食べるのですか」。(マルコ7章1-5節)

このエピソードでは、イエスの弟子たちが手を洗わないで食事をしているのをパリサイ人が批判しています。ここで注意したいのは、太字で示した3節と4節の部分は、福音書の著者であるマルコ自身が挿入した説明文だということです。話の筋自体はこの部分がなくても、2節から5節にスムーズにつながります。おそらくマルコが福音書を書く際に利用した資料では、そのようになっていたのでしょう。しかし、この説明部分があることによって、読者にはイエスとパリサイ人との論争が単なる衛生上の問題についてのものではなく、当時のユダヤで食前に行われていた儀式的な浄めの洗いの妥当性について行われた宗教的な性格のものだということが明らかになるのです。

もちろん、そのような説明は、当時のユダヤ社会の宗教的慣習をよく知る者には不要だったかもしれません。しかし、ユダヤの宗教文化に不案内な読者は、なぜ食前に手を洗わないことをパリサイ人が問題にしたのか、またそれに対してなぜイエスが「人間の言伝え」を守っているとパリサイ人を批判したのか(8節)理解しにくかったと思われます。そして、マルコはまさにそのような、パレスチナのユダヤ教文化をよく知らない異邦人読者を主な対象として福音書を書いていたからこそ、このような説明文を挿入したのだと思われます。

このことは、新約時代に既に、キリスト教のメッセージを異文化の人々に正確に伝えるためには、その歴史的コンテクストを説明しなければならないと初代教会の人々が意識していたことを意味しています。このような例はこの箇所だけでなく他にも見出すことができます(たとえばヨハネ4章9節など)。

しかし、聖書の歴史的背景は、このように聖書テクスト自体の中でわざわざ説明されることはむしろ稀です。上述したように、聖書はもともと書かれた当時の人々が読むことを想定して書かれていますので、当時の人々が常識的に知っている内容は書く必要がなかったからです。けれども現代の私たちが聖書を読む時には、そのような知識を共有していないため、意識的に当時の背景を調べていく必要があります。その際には、聖書以外の資料(注解書等)を活用する必要も出てきます。

保守的なクリスチャンの中には、聖書を読む時に聖書以外の参考資料を用いたり、歴史的背景を調べたりする作業を否定する人々も存在します。「聖書だけを開いて素直に読めば、その意味は自ずと明らかになる」というわけです。しかし、聖書のメッセージを正しく理解するために、必要に応じてテクスト自体に含まれない背景情報も活用するべきであるということは、聖書自体が示唆しているのです。

天の玉座の間の祈り

前回の投稿では、黙示録4-5章に描かれている、天の御座の幻の箇所をテキストにしておこなった礼拝説教をご紹介しました。宇宙の中心は天の神殿にある神の御座であり、その周りでは天使たちまた全被造物が常に神とキリストを礼拝しています。そして、私たちが地上で捧げる礼拝は、その天における礼拝に参加することだという内容でした。

N・T・ライトの著書Simply Christian(近く邦訳が出るそうです)に礼拝について書かれた章があります。ライトは礼拝において聖書ナラティヴの全体を語ることの重要性を述べていますが、そのナラティヴの重要な要素は「創造」と「救済」の二つであると述べています。これはまさに黙示録の4章(創造者なる父への礼拝)と5章(救済者なるキリストへの礼拝)の内容に対応しています。実際、ライトは黙示録のこの2章について詳しく説明した後、こう述べています。

これこそ礼拝の意味に他なりません。それは、おのれの創造者と小羊イエスの勝利を知る被造物から、造り主なる神と救い主なる神に向けて捧げられる喜びの賛美の叫びなのです。これこそ天、すなわち神の次元において常に進行中の礼拝なのです。私たちが問うべきは、どのようにしたらその礼拝に最善の形で参加することができるのか、ということです。(原書146-47頁、拙訳)

この後ライトはさらに教会の礼拝のあるべき姿について論じた後、この章の最後で、礼拝は教会だけでなく個人や小グループでもなされるべきと書いています。つまり、私たちは教会での公の礼拝においてだけでなく、個人や家族といった場での祈りや礼拝においても、天における礼拝に参加することができるのです。今回はこのことについて書いてみたいと思います。

前回の投稿では含めませんでしたが、先日の礼拝説教では、最後に会衆一同で祈りの時を持ちました。その時にしたことは、黙示録4-5章に出てくる、天の会衆の賛美の言葉(4章8節、11節、5章9-10節、12節、13節)を声に出して全員で朗読・告白することでした。地上における私たちの礼拝が天における礼拝に参加することであるなら、これらの聖句をもって祈ることは聖書的で理にかなっていると思われます。その時の礼拝では会衆が聖霊によって一つにされているだけでなく、全被造物による礼拝に参加しているという聖書の約束を実感することができ、たいへん祝福された時を持つことができました。

実は、4-5章から抜き出した賛美の言葉をもって祈るということは、その少し前から個人的な祈りの中でも実践していることでした。一般的に聖書の言葉を用いて祈るということはとても有益な祈りの方法ですが、この祈りは、ライトの言う「創造」と「救済」という聖書ナラティヴの二大要素を含んでおり、天と地の接点としてのクリスチャンの位置づけを日常の信仰生活の中で確認することができる点で、個人的に大変有効であると実感していますので、以下にお分かちしたいと思います。

ここにご紹介するのは、私が個人的に用いている祈りのパターンです。私はこれを勝手に「天の玉座の間の祈り The Heavenly Throne Room Prayer」と呼んでいます。この祈りの中心となるのはもちろん、黙示録から抜き出した聖句を告白して祈ることですが、これらの聖句を祈る時に助けとなると思われる、黙想のヒントとなるポイントもいくつか挙げています。重要なのは、この祈りを通して天の玉座の間でなされている礼拝に参加していることを意識することです。言うまでもないことですが、ここに書かれた通りに祈らなければならないということは全くありませんし、私自身毎回祈る度に少しずつパターンが変わっています。拙い祈りですが、もし有益と思われる方がおられたら、自由にアレンジして用いていただければ感謝です。

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<天の玉座の間の祈り The Heavenly Throne Room Prayer>(黙示録4-5章)

1.準備:天の礼拝への参加
・聖霊の導きを祈る(4章2節)。霊とまことによって礼拝する真の礼拝者としていただくことを求める(ヨハネ4章23-24節)。
・日常の悩みや思い煩いを地上に残して、天に昇る様を想像する(4章1節)。特にとりなしたい人々がいる場合は、彼らと共に天に昇る様を思い描く。
・宇宙の中心にある、天の神殿の玉座の間を想像し、御座に着いておられる神と、その周りで主を賛美し礼拝する天使たちを思い浮かべる。(4章2-8節)
・ここで賛美歌を歌ってもよい。

2.造り主なる神(御父)への賛美

聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者。(4章8節)

われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります。(4章11節)

・ここでは特に次のポイントについて思い巡らす:
  -神の聖さ
  -神の永遠性
  -神の主権
  -神による万物の創造(過去)と保持(現在)
  -終末における神の到来(「後に来られる方」)
・御座におられる神の前に冠を投げ出し、ひれ伏して礼拝する思いをもって祈る(4章10節)。自分に与えられているすべての賜物や名誉、リソース等はすべて神から与えられたものであることを思い起こし、すべての栄光を神にお返しする。
・自分(また特にとりなしたい人々)も、神の御心によって造られ支えられていることを感謝する。
・黙示録ではこれらの賛美が絶え間なく繰り返されていた(4章8-9節)とあるので、私たちも全体を、あるいは心にとまった部分を好きなだけ繰り返してよい。あせらず、ゆっくりと、時間をかけて祈り、賛美する。導きを感じたら次に進む。以下同様。

3.救い主なるイエス・キリスト(御子)への賛美

あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう。(5章9-10節)

ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい。(5章12節)

・黙想のポイント:
  -ほふられたと見える小羊が神の御座の右にあるイメージ
  -キリストの十字架と復活の「新しさ」を思う。キリストのみわざによって終末の新しい時代が始まったことについて思い巡らす(2コリント5章17節参照)。
  -終末に至る歴史の展開を導くキリストの主権(巻き物の封印を解く)
  -キリストがすべての民族から神のために人々をあがなわれたこと
  -神の民の王国また祭司としてのつとめ(「地上を治める」)
・自分(また特にとりなしたい人々)も、キリストによって贖われ、王国また祭司とされたことを感謝する。
・小羊への7重の賛美(12節)は「あらゆる賛美」を意味するので、これら以外にも様々な言葉で賛美してよい。

4.三位一体の神への賛美

御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように。(5章13節)

・御座におられる神とその右におられるキリストだけでなく、御座の前におられる聖霊(4章5節)も含めた三位一体を思い浮かべる。聖霊も父と子と共にあがめられる方(ニカイア・コンスタンティノポリス信条参照)。
・黙想のポイント:
  -王としての神の栄光
  -神の国の永遠性
  -全被造物の礼拝(5章13節前半)

5.地上への帰還

・天上の玉座の間を離れ、地上に戻る様を想像する。
・自分(また特にとりなしたい人々)が神によって創造され、生かされ、キリストの血によって贖われ、神の王国また祭司として地を治めるために遣わされていることを確認する。(5章10節)
・今日の自分の生活を通し、教会を通して、天と地がつながり、天の支配が地上に表されるように祈る。
・主の祈りで締めくくってもよい。

天と地の礼拝

所属教会で礼拝説教のご奉仕をさせていただきましたので、若干修正を施したテキストをここにアップしたいと思います。通常、ここまで長いテキストは何回かに分けて投稿しますが、礼拝説教という性格を考慮して、1回の投稿にまとめました。

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「天と地の礼拝」

さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。 (黙示録5章11-14節)

聖書の中にはいろいろと素晴らしい箇所がありますが、個人的に黙示録4-5章(天の御座の場面)は聖書全巻の中で最も美しい箇所の一つだと思っています。黙示録の記者ヨハネは御霊の感動を受けて、天の幻を見せられます。彼は天に引き上げられ、そこに何があるか、何が起こっているかを見るのです。

4章の冒頭を見ますと、ヨハネがまず目にしたのは、一つの御座と、そこに着いておられる方、すなわち神ご自身でした(4章2節)。神の御座は王座であり、神が御座に着座された方として描かれているのは、王としての権威と力を表しています。

ヨハネは紀元1世紀の終わり頃に黙示録を書きましたが、当時彼が生きていたローマ帝国では、世界の中心はローマであり、そこにある王座に着いている皇帝が世界を支配する存在であると考えられていました。これに対してヨハネは、神が全宇宙を支配されるお方であり、その御座が宇宙の中心だと言います。これは黙示録のみならず、聖書全巻を貫く基本的な世界観です。黙示録が書かれた時代にはエルサレムの神殿は存在しませんでした。紀元70年にローマ軍によって破壊されたからです。けれども、ヨハネの幻において天の神殿は無傷のまま存在しており、そこでは神ご自身が全宇宙を統べ治めておられます。地上のエルサレムにある神殿は、天にある神殿のコピーに過ぎないのです。

それからヨハネは、御座の周りに何があるかを描いていきます。細かい描写を省略して述べますと、御座のすぐ周りには4つの生き物がおり、その周りに24人の長老たちがいました。これらは神に仕える高位の天使たちを表していると思われます。これらの存在が何者なのか、また、それぞれの特徴ある姿は何を表しているのか、いろいろな解釈がありますが、それよりも重要なのは、彼らが何をしているかということです。

4章8-11節には、この4つの生き物と24人の長老は昼も夜も絶え間なく神を賛美し礼拝している、と書かれています。天の御座の周りでは、天使たちが一日24時間、一日も休まず神を礼拝し賛美しているのです。イザヤ書の6章にも同様の箇所があり、そこではセラフィムと呼ばれる天使が御座の周りを飛び交いながら主を賛美していたとあります。イザヤの時代も、ヨハネの時代も、そして今この瞬間も、天では絶え間ない礼拝が捧げられているのです。

ここで重要な事があります。黙示録というと、遠い未来のことを書いた本というイメージがありますが、黙示録の記述のすべてが未来について書かれているわけではありません。この4-5章はヨハネの時代に起こっただけでなく、現在も天において起こっている出来事を描いている、ということを覚えていただきたいと思います。

さて、天使たちは何と言って神を賛美しているのでしょうか?4章8節では四つの生き物が「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」と言い、11節では24人の長老が「われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります」と言っています。これらのことばから総合すると、神は聖なる方、永遠に生きておられる方、万物を創造し、今も支配しておられる方であり、栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方であると言うことです。4章では全体として、創造者としての神が賛美されています。聖書の神は天地万物を造り、今もそれを支えておられる神です。この方に向かって長老たちは「われらの主なる神よ」と叫ぶのです。このような素晴らしい神を「われらの神」と呼ぶことができるのは、何という特権でしょうか。私たちの賛美と礼拝も、この天における礼拝にならうものになりたいと思います。

しかし不思議なことに、この光景を見たヨハネはあまり嬉しそうではありません。5章4節で彼は激しく泣いています。なぜでしょうか?彼は天に昇って、そこで世界の王である神の栄光を見、このお方に対して天使たちが絶え間なく賛美と礼拝をささげている姿を見ました。それは確かに素晴らしい光景でした。しかし、彼が知っている地上の現実はそのような栄光溢れる世界とはかけ離れていたのです。

ヨハネが主から啓示を受けた時、彼がどのような境遇にあったかは、1章9節に書かれています。

あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。

当時ローマ帝国の中でクリスチャンは急速に増えていきましたが、同時に迫害も起こっていました。ヨハネもイエス・キリストについてのあかしのゆえに、エーゲ海に浮かぶパトモスという島に流刑になっていたのです。

ヨハネも仲間のクリスチャンとともにイエス・キリストを主と信じて従っていたのですが、万物の支配者である王なる神を信じていても、現実は何も変わらない、いや時代が進むとともにもっと悪くなっているように見えたのです。どうしてそのようなことがあり得るのでしょうか?なぜまことの神を信じるクリスチャンたちがこれほどまでに苦しまなければならないのでしょうか?ヨハネはそのような信仰の葛藤を抱えていたかもしれません。しかしそのような中で彼は天に引き上げられ、神の御座の幻を見たのです。

どんなに厚い雲が地上を覆い、雨や雪が降っていても、飛行機でその上まで昇ると、上空ではいつも太陽が輝いています。それと同じように、地上の状況はどのように悲惨であっても、天では神の栄光が常に讃えられています。これはある意味では慰めですが、その慰めは完全なものではありません。確かに天においては神の栄光ある支配はつねに完全に表されていますが、地上では未だそうなっていないからです。つまり神の国の支配は、今現在は完全に地上にまでは及んでいないのです。このような天と地が分断された状態はいつまで続くのでしょうか?

その答えは5章で与えられます。そこでは天の幻に新しい展開が起こります。ヨハネは王座に着いておられる神の右手に一本の巻き物があるのを見ます。この巻き物には、世界の歴史に対する神のご計画が述べられています。その内容は一言で言うと、神がすべての悪の力に勝利し、天においても地においてもご自分の支配を完全に確立されるということです。しかし、そのご計画はまだ成就されていません。巻き物が封印されているということは、神の御心が地になされることがとどめられている状態を表しています。だからヨハネは4節で激しく泣いているのです。

しかし、その時ヨハネに天使が語りかけます。「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」(5節)その言葉の通りに、ほふられた小羊キリストが登場し、神の手から、封印された巻き物を手渡されます。小羊が巻き物の封印を解くということは、キリストが歴史に対する神のご計画を成就させることを表しています。ここでヨハネは、彼独特の表現でキリスト教の「福音(良い知らせ)」の本質を語っています。「ほふられたとみえる小羊」(6節)と言う表現は明らかに十字架上のキリストの死と、それに続く復活を表しています。それは私たち一人ひとりの罪のゆるしのためばかりでなく(1章5節)、世界の歴史が新しい時代を迎えるためでもあったのです。

その結果何が起こったでしょうか?先ほどの4つの生き物と24人の長老たちが今度は小羊の前でひれ伏して礼拝して言います。

彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。 (5章9-10節)

神の国の支配が天だけでなく地にも及ぶということは、どのようにしてなされるのでしょうか?それは小羊キリストの血によって贖われた人々、すなわちクリスチャンが「御国の民」(直訳は「王国」)となり「祭司」となって「地上を支配する」ことを通してなのです(1章6節参照)。

このように見てくると、聖書にある私たちの希望は、ただ単に神の栄光が天であがめられていて、地上の苦しい人生が終わればそのような素晴らしい場所、天国に行けるということではないと分かります。そうではなく、その希望とは、天における神のご支配がやがてこの地の上にも及ぶ時が来て、私たち教会もその働きに参加させていただくことができる、ということなのです。

5章の終わりでは、小羊への賛美が天と地に拡がり、満ちあふれる様が描かれています。

さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。 (5章11-14節)

いまや小羊を賛美し礼拝しているのは4つの生き物と24人の長老たちだけではなく、数え切れないほどの御使い、また宇宙に住むすべての被造物が礼拝の輪に加わります。すべての被造物が創造者なる神と主なるキリストをほめたたえるというのは、旧約以来聖書が語ってきたビジョンでしたが(詩篇150篇6節、ピリピ2章10-11節)、今そのことが成就しているのをヨハネは見ます。ヨハネが見た幻のクライマックスは、天地に満ちるすべての被造物が父なる神とイエス・キリストを声を合わせて賛美し礼拝する、という壮大な光景だったのです。

さて、これまで見てきたことは、私たちの信仰生活とどう関係しているのでしょうか?この地上の人生においては、私たちは多くの苦難があり、信仰の激しい戦いを経験しています。しかしその最中で、主を信じる者たちがともに集まって、造り主である神と救い主イエス・キリストを賛美し礼拝する時、私たちは天における天使たちの礼拝、天地のあらゆる被造物たちの礼拝に参加しているのです。繰り返しますが、ヨハネが見た天の御座の周りでの礼拝の光景は、遠い未来に起こるできごとではありません。今この瞬間にも天の御座には父なる神が着座しておられ、その右には主イエスがおられます。そして天使たちがその周りで主を礼拝しているのです。その様子を心の中で想像してみてください。黙示録1章10節では、ヨハネが復活の主からの啓示を受けたのは「主の日」すなわち日曜日、主を礼拝する日であったとあります。彼がパトモス島で流刑仲間のクリスチャンと一緒に細々と礼拝を守っていた時、彼らは孤独ではなく、全宇宙の被造物とともに主を礼拝しているということが分かったのです。現代の私たちも同じように、天の礼拝に参加する特権が与えられているのです。

しかし、先ほども述べましたように、今現在、天と地は完全につながっているわけではありません。まるで厚い黒雲が上空を覆っているかのように、天においてどれほど神の栄光が表され、天使たちが美しい礼拝を捧げていたとしても、地上では依然として暗闇と悪の力が猛威をふるっているように見えます。そのような世界の中で、私たちはどのようにして天の礼拝に参加することができるのでしょうか?

ここでヨハネの福音書の4章を開いてみましょう。サマリヤの地を訪れたイエスは、井戸端で出会った一人のサマリヤ人の女性と会話を始めます。その中で女性はイエスに一つの神学的な問いを投げかけます。

女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。 (ヨハネ4章19-20節)。

サマリヤ人はイスラエルの北王国がアッシリヤに滅ぼされた後、その地に残った住民と外から移住してきた異民族との混血によって生まれてきた民族だと考えられています。彼らはモーセ五書、しかも彼ら独自の編集がなされたものしか聖書として認めず、サマリヤにあったゲリジム山に彼ら独自の神殿を建てて礼拝を行っていました。その神殿はこのエピソードの100年以上前に、ヨハネ・ヒルカノスというユダヤ人の支配者によって破壊されましたが、サマリヤ人たちは依然としてゲリジム山を正統的な礼拝の場所として主張していたのです。

そこで、サマリヤの女性はイエスに、ゲリジム山とエルサレムと、どちらの場所で神を礼拝することが正しいのか、と問いかけるのです。これに対してイエスは次のように答えます。

イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。 (21-24節)

「礼拝場所としてふさわしいのはゲリジム山ですか、エルサレムですか?」という女性の問いかけに対して、イエスはどちらともお答えになりません。そうではなく、「霊とまこととをもって父を礼拝する」ことが重要だと言われます。そのように礼拝を行う人々が「まことの礼拝をする者たち」だというのです。

ところで、「霊とまこととをもって礼拝する」とはどういう意味でしょうか?これはただ単に「真心をこめて礼拝する」という意味ではありません。原文のギリシア語にあるプネウマという言葉は「霊」とも「御霊」すなわち聖霊とも理解することができ、さらに、文法的にはここでの「霊」と「まこと(真理)」は同じ存在を指していると考えることができますので、この箇所は「真理である聖霊において礼拝する」とも訳すことができます。ヨハネの福音書16章13節で、イエスは真理の御霊を送られると語られました。また、黙示録4章2節でも、ヨハネは「御霊に感じ」て天に引き上げられ、そこで行われている礼拝に参加したことを思い起こしましょう。

別の角度から見ると、ここでサマリヤの女性が尋ねているのは、「神を礼拝すべき真の神殿はどこですか?」ということだとも言えます。聖書の中で、神殿とは神と人が出会う場所、天と地が交錯する場所です。ゲリジム山の神殿はユダヤ人によって破壊され、エルサレムの神殿もこのできごとから数十年後にローマ人によって破壊されることになりますので、ヨハネが福音書を書いている1世紀末の時点ではどちらの神殿も存在していませんでした。では人が神に出会うことのできるまことの神殿とはどこにあるのでしょうか?ヨハネの答えは「イエス・キリストご自身が真の神殿である」というものです。

ヨハネの福音書では様々な形で、イエスがエルサレムの神殿に代わる存在として描かれています。2章では神殿でものを売り買いする人々を追い出された、いわゆる「宮きよめ」のできごとの後、ユダヤ人たちに対してイエスは「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」(19節)と言われました。これに対してヨハネは、これはイエスの復活のことをさして言われたのだと解説しています(21節)。つまり、ヨハネの福音書においては、真の神殿とはイエス・キリストご自身を指しているのです。実際、黙示録21章22節では、世の終わりに天から下ってくる新しいエルサレムにおいて、神とキリストご自身が神殿であると語られています。

ここまでをまとめますと、霊とまこととをもって礼拝する真の礼拝者とは、イエス・キリストという神殿において父なる神を礼拝する人々です。そして、キリストという神殿において礼拝するとは、真理の御霊に導かれて礼拝するということであると言えます。ちなみに、パウロも同じことを少し違う表現で書いています。彼は教会を神殿にたとえていますが(1コリント3章16節)、教会とは聖霊によってキリストのからだに組み入れられた人々の共同体にほかならないのです(1コリント12章13節)。

さて、ヨハネ4章23節でイエスはこの女性に対して、人々が霊とまこととをもって父を礼拝する真の礼拝が行われる時が来る、いやもう今来ている、と言われました。このような礼拝は昔からいつもあったわけではなく、歴史上のある時点から、すなわちイエスが来られ、十字架と復活のできごとがなされて初めて可能になったのです。

ここで、黙示録の天の玉座の間の幻に戻りましょう。

彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。 (5章9-10節)

ここで天使たちが「新しい歌」を歌った、と書かれています。これは天国で作曲された賛美歌の最新作という意味ではありません。歴史の中で決定的に新しいことが起こり、新しい時代が始まった、そのことを歌った歌という意味です。言うまでもなくそれは、小羊であるキリストがほふられてよみがえったできごとを指しています。

つまり、黙示録における「新しい」できごとが始まった「時」と、ヨハネの福音書において真の礼拝が始まるとされる「時」は同じ時、イエス・キリストの時を指しているのです。さらにここではキリストのみわざによって贖われた人々、つまりクリスチャンは、御国の民であると同時に「祭司」でもある、とあります。言うまでもなく、祭司の務めは神殿において神を礼拝することです。その神殿とはイエス・キリストご自身にほかならないのです。

ここで、天において神の御座の前で行われている礼拝と、地上で私たちが捧げる礼拝がどのように結びついているかが明らかになりました。世界中どこにいても、またどのような教派に属していたとしても、どんな人数で、あるいはどんな環境で礼拝を持っていたとしても、私たちが真理の御霊によって神を礼拝する時に、私たちはイエス・キリストというまことの神殿において父なる神を礼拝するまことの礼拝者となることができるのです。

世界には、公に礼拝式を行うことができず、個人の家で隠れるようにして細々と礼拝を守っている人々もいます。中には、同じ場所に集まって礼拝ができず、インターネットを通して礼拝を守っているような群もあります。けれども、すべての礼拝は、それが霊とまこととをもってなされるなら、天において神の御座の周りで絶えず主を賛美している天使たちの礼拝とつながっているのです。私たちの捧げる礼拝が、どんなに少人数であっても、みすぼらしい建物や迫害の中で捧げられるものであっても、私たちは孤独ではありません。聖霊に導かれ、イエス・キリストにあって神を賛美し礼拝する時に、私たちはいつでも世界大、いや宇宙大の聖なる公同の教会の礼拝、永遠に途絶えることのない礼拝の会衆の一部となっているのです。だから私たちの賛美や礼拝が無駄になることは決してありません。そして、私たちがそのようにして礼拝していく時、天と地がつながり、この地に神の国が表されていくことになるのです。そのことを信じて、今日も霊とまこととをもって主を礼拝していきましょう。

聖書(ジョージ・ハーバート)

長いシリーズが続いたので、軽めの短い記事もアップしていきたいと思います。

ジョージ・ハーバート(George Herbert, 1593年4月3日 – 1633年3月1日)はイングランドの詩人で、信仰にあふれた詩を多数残しています。今日はその中でも特に私の好きな詩を紹介します。

The Holy Scriptures II.

O that I knew how all thy lights combine,
  And the configurations of their glory!
  Seeing not only how each verse doth shine,
But all the constellations of the story.
This verse marks that, and both do make a motion
  Unto a third, that ten leaves off doth lie:
  Then as dispersed herbs do watch a potion,
These three make up some Christian’s destiny:
Such are thy secrets, which my life makes good,
  And comments on thee: for in ev’rything
  Thy words do find me out, and parallels bring,
And in another make me understood.
  Stars are poor books, and oftentimes do miss:
  This book of stars lights to eternal bliss.

 

聖書 II

おお、そなたのすべての光がどのように結び合っているのか、
  また、それらの栄光の配列が、私に判ればよいのだが!
  そなたの各節がいかに輝いているのかをのみでなく、
物語(はなし)が織りなす星座をも みな見究めながら。
この一節があの一節に目を留める、次にこれら二節が 十頁も離れた
  もう一節に 合図を送る。
  それから、ばらばらの薬草が互いに結び合って一服の良薬を目指すごとく、
これら三節は あるキリスト者の運命(すくい)を つくり上げる。
まさにこの通りだ そなたの不思議は。その真実を 私の生が立証し、
  そなたに註解をほどこすわけだ。そなたの言葉は
  万事(すべて)のうちに私を見つけ、対比を持ち出し、
他のものにより 私が理解されるようにもしてくれるのだから。
  星辰は哀れな書、しばしば誤つ。ところが
  きら星のこの書は 永劫の至福への道を 過たず照らし出す。

            (鬼塚敬一訳『ジョージ・ハーバート詩集』より)

 
私が特に好きなのは、「そなたの各節がいかに輝いているのかをのみでなく、/物語(はなし)が織りなす星座をも みな見究めながら。」の部分です。ハーバートが個別の聖句の内容だけでなく、全体的な物語(ナラティヴ)のうちに聖書の素晴らしさを見出していたことが分かります。

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黙示録における「福音」(8)

(このシリーズの先頭はこちら

黙示録において「福音」ということばが登場する2箇所のうち、前回は10章7節について見ました。今回はもう一つの箇所について考えていきたいと思います。

わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるeuangelizōために、永遠の福音euangelionをたずさえてきて、大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。(黙示録14章6-7節)

この天使のメッセージは、神の差し迫った裁きについて警告し、創造者である神を礼拝するようにという呼びかけです。地の住人に対する神の裁きの宣言が「福音(良い知らせ)」というのは奇妙に思えるかもしれません。これはどう考えたらよいのでしょうか?

まず、この「福音」は神がすべてを支配する王となられたことを表します(11章15-18節)。「本当は政治的なクリスマス物語」でも指摘したように、「福音」と言う言葉はローマ皇帝の支配についても使われた言葉です。黙示録において天使が宣べ伝えるのが永遠の福音であるというのは、皇帝が主張する現世的な「福音」との対比が意図されているのかもしれません。

しかし、唯一の神が全世界の王となられたということは、全ての人々がこの神を礼拝すべきであるという主張を含みます。これは異教徒に対する宣教のことばに他ならないのです。このシリーズで何度も紹介したリチャード・ボウカムは、14章6節の「地上に住む者」と13章8節の「地に住む者」、14章6節の「あらゆる国民、部族、国語、民族」と13章7節の「すべての部族、民族、国語、国民」が対応していることを指摘しています。13章で獣(反キリスト)が全世界の人々を支配していることが語られた後に、14章でその同じ人々に「永遠の福音」が語られているのは意味深いことです。続く15章からは、神の最終的な裁き(7つの鉢の災害)が始まりますが、その前の時点でこの福音が全人類に宣べ伝えられるということは、マタイ福音書24章14節(「そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。」)ともつながります。

14章の冒頭では、シオンの山に立っている小羊と、14万4千人の人々が登場します。小羊が「立って」いる姿勢、また14万4千人が「女にふれたことのない者」であるという記述は、軍事的なニュアンスがあります(古代の聖戦においては性交渉に伴う祭儀的穢れから兵士が遠ざかることが求められていました)。つまりこれはキリストと彼に従う軍隊としての教会を表しています。彼らは何のために戦うのでしょうか?それは獣の支配下に置かれている人々を、その支配から解放する戦いにほかならないのです。

さらに ボウカムによれば、14章6節の「永遠の福音」は詩篇96篇2節後半の「日ごとにその救を宣べ伝えよ」から取られています。この詩篇は全体として、造り主である主の支配と、やがて来る裁きを歌い、国々に主をほめたたえるよう呼びかける内容になっていますが、これはヨハネの「永遠の福音」の内容と重なると考えて良いでしょう。ボウカムは著書の中でこう書いています。

したがって、永遠の福音とは詩篇96篇自体に含まれる呼びかけ、すなわち、やがて来られて世界を裁き、その普遍的な支配を打ち立てる唯一の真の神を礼拝するようにとのすべての国々への呼びかけである。

つまり、14章6-7節で天使が告げ知らせるメッセージは、取り消すことのできない裁きの一方的宣言ではなく、悔い改めて唯一の創造神に立ち返るようにとの呼びかけに他ならないのです。このことは、この箇所が15章から始まる最終的な裁きの直前に置かれており、14章の後半では悔い改めない者への警告と最後まで忍耐する者の祝福が語られていることからも裏付けられます。

このような国々へのメッセージが「永遠の福音」の内容であるというのは、黙示録の一般的イメージからは理解しがたいかも知れません。特に千年紀前再臨説(プレミレ)の立場に立つクリスチャンは、一般的に再臨に先立つ世界の歴史に関しては悲観的な理解を持っています。終末に向けて世の中はどんどん悪くなっていき、その悪が極限に達した時にキリストは再臨し、その時人類の大多数は滅ぼされ、忠実な少数のキリスト者のみが救われるというのです。

確かにそのような面もありますが、黙示録は同時に、教会の宣教の働きが確かに多くの実を結ぶということも述べています。国々の回心が黙示録の主要テーマの一つであることが理解できれば、この箇所を理解するのも難しくはありません。15章4節ではこう書かれています:

主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります。

ここでも主の正しい裁きが国々の滅びではなく礼拝につながることが歌われています。

14章4節では、贖われた神の民は「初穂」と呼ばれています。「初穂」とは収穫期の最初に収穫された少量の作物のことで、やがてくる本格的な大収穫の前触れとなるものです。キリストの自己犠牲は少数の選ばれた人々を神のために贖いました。ヨハネと仲間のクリスチャンたちはそのような「初穂」としての神の民に属していました。しかし、キリストの十字架の目的はそこにとどまりません。究極の目的は、選ばれた神の民がキリストに倣って証しをすることによって、すべての国々を回心させ、それによって神の普遍的な支配が確立することなのです。

このように、教会の宣教と世界の回心は黙示録の重要なテーマなのです。本書の結末部分ではこう書かれています:

御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。(22章17節)

教会は主の再臨を待ち望みますが、それは邪悪な世から救いだしてくださいという内向きな願いではなく、同時にまだ時間のあるうちに悔い改めるようにと、世の人々に呼びかけることが求められているのです。

ここでも黙示録の解釈はその適用を大きく左右します。黙示録のメッセージは、選ばれた少数のクリスチャンが迫害に耐え、信仰を守り通すことによって、大多数の不信仰な人類が裁かれて滅びる時にそこから救い出されるということなのでしょうか、それとも、教会には終わりの時代にキリストの十字架の愛を実践し、いのちをかけて証しすることによって、国々をキリストに導く使命があるということでしょうか?これまで見てきた黙示録の読み方は、後者の適用を指し示していると思われるのです。

おわりに

黙示録についてはまだ書きたいテーマがいろいろありますが、このシリーズでは黙示録における「福音」に焦点を当ててきましたので、とりあえず今回で一区切りをつけたいと思います。

黙示録の福音(良い知らせ)は一言で言えば、「ほふられた小羊が天の御座におられる」ということだと思います。イエス・キリストは今も生きておられ、父なる神の右の座にあって統べ治めておられます。そしてやがて時が来ると、キリストは再び来られ、神の支配を地上においても確立され、ご自分の民と共に永遠に統べ治められます。しかしキリストはご自分の御国を、バビロンやローマのようなこの世的な力によって打ち立てるのではなく、十字架でかつて示されたような愛の力によって完成されるのです。そして教会もほふられた小羊キリストにならい、その後に従って行く時に、御国を受け継ぐことができます。このように読むならば、黙示録はまさに聖書正典の最後を飾るに相応しい、福音的な書であると言うことができるでしょう。

(終わり)

 

(おまけ:黙示録22章17節のヘブル語訳に基づくメシアニックの賛美。このコンサートの全体がお薦めです。)